緊急寄稿、プロ野球・阪神タイガース2位でも発刊される優勝祈念特別号について
日本プロ野球セントラルリーグは、試合前に優勝マジックナンバーが2となっていたヤクルトが10月26日横浜スタジアムでのDeNA-ヤクルト戦にて1-5で勝利、同日に阪神甲子園球場にて行われた阪神-中日戦にて2位阪神が0-4で敗れたため、2021年のセリーグ優勝を決めました。ヤクルトの優勝は6年ぶり8回目。
そして2位の阪神タイガース、実は当方、プロフィールに「サブポジ〇・阪神タイガース」とある通り歴だけはやたら長い阪神ファンで、親子二代に渡ってなのでまぁ筋金入りと自称して憚らない位です。そんな身の上だから8月以降は毎日一喜一憂の繰り返しで、原稿執筆時点ではクライマックスシリーズもまだなので今後どうなるかは判りませんが、アゲに上げたうえで落としてくれると言うオチを付けてくれたのでまぁ十分かなと。コロナの影響で球場での現地観戦を行うことが出来なかったという事情もあり、のめり込みが薄くなってしまったと言う事もあるかと思いますけど。
それでも世間としては7月までは2位に7ゲーム差をつけての首位だったわけですから、否が応でも秋の栄冠に期待するわけで、するとどうなるかと言うと優勝も確定していないのに特集号が発売されます。今シーズンもすでに、野球専門誌「週刊ベースボール(ベースボールマガジン社刊)」にて三回の阪神特集が、スポーツグラフ誌「Number((株)文藝春秋刊)」でも阪神特集が組まれています。
特集号の出版は独走態勢になっていればあらかじめ発行されることが多く、2008年のシーズンは一時期13ゲーム差をつける勢いだったので8月に「08激闘セ・リーグ優勝目前号 Vやねん!タイガース(日刊スポーツ出版社)」が刊行されましたが、読売巨人軍が「メークレジェンド」と呼ばれる13ゲーム差をひっくり返す大逆転優勝を成し遂げ、この「Vやねん!」はネットミームとして広がる敗北フラグのヒトツになってしまいました。
なお、同じようなタイトル「Vやで!タイガース」として週刊ベースボール2015年9/14号が阪神特集をしていますが、この特集後に失速しシーズン3位で完結しているので絶対狙ってたやろこれと恨みがましく思ったものです。
それでなぜこんなに特集されるかと言うと、そりゃぁ過去に刊行されたらバカ売れしたからでしょと誰でも理由を思いつくのですが、想像以上にパカパカ刊行されてバカバカ売れているんですよこれが。
阪神の前回優勝は2005年ですが、その前の2003年優勝は16年ぶりの優勝としてもう比喩ではなく虎フィーバーに沸きに沸きました。手元にある「優勝記念特集号」をひっくり返しただけでも「サンケイスポーツ特別版」「スポニチ特別編集」「週刊ベースボール増刊」「月刊阪神タイガース特別増刊」「デイリースポーツ特別編集」と山ほど出てきてビックリですわ。
この他2003年末に発売されたコナミのプレイステーション2用ゲームソフト(ゲームキューブ版も同時発売)『実況パワフルプロ野球10 超決定版』は同年3月に発売された『実況パワフルプロ野球10』の選手データを2003年シーズン終了時のものに変更した物ですが、『超決定版』のロゴが阪神の球団ロゴを連想させる、黄色と赤と黒の組み合わせのレイアウトで「猛虎魂を感じる」と当時から話題になりました。なおこの頃のパワプロシリーズのOPアニメーションは京アニこと京都アニメーション製作のフルアニメが採用されており、物語性を感じさせるシリーズを代表する名OPになっています。
さらにこの年の虎フィーバーで是非ともツッコミさせて頂きたいのが、ワニマガジン社刊行の成年向けコミック誌『快楽天』でも表紙絵が「黒と黄色の誘惑レポート」として直接は描かれていないもののタテジマに黒と黄色と言う明らかに連想させるデザインになっており、この年のフィーバーが色んな方面に充満していたことを表している事を示す好例かと。
前述のスポーツグラフ誌「Number((株)文藝春秋刊)」の阪神特集も2003年後半だけで4冊、しかも優勝決定直前の9/15号では「阪神の国ニッポン」として従来の選手にスポットを当てた特集ではなく阪神ファンとその周辺にまつわるムーブメントを紹介すると言う変化球的な特集になっています。その中には「虎本と言うジャンルがある」としてムーブメント真っただ中には100冊以上の阪神タイガース関連書籍が販売されていることが紹介されており、「東京と大阪の売れ行きは五分五分で、大阪の人が本を読まないのか、東京に思ったより阪神ファンが多いのか」と書店員のコメントもあって成程なー。しかしこの「阪神の国ニッポン」というコピーは何処にでもいる阪神ファンの生態と言うか生き様を一言で表していて秀逸だなーと。
