特撮ブロガー 結騎了の平成特撮ヒーロー探訪

平成仮面ライダー オン・ザ・ロード 第2回 シリーズを破壊し、それすらも「らしさ」に取り込んだ、『電王』と『ディケイド』

公開日:結騎 了

こんにちは、結騎了です。今回は、シリーズ連載『平成仮面ライダー オン・ザ・ロード』の、第2回をお送りします。

前回の第1回では、記念すべき1作目『仮面ライダークウガ』を取り上げました。栄光の初代仮面ライダーの誕生から、約30年後。2000年に放送された『クウガ』は、徹底的なリアリティの追求により、従来のヒーロー像から一歩踏み込んだ物語を展開しました。その、世間一般が持つイメージへの「反証」は、ひとつの精神として、後続作品に受け継がれていったのです。

 

『クウガ』のその後、2000年代の仮面ライダー

『クウガ』の翌年である2001年に放送されたのが、『仮面ライダーアギト』です。本作には、当時流行していた海外ドラマの作劇が引用され、より連続性の高いドラマが繰り広げられました。『クウガ』では、仮面ライダーが作中において1人だったのですが、本作ではなんと最初から3人の仮面ライダーが登場。お互いの目的や矜持が入り混じる群像劇が見どころです。また、主人公が記憶喪失の青年に設定されており、彼の失われた過去をミステリーのように解き明かしていくという、ヒーロー活劇とは違った面白さも持ち合わせていました。

そんな「仮面ライダーが複数存在する」の更なる進化系とも言えるのが、2002年の『仮面ライダー龍騎』です。総勢13人の仮面ライダーが互いに殺し合うバトルロイヤルは、十数年経った今でも色褪せない、衝撃的な設定と言えるでしょう。「仮面ライダー=正義の味方」といったパブリックイメージを大胆に破壊したことで話題となりました。

続く2003年には、『仮面ライダー555(ファイズ)』が放送開始。携帯電話(今でいうガラケー)を使って変身します。本作は、『クウガ』のリアル志向のドラマ、『アギト』の群像劇とミステリー、『龍騎』のファンタジー要素、等々を融合したような作品になりました。この時点での「平成仮面ライダー」という概念を映像化したもの、と言っても良いかもしれません。この頃から段々と、「平成ライダーらしさ」の輪郭が整い始めたように記憶しています。

そして、その「輪郭」を踏襲したのが、2004年の『仮面ライダー剣(ブレイド)』です。ライダー同士の群像劇や対立・共闘、ミステリー調で描かれる戦いの背景など、様々な「平成ライダーらしさ」が詰め込まれた物語。本作は、ここに更に「少年漫画路線の熱さ」をミックス。基本的に殺伐とした空気が漂うシリーズに、熱を持った汗や血が滴り落ちました。『ファイズ』から続き、「らしさ」の決定版、一種の集大成と言えるかもしれません。

だからこそ、2005年にはその「らしさ」を覆す一手が打たれました。「反証」の精神にのっとるように、シリーズにまた新たな視点が持ち込まれたのです。その名を、『仮面ライダー響鬼』。「おっさんライダー」とも呼ばれましたが、細川茂樹を主演に迎え、大人のお仕事ドラマとその背中を追いかける少年の物語が紡がれました。消防士や警察官のように、お仕事として怪人を退治する仮面ライダー。まるで『中学生日記』や朝ドラを観ているような、独特の空気感が魅力です。

2006年には、『仮面ライダーカブト』がスタート。今度はまた大きく揺り戻し、シリーズにおける「らしさ」を洗練させ、昇華する手法が取られました。メタリックかつ硬質にデザインされた仮面ライダーたちは、『重甲ビーファイター』等のメタルヒーローを思い起こさせます。

『カブト』は、「複数仮面ライダーの群像劇」という「らしさ」を扱いつつも、それに頼らない推進力をキャラクターたちに付与しました。主人公を極端な俺様キャラに設定し、まるでアニメーション作品のような組み立てで、物語を構成していったのです。シリーズの文脈を受け継ぎながらも、『クウガ』とは明確にリアリティへの向き合い方が異なる、それこそが面白いポイントになります。

このように、平成仮面ライダーシリーズは、常に新たな方向性を模索していきました。「こんなこともできる」「あんなこともやってみよう」を積み重ねたかと思えば、それを崩してみたり、また別の観点から組み立て直してみたり。良い部分、もっと俗な表現でいえば「ウケた部分」を、いかに効果的に盛り込むか。毎年、世界観をいちから仕切り直し、個々の作品が続き物の関係にないからこそ、このような挑戦が可能だったのでしょう。

 

現れる、電車に乗る仮面ライダー

そして、時は流れ2007年。『クウガ』から数えて7年後に、シリーズは大きな転換点を迎えます。それは、佐藤健主演で制作された『仮面ライダー電王』です。本作の息の長いヒットは、シリーズのその後に大きな影響を与えました。

佐藤健が演じた主人公・野上良太郎は、とにかくツイていない不運まみれな青年。日常生活において様々なトラブルに巻き込まれていた彼が、未来からやってきたイマジンという怪人に憑(つ)かれたことから、物語が幕を開けます。そのイマジンの名を、モモタロス。般若の面をした全身赤色で粗暴な怪人ですが、好物はプリンというお茶目なキャラクター。「変身」ならぬ「変心」ということで、そのモモタロスが良太郎に憑依することで、好戦的な仮面ライダー「電王」が誕生するのです。

