特撮ブロガー 結騎了の平成特撮ヒーロー探訪

平成仮面ライダー オン・ザ・ロード 第3回 増大する玩具と映画、2010年代のライダーが個性を爆発させていく

公開日:結騎 了

こんにちは、結騎了です。前回より間が空いてしまいましたが(すみません……)、シリーズ連載『平成仮面ライダー オン・ザ・ロード』の第3回をお送りします。

第1回では『仮面ライダークウガ』を、第2回では『仮面ライダー電王』『仮面ライダーディケイド』を中心とした2000年代の作品を、それぞれ取り扱いました。従来のヒーロー像への「反証」が込められた『クウガ』と、様々な試行錯誤の果てに辿り着いた『電王』。そして、10年間の「試行錯誤」そのものを物語に昇華させた『ディケイド』。この頃から、平成仮面ライダーシリーズは次第に大きなコンテンツとして頭角を表していきました。

第3回となる今回は、そこから連なる2010年代の作品に触れていきます。「バラエティ豊か」な作品群は、いかに同シリーズの精神性を引き継ぎ、拡大させていったのか。

 

商業コンテンツとしての変化と拡大

特筆すべきは、『ディケイド』や次作『仮面ライダーダブル』あたりから、商業コンテンツとしての性格が変化していったことです。

まずシンプルに、リリースされる玩具の点数が増大します。

2009年の『ディケイド』が用いていた紙製のカードは、同シリーズにおける『龍騎』『剣(ブレイド)』の発展系でした。『遊戯王』等に代表されるTCG(トレーディングカードゲーム)の流行を汲みつつ、『甲虫王者ムシキング』以降に加速度的に普及したTCAG(トレーディングカードアーケードゲーム)の文化に順応させる。しかし何より決定的だったのは、シリーズを総括した絵柄の豊富さ。あの仮面ライダーも、あの武器も、あのフォームも。過去に類を見ない「コレクション性」は、多くの視聴者を虜にしました。

この「コレクション性」をより玩具らしく継承したのが、『ダブル』におけるガイアメモリというアイテムです。少し大きなUSBメモリのようなデザインで、ボタンを押すと特徴的な音声が流れます。仮面ライダーに変身する主人公も、怪人に変身する敵キャラクターも、皆がそろって顔の高さまで掲げたガイアメモリを発動させ、「変身」するのです。かつて『龍騎』のカードデッキが「西部劇における拳銃+ホルスターの見せ合い(威嚇行為)」の演出として機能したように、このガイアメモリも、お手軽に「臨戦態勢ごっこ」ができる画期的なアイテムでした。

そして、2本のガイアメモリの組み合わせを変えることで、ダブルは様々な能力を発揮するのです。青いメモリで銃撃を、赤いメモリで火の属性を。かつて『クウガ』で「敵の戦闘スタイルに応じて能力を変化させる」様子が描かれましたが、ダブルはより「玩具的」にそれを発展させていきます。ガチャガチャとベルトに挿すメモリを組み替える様子は、それこそ腰回りの拳銃をいじって収納、あるいは構える動作にも近いのです。この辺りは、『仮面ライダーファイズ』におけるミッションメモリー、『仮面ライダーキバ』のフエッスルが築いた土壌とも言えるでしょう。

種類が豊富で、ついつい集めたくなる。そんな「お手軽なりきりアイテム」。ガイアメモリは未曾有の大ヒットを記録し、以降の仮面ライダーは、「小物アイテムを多数展開する」路線に舵を切り始めます。『仮面ライダーオーズ』のコアメダル、『仮面ライダーフォーゼ』のアストロスイッチと、これ以降の仮面ライダーは「ベルトと連動する小物を売る」という商業スタイルを踏襲していきました。これは、令和の『仮面ライダーゼロワン』に至るまで、引き継がれていきます。

