『ゲーム小説』の一読者視点からのアレコレ【前編・80~90年代コンピュータRPGの時代】
読者の皆様は「ゲーム小説」と聞いて何を思い浮かべるでしょうか?
ここで元祖はどうとか本家はどうとかいう話を始めると様々な異論反論が入り乱れてかつライトノベルの定義がどうこうとか余計な方向からの流れ弾も飛んできて宗教戦争かくやと言うペンペン草も生えない焦土状態になる事は火を見るより明らかと思いますので、あくまで個人的な体験・経験則を元に語る「ゲーム小説の蘊蓄」が今回の題材と言う事でお願いします。かつ、文中敬称略です。
まぁそう言った前置きと言うか逃げを打った上でも、現在まで続くライトノベル史の起点とも言うべきタイトルとして『ロードス島戦記』(著・水野良/角川書店(現KADOKAWA))を外す事は出来ないと思います。
元々は『コンプティーク』誌に連載されていたテーブルトークRPGリプレイの連載を小説としてまとめたもので、リプレイの内容に沿った物語は、日本の国産ファンタジーの礎として語られているに至ります。角川書店(現・KADOKAWA)がヤングアダルト向けの文庫レーベル「角川スニーカー文庫」を創刊したのが1989年ですが、当初角川文庫で刊行されていた『ロードス島戦記』は角川スニーカー文庫創刊以降はレーベルの看板作品としてマルチメディア展開をも含めた大ヒットを記録し、2019年に続編の『ロードス島戦記1 誓約の宝冠』が刊行されています。
角川スニーカー文庫『ロードス島戦記1 誓約の宝冠』著・水野良/イラスト・左
そして日本のコンピューターRPGの、本家とか元祖ではなくもっとも著名なものと言う意義での始まりと言えばファミリーコンピューター(FC)『ドラゴンクエスト』シリーズですが、この『ドラクエ』もノベライズが行われています。1989年2月ににファミコン版『Ⅲ』が発売されて以降の4月に出版された『小説ドラゴンクエストⅠ』(著・高屋敷英夫/エニックス(現スクウェア・エニックス・ホールディングス))は、当時発売されたエニックス刊の「公式ガイドブック」と併せ、コンテンツメーカー主導で多角的なマルチメディア展開が行われる先鞭をつけた作品です。と同時に、コンピュータゲームのノベライズとしても大きな存在になります。
この年の9月と10月に『小説ドラゴンクエストⅡ』を上下巻で出版、翌1990年8月に『小説ドラゴンクエストⅢ』を上下巻で出版し、ロトシリーズのノベライズを纏めて締めます。シリーズ全てにおいてゲーム本編を忠実になぞるストーリー構成に加え、独自解釈の世界観(女神の月・竜の月等と呼ぶ一カ月は45日、一年は八ヶ月など)をきちんと構成した話運びはベテラン脚本家高屋敷英夫(代表作に『ガンバの冒険』『あしたのジョー』等)の技が光り、この時点でゲームノベライズの基礎を作り上げたと言っても過言ではないかと。なお、高屋敷英夫は後に小学館スーパークエスト文庫よりスーパーファミコン(SFC)『ファイアーエムブレム 紋章の謎』のノベライズを出版しています。
DRAGON QUEST NOVELS『小説 ドラゴンクエスト』著・高屋敷英夫(2000年刊行ソフトカバー版)
エニックス文庫『小説 ドラゴンクエストⅡ 悪霊の神々(上)』著・高屋敷英夫/イラスト・いのまたむつみ(1991年刊行文庫版)
『ドラクエ』のノベライズもシリーズとして継続され、続く『Ⅳ』『Ⅴ』『Ⅵ』のいわゆる「天空シリーズ」のノベライズを手掛けたのは久美沙織です。デビューから集英社コバルト文庫で活躍していた少女小説家としての知名度が高い久美沙織でしたが、後書き等でコンピューターゲーム好きである事が伺え、その縁で1989年に新潮文庫より『MOTHER』を出版し、翌1990年に前述の小説ドラゴンクエストの外伝として『ドラゴンクエスト 精霊ルビス伝説』を出版、その流れで1991年3月より三ヵ月連続で『小説ドラゴンクエストIV』全四巻の刊行に至ります。全体的にみやび言葉を多用した荘厳的な雰囲気と、登場するキャラクターに併せた各一人称を使い分けた作風とで『ドラクエⅣ』の世界を構築しています。
1993年刊行の『小説ドラゴンクエストV』全三巻、1996年刊行の『小説ドラゴンクエストVI』全三巻も久美沙織の独自設定をゲーム本編になぞる様に上手く挿入した作品ですが、『Ⅴ』に関しては主人公名が、2019年公開の3DCG劇場アニメ『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』と共通している事で民事訴訟となっているようです。それだけ作者にとって思い入れが深いんだろうなあ、と。
DRAGON QUEST NOVELS『小説 ドラゴンクエストⅤ 天空の花嫁1・2・3』著・久美沙織(2000年刊行ソフトカバー版)