平成仮面ライダーには、『クウガ』の頃から「フォームチェンジ」という概念がありました。元を辿れば『仮面ライダーBLACK RX』や『ウルトラマンティガ』にまでさかのぼりますが、スーツの色と共に、戦い方や武器が変化する演出です。平成仮面ライダーでは、主に何かしらのアイテム(これが玩具として発売される)を使用することで姿を変えますが、『電王』は、ここに「キャラクターごと入れ替わる」という発想を持ち込みました。モモタロス以外にも、ウラタロス、キンタロスといった、複数のイマジンが登場するのです。

よって、物語序盤、登場する仮面ライダーは電王1人ですが、「キャラクターごと入れ替わるフォームチェンジ」という演出によって、シリーズが煮詰めてきた「複数の仮面ライダー」の文脈を踏襲することに成功します。『電王』は何かと掟破りな作品だと語られますが、実は、同シリーズが積み上げてきた数々の手法を、新しい視点から応用しているのです。

この「応用」は、キャラクター描写にも現れています。前作『カブト』で取り入れられたアニメーション作品のような組み立てが、更に発展的に、イマジンに適用されました。人気声優を起用し、それが特撮ヒーローには欠かせないスーツアクター(スーツを着てアクションや演技をする専門職)の魅力と融合することで、イマジンは独特の味を形成していったのです。憑依されることによる佐藤健の見事な演じ分けも手伝い、イマジンは番組後半には主題歌をカバーするにまで成長しました。今では、『電王』における最重要アイコンと言えるでしょう。

このように、シリーズが積み上げてきた挑戦やジャンルそのものが持っていた魅力を上手く組み合わせることで、『電王』は大ヒットを記録しました。平成仮面ライダーではあり得ないとされていた続編まで制作され、その後も数年にわたって、劇場用作品が公開されたのです。関連グッズも絶え間なく発売され、音楽CDもスマッシュヒット。平成仮面ライダーは、ここに新たなビジネスモデルを確立したのでした。

 

全てを破壊した仮面ライダーディケイド

『電王』の翌年である2008年の『仮面ライダーキバ』には、親子関係を軸に、過去と現在を平行して描くという新機軸が盛り込まれました。シリーズが広げてきた多様性や柔軟性は、ついに時間を超えて物語ることすらも可能としたのです。西洋の美術を取り入れた独特の世界観は、人間を深く濃く描く脚本とも合わさり、またとない味を獲得しました。

そんな平成仮面ライダーも、満を持して10周年。それを記念して制作されたのが、2009年の『仮面ライダーディケイド』です。「decade(ディケイド)」とは「十年紀」の意味。文字通りのアニバーサリーイヤーとなりました。

これまで何度も触れてきたように、平成仮面ライダーでは、毎年様々なアプローチが模索されてきました。物語の方向性も、作風も、玩具のギミックもスーツのアプローチも、多岐に渡ります。その凸凹とした作品の集合体が、結果としてシリーズになっていたに過ぎません。もちろん、物語としても繋がっていないばかりか、共演することも原則としてあり得ませんでした。

しかし『ディケイド』は、ここにも「反証」を持ち込みました。10年前、『クウガ』がそれ以前のヒーロー番組に根付いていたイメージに「反証」を打ち出したように、今度は、平成仮面ライダーという自らのシリーズそのものに一石を投じたのです。

10年間をかけて積み重なってきた「らしさ」には、「凸凹の連続しない作品群」という性格がありましたが、『ディケイド』はこれを真正面から破壊。「クウガの世界」「キバの世界」「龍騎の世界」……といったように、仮面ライダーディケイドはパラレルな世界を旅することで、過去の作品群をひとつの物語に詰め込んでいきました。

当然、連続性が度外視された上で作られていた作品群なので、相性が良いはずがありません。深刻な空気もあれば、陽気なノリだってあります。それぞれが持っているテーマも、見事にバラバラです。しかし『ディケイド』は、その「相容れなさ」を「バラエティ豊か」に読み替えるように、力業で自身に取り込んでいきました。『カブト』や『電王』を踏襲した、アニメーション作品のようなキャラクター造形が三度用いられ、どんな世界観にも馴染まない(=だからこそ並列・共存できる)、そんな強烈な主人公を作り上げたのです。

こうして『ディケイド』は、それまで独立していた平成仮面ライダーをまとめ上げ、名実ともにひとつのシリーズとして、主張を強めることに成功したのでした。

 

10周年を経て、シリーズは次のステップへ

『電王』のブレイクスルーと、『ディケイド』の変革。毎年のように「反証」と「挑戦」を積み重ねていた平成仮面ライダーシリーズは、この2000年代後半にかけて、立て続けに大玉を炸裂させました。

その結果、それまで並び立つことの無かった仮面ライダー同士が共演することになり、後年、これが恒例となっていきます。前後の作品は明確に「先輩」「後輩」として関り、共通の敵と戦う。いつしか、それが恒例行事になっていったのです。

言うまでもなく『電王』と『ディケイド』がこの下地を作ったのですが、実はこれは、昭和仮面ライダーシリーズが持っていた構造でした。「反証」を繰り返していった結果、平成から昭和に逆転し、それを再び新たなアプローチで描き直す。そんな大きな文脈で捉えると、平成仮面ライダーシリーズの輪郭が、より鮮明に見えてくるのかもしれません。

何より、その転換点となった『電王』と『ディケイド』も、無から降って湧いた訳ではありません。そこには、平成仮面ライダーシリーズの長年の蓄積が、確かに生きていたのです。『ディケイド』で描かれた合計10個のパラレルワールドは、まさにシリーズの概念そのものでした。

その後、折り返し地点を通過した平成仮面ライダーシリーズは、更に大きなコンテンツとして肥大化していくことになります。次回、『平成仮面ライダー オン・ザ・ロード』第3回では、そんな「バラエティ豊か」な2010年代前半の作品を扱っていきます。お楽しみに!

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