また、『ディケイド』や『ダブル』あたりから、映画の制作本数が爆発的に増えていきました。

これは『電王』の功績が大きく、シリーズ初の明確な続編(劇場版)制作を経て、春や冬に映画を上映するスタイルを確立させていったのです。作品ごとの(物語としての)連続性が皆無だった平成仮面ライダーシリーズは、『電王』や『ディケイド』でその性格を捨て、『ダブル』以降明確な「繋がり」を打ち出していきます。これが、映画『MOVIE大戦』シリーズとして、冬の風物詩にもなっていくのです。

更には、ややハードなテイストを持つVシネマ制作も恒例となり、アパレル展開に代表される「大人の視聴者向け」商品もその点数を増やしていきました。「平成仮面ライダーを観て育った世代」が、いつの間にかそれなりの経済力を持ち始めたのです。同シリーズは最終作『仮面ライダージオウ』まで、約20年間の時を経て、誰もが予想していなかった方向に膨れ、認知されていったのでした。

 

「攻める」物語と「働く」仮面ライダー

そんな2010年代の仮面ライダーシリーズに象徴的なのが、挑戦的な作風の数々です。「ベルトと連動する小物を多数展開する」スタイルが固定化していった、その反動からでしょうか。作風の面で様々なチャレンジが行われました。

例えば、2013年の『仮面ライダー鎧武』。アニメ『魔法少女まどか☆マギカ』で名を馳せた虚淵玄をメインライターに招き、従来の仮面ライダーには見られなかった骨太なSFが展開されました。街で流行る子どもの遊びは大人により画策された実験であり、その大人たちもまた、更に高次元の存在による魔の手に危機感を覚えている。2011年の東日本大震災で日本人が身を持って体感した、「大いなる自然災害の恐怖」。それを宇宙規模の存在に置き換え、地球をじわりじわりと侵食する様子が描かれたのです。敵は誰か、倒すべきは何か。その連続性の高いドラマは、今でもファンの語り草となっています。

また、2015年の『仮面ライダーゴースト』では、かつて異世界へ移住した人類がディストピアを形成し、異形の姿となって現代日本を侵略するという、これまたハードな設定が描かれました。物語そのものは陽性なテイストでしたが、そこに流れる設定は実に挑戦的です。

そして2017年の『仮面ライダービルド』では、日本が3つの国に別れて戦争を繰り広げる、という物語が紡がれました。ちょうど他国のミサイル発射がセンセーショナルに報じられていた時期でもあり、そこで扱われた「戦争の可能性」は、決して対岸の火事という訳ではありませんでした。戦争兵器として忌み嫌われる「仮面ライダー」は、一周して新鮮味があったものです。

そんな挑戦的な作風とは対照的に、実際の職業をヒーロードラマに落とし込んだ作品も数多く送り出されました。スーパー戦隊シリーズでも『救急戦隊ゴーゴーファイブ』や『特捜戦隊デカレンジャー』といった前例がありますが、平成仮面ライダーシリーズも、これらの方法論を取り込んでいきます。

ガイアメモリを操った『ダブル』は、2人で1組の探偵として設定されました。松田優作主演の名作ドラマ『探偵物語』のような世界観を軸に、依頼人や刑事が登場し、そして悪の「ファミリー」が暗躍する、という構造です。「依頼が持ち込まれる(事件が起きる)ことで物語が幕を開ける」フォーマットには、非常に柔軟性・汎用性があり、後続の作品にも影響を与えていきます。

近い職業だと、2014年の『仮面ライダードライブ』では刑事という職業が描かれました。平成仮面ライダーの放送枠は1999年までのメタルヒーローシリーズを受け継いでいますが、そのシリーズにも通ずるテイストと言えるでしょう。『ダブル』と同様、「事件の奇怪さ」を「敵怪人の特殊能力」として解釈する語り口は、若干のオムニバス形式をも演出しました。仮面ライダーが公権力として戦うことの是非やその責任など、かつて『クウガ』が追求したリアリズムが、より今風に展開されていきます。