『小説ドラゴンクエスト』シリーズ最後の刊行となっているのが『Ⅶ』ですが、2001年に全三巻で刊行の『小説ドラゴンクエストVII』を担当したのが土門弘之。武器防具の装備、転職によるパラメータ変化まで文章化する等、これまでのシリーズと異なったコンピュータゲームのノベライズに徹しているのが特徴です。土門弘之は、俗にいう角川書店お家騒動によるメディアワークス社設立による電撃文庫創刊時の新人小説コンテスト「第1回電撃ゲーム小説大賞」(後に「電撃小説大賞」)の大賞受賞者で、受賞作『五霊闘士オーキ伝!』は94年に☆よしみる(FC『メタルスレイダー・グローリー』原作者)挿絵で刊行されています。そして当時誰しもが驚いたのが、受賞時の年齢が18歳(1976年(昭和51年)生)と言う事でも大いに注目されました。しかしその名は既に別の所で極一部の層に目にされていたのです。その場所と言うのが、ゲーム雑誌「ファミコン必勝本」(JICC出版局/現宝島社)を前身に持つ『必本スーパー!』誌で、92年に開催されたファンタジー小説コンテストの佳作受賞者(作品掲載はなし)に土門弘之の名があります。そもそもゲーム誌であるヒッポン(当時の読者はこう呼んでました、以後この呼称)で何故小説コンテストが開催されていたかと言うと、このヒッポンがゲーム小説史に非常に大きな役割を果たしているからです。
ファミコン必勝本・表紙。イラストはBLACK POINT(=幡池裕行=伊東岳彦)
イベント『ヒッポンエイジスACT3』於・阿佐ヶ谷ロフト 2012/11
ファミコン必勝本・表紙
表紙で掲載ゲームタイトルを誤植するという伝説の号
イベント『ヒッポンエイジスACT3』於・阿佐ヶ谷ロフト 2012/11
「たいむましん」の系列「レトロPC・ゲーム専門店 BEEP」で掲載の「Web版BEEPのゲームを10倍楽しむコラム」にも登場していますが、ライターでもあるベニー松山が1988年よりこのヒッポンにて『小説ウィザードリィ 隣り合わせの灰と青春』の連載を開始し、同年度末に単行本として発刊されます。前述のリレーブログ「【第13回リレーブログ】隣り合わせの灰と青春 ベニー松山氏」にその詳細が書かれていますが、この『小説ウィザードリィ 隣り合わせの灰と青春』は、その前年に発売されたファミコン版アスキー『ウィザードリィ』のノベライズで、原典のゲームにあったパロディ・コメディ要素を極力排した移植版であるファミコン版を題材に、不気味なダンジョン討伐物語をシリアスなハイ・ファンタジー小説として再構築した物語は読者の大きな反響を呼び、後々まで語られる名ゲーム小説となりました。
JICC出版局『小説ウィザードリィ 隣り合わせの灰と青春』著・ベニー松山
シリアスにした一例をあえて挙げると、劇中で入手できる強力な武器「カシナートのつるぎ(Blade Cusinart)」は、元々はアメリカの家電メーカークイジナート(Cuisinart)社の発売するフードプロセッサーが元ネタのパロディ武器でしたが、日本ではクイジナート社の知名度が高くなかったのでギャグとして伝わらず、『小説ウィザードリィ』で描かれた名匠カシナートの鍛え上げた両刃剣というイメージの方が大きいです、間違いなく(力説)。なおゼロ年代半ばからクイジナート社の家電は大手家電量販店でも目にするほど知名度が上がり、さらに後にアニメ『ドルアーガの塔』にてベテラン女戦士アーメイが先端が高速回転する槍のような武器を使用していますが、これは原典のBlade Cusinartのオマージュです。ファミコン版の移植を手掛けたゲームスタジオ代表の遠藤雅伸はプログラマーとしてAC版『ドルアーガの塔』を手掛け、アニメ『ドルアーガの塔』のスーパーバイザーもしているので間違いない。
家電量販店・クイジナート社ハンドミキサー各種
『小説ウィザードリィ 隣り合わせの灰と青春』は「ファミコン必勝本」誌上での連載が終わった後、描き下ろしの完結部分を加えて単行本化されました。後の1998年に集英社のライトノベルレーベル、スーパーファンタジー文庫(後にスーパーダッシュ文庫→現ダッシュエックス文庫)で文庫化が行われ、文庫版の挿絵は緒方剛志(代表作に『ブギーポップ』シリーズ挿絵)が担当しています。ただし挿絵については正直本文との乖離がアレでアレなので当時から評判は芳しくはなかったですね…。「金色の髪を持つ完璧な美貌」と記されているバンパイヤロードの横にある挿絵が黒髪黒執事風なのはそうじゃないだろと。
集英社スーパーファンタジー文庫『小説ウィザードリィ 隣り合わせの灰と青春』著・ベニー松山/イラスト・緒方剛志
その『小説ウィザードリィ 隣り合わせの灰と青春』が連載されていたヒッポンこと『ファミコン必勝本』は、莫大なるムーブメントとなったファミコンとその攻略本市場界隈を目指し、『ファミコン通信』(現・「ファミ通」/アスキー・現KADOKAWA)、『ファミリーコンピュータマガジン』(通称ファミマガ/徳間書店)、『マル勝