しかし、ここで見落としがちな事ですが、Number誌は強くても低迷していても、定期的に阪神タイガースを特集で取り上げていた雑誌だったと言う事は忘れてはいけないのです。特にド低迷時の1995年には「蘇る猛虎魂」として伝統の一戦・巨人阪神戦にまつわるエピソードをメインに取り上げているのに、表紙には当時代打の切り札として存在感を強くしていた真弓明信(鼻筋の通った二枚目で当時から有名・後の阪神監督)のシルエットを採用すると言う「弱くても低迷していても追い続ける阪神ファン」の心情を如何に掴むかをようく判っている作りで取り上げています。
んでその90年代の阪神はBクラス9回でAクラスは1回だけと言う正に暗黒時代と言うべき超低迷期だったのですが、その1回だけのAクラス入りをしたのが1992年で、この年は2位だったにもかかわらず、シーズン終盤までヤクルトとの首位争いを繰り広げたこともあり虎フィーバーが巻き起こりました。この年のNumber誌でも阪神は積極的に取り上げられており、この年の阪神を牽引した「亀山・新庄フィーバー」を象徴するかのように亀山忍の単独表紙とこの一瞬の輝きがものすごく鮮烈に映ったかを表しています。
この「亀山・新庄フィーバー」がいかに強烈だったかを示すものとして、ここでもコンピューターゲームを上げますが1992年末に発売されたナムコのファミリーコンピュータ用ソフト『ファミスタ’93』、ご存じファミコンのプロ野球ゲームのパイオニア『プロ野球ファミリースタジアム』シリーズの1992年の成績を反映したものですが、この年発売のスーパーファミコン『スーパーファミスタ』(3月発売)から実名使用のライセンス許諾を受け、この『ファミスタ’93』も選手名球団名その他の実名使用が可能になったのですが、パッケージに一塁にヘッドスライディングするタイガースユニフォームの眼鏡の選手と明らかに亀山がモデルとなっており、ありとあらゆる方面に影響力の強い阪神を感じずにはいられません。ちなみにこのパッケ、奥には当時のヤクルト正捕手の古田敦也モデルの眼鏡捕手がおり、現在にまで続く長いシリーズで眼鏡選手が二人も登場しているのはこの『ファミスタ’93』だけです。ここまで優遇しておきながら肝心の選手データでは阪神がさほど強いとは思えない辺りやはりナムコは東京での開発なんだなぁと。ちな後年の『パワプロ』はコナミ大阪開発室なので阪神データがやや強めになっていると思しきことが多く「猛虎魂を感じる」と言われる由縁です。
この年のフィーバーを象徴するのが週刊アサヒグラフ(朝日新聞社)の10/30号、本来刊行される筈のなかった優勝特集号を「幻の優勝号」として一冊丸々収録すると言うとんでもない特集号を刊行します。まぁそれまで準備した素材を没にするのがもったいなかったと言う減価償却企画の側面も大きかったのかなぁと妄想します。しかしその内容は幻の優勝と銘打つだけあり充実したもので、この年のフィーバーがいかに加熱した物だったかを示す資料と言えるかも。
また毎年末に刊行されている季刊誌「ベースボールマガジン」の冬季号はその年一年を振り返る特集号になるのですが、この1992年表紙は日本一になった瞬間の西武、セ・リーグ優勝のヤクルトと並んでサヨナラ勝ちの阪神&満員の甲子園球場と1992年を代表する出来事に阪神2位が選ばれてるんだから何故2位なのにそこまでフィーバーしたのかとか思ってはいけない、それだけの大事だったんですよマジで。
そしてその1992年の前、史上初と言ってもいい虎フィーバーが全国を席巻し「トラキチ」と言う単語が流行語になったのが1985年つまり昭和60年(この呼び方がしっくりくる)、阪神タイガース史上でも唯一の日本シリーズを制して日本一になった年です、昭和ですよ昭和。