2016年の『仮面ライダーエグゼイド』では、医者という職業をピックアップ。主人公は研修医の若い男性に設定され、天才外科医や闇医者、または監察医など、多数のドクターライダーが入り乱れます。患者が未知のウイルスに感染し、そのウイルスが怪人として実体化する、という設定です。仮面ライダーが怪人を倒す行為を「治療」「施術」と言い張る。……改めて文字にするとなんとも強行突破な印象を受けますが、これにしっかりと説得力を持たせることができるのが、平成仮面ライダーという土壌の強さなのでしょう。

 

音楽展開、そして若手俳優の登竜門として

2010年代の平成仮面ライダーシリーズは、前述の本編における意欲的な取り組み以外にも、多彩な注目を集めていきました。

そのひとつが音楽展開です。さかのぼれば『電王』がブレイクスルーなのですが、これがいつからか、同シリーズに欠かせないピースとして定着していきます。

2010年の『仮面ライダーオーズ』では、同種のメダルの組み合わせによって変身できるコンボという形態(従来のフォームチェンジに相当する概念)があるのですが、そのコンボごとにオリジナルのナンバーを用意したことで話題となりました。各楽曲には同じBPMとコード進行が採用されており、劇中と同じようにメダル(フレーズ)を入れ替えることができる、という取り組みです。アニメ作品における「キャラソン」を踏襲しつつ、それとはまた違った方向性が特徴的です。

そして、作品の顔とも言える主題歌にも、一定の知名度を誇るアーティストが起用されていきます。2012年の『仮面ライダーウィザード』の主題歌には、『女々しくて』で大ヒットを飛ばしていたゴールデンボンバーのボーカル・鬼龍院翔が登場。『ゴースト』では幅広いファン層を持つ氣志團を、『エグゼイド』ではブレイク寸前だった三浦大知が起用されていきます。作品個々の世界観とアーティストの持ち味が起こす化学反応は、ファンにとっても毎年の大きな楽しみです。

また、言うまでもなく、平成仮面ライダーシリーズは若手俳優の登竜門としても認知されていきます。2000年代の作品も水嶋ヒロや佐藤健を輩出しましたが、2010年代はその傾向が更に拡大。例えば2011年の『仮面ライダーフォーゼ』では、リーゼントが特徴的な型破りな主人公を若き日の福士蒼汰が熱演しました。しかも、一緒に戦う仲間の仮面ライダーに変身するのが吉沢亮という豪華っぷり。他にも、『ダブル』から菅田将暉、『ドライブ』からは竹内涼真と、彼らの初々しい演技を堪能できる貴重なフィルムとしても機能していきます。

このように、2010年代の平成仮面ライダーは、ひとくちでは表現できない多種多彩な「肥大化」を辿っていきました。『クウガ』から始まったシリーズ初期の10作品が「平成仮面ライダーとは何か」を模索し反証を繰り返したのとは対照的に、2010年代の作品群は、「平成仮面ライダーに何が出来るのか」をひたすたに反芻していったのです。

毎年、驚異的な物量の玩具を。毎年、数本の映画制作を。テレビシリーズの撮影はもちろんのこと、キャストは歌い、グラビアを撮り、インタビューを受け、ヒーローショーにも登壇していきます。物語は一定の「型」を求め、その繰り返しの中にバリエーションを見い出す。「平成仮面ライダー」という大きな枠組みが影響力を持った時代だからこそ、その枠の中で「何が出来るのか」、それが大きな課題となりました。

「バラエティ豊か」と簡素に表現してしまうことがはばかれる、そんな多彩すぎる作品群は、シリーズ最終作『仮面ライダージオウ』に向けて個性を爆発させていきます。その終着駅は、どのように彩られたのか。次回、『平成仮面ライダー オン・ザ・ロード』第4回(最終回)をお楽しみに!

 

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