この年と言えばバース・掛布・岡田のバックスクリーン三連発は今でこそ優勝を象徴する出来事のように語られてますが、この当時の誌面を見るとそれほど大きく扱われていない、あくまでとにかく打ちに打ちまくった「新ダイナマイト打線」のトピックス一番手扱いだったのが見て取れます。この優勝した後転がるように速攻で突入した低迷期・暗黒時代の印象があまりにも大きく長い為にバックスクリーン三連発がより一層神格化されていったのではないかなぁ、とリアルタイムで当時の変遷を負った身からすると思います。しかし今の時代にこの1985年の写真を見ると画像荒いし選手の髪形はパンチパーマばっかだし、フォント種類も少なく誌面構成も何と言うか本当に昭和を感じるんですよね。選手紹介では南海時代に「トリオ山内」として漫画『あぶさん』にも登場してた山内新一が前年1984年に無償トレードで移籍しており、1985年は勝ち星を上げなかったものの投手陣の一角を担っていたのを読み返して思い出しました。リアルタイム当時は全っっっっったく気にも留めていませんでした。
週刊ベースボール別冊秋季号 タイムスリップ1985栄光のV号(ベースボールマガジン社)
2003年刊、1985年阪神優勝記念号の復刻版
さてここで、1985年と言うか昭和60年の阪神ファンの悲喜こもごもを最も表している本として挙げたいのが、『トラキチ男泣き日記』(文藝春秋刊)です。
著者は俳人・エッセイリストの江國滋ですが、映画化もされた『きらきらひかる』で紫式部文学賞受賞、『号泣する準備は出来ていた』で直木賞を受賞した作家の江國香織の実父と言った方が認知度は高いかと思います。
この本はまえがきにも書かれていますが、元々は「小説推理」誌(双葉社刊)に1983年(昭和58年)から連載されていた「江國滋の野球日誌」を纏めたもので、「便乗商法のキワモノ出版か、といわれたら、ええ、まあ、それはそうなのです、と答えざるをえないけれど、でも――でも、である。「それはそうなのです」であっても、足かけ三年の日記、と言う歳月を買っていただきたい。マジックが点灯して、それであわてて書き下ろしたというたぐいのものではないのです」と書いてあるだけの事はあり、1980年代半ばの野球と言えば巨人一辺倒時代に於ける東京在住の阪神ファンの様々が語り倒されています。ナイター中継テレビもラジオも巨人戦ばかりの中で大阪のラジオ局の音声を拾って一喜一憂したり、阪神が勝った日は特別に取り寄せる大阪のスポーツ紙が早く届かないものか、東京のは巨人が負けたとしか書いていないとか、勝っていたら勝っていたで「こんなことがあってもいいものだろうか、いや、ない、いつかは天誅が下るに決まっている」と悲観的だったりする辺り、35年経った今の阪神ファンにも通ずるイロイロが垣間見えます。それでもテレビ番組収録中にラジオ放送で阪神戦を聞いているとかは病膏肓に入るを地で行くなぁと。
この本にまつわる有名な話としては、当時はこういう教養家・文化人と言うジャンルで阪神ファンを公言した著名人は今ほど多くなかったせいか、江國滋自身に阪神優勝に関してインタビューや寄稿依頼が相次ぎ非常に多忙になってしまい、翌86年のシーズン開幕前の昨年を回顧するインタビューにて「阪神は優勝したから特に要望ない、でも今シーズン期待することは、巨人に強くなって欲しい」と答えており、微妙なヘソ曲がり具合が歴の入ったトラキチっぽさを感じさせていました。
江國滋は1997年、阪神タイガースの暗黒期真っただ中に病没したのですが、その暗黒期をどのように感じていたのか、『トラキチ男泣き日記』以降の日記その他を未見なので不明です。ただ、ここまで熱狂的にでも悲観的にタイガースを愛しちゃったのなら、92年のフィーバーにも歓喜し、2003年2005年の優勝には狂喜感涙し、今年の2位にはほれみたことかと愚痴るのではないかなと。
と言う訳で、2位だろうが出版不況だろうがネットが席巻しようが阪神本はパカパカ出版されるだろうからその狂態をあたたかーい目で見守ってやってください。そして執筆時点ではクライマックス・シリーズや日本シリーズがどうなるか全く予想もつかないのですが、万万が一にも万が一のことがあって一か月後に手のひらクルクル返して「六甲おろし」を常時口ずさんでいるようなら、まぁそれもよくある阪神ファンの姿と言う事でやっぱり笑ってやってください。
(文中敬称略)
フィギュア中心のアキバ系サイト「常時リソース不足RX」の中の人。通称センセイ。 美少女フィギュア以外にもPC美少女ゲーム、特撮、90年代ゲーム、阪神タイガース辺りにサブポジ○があります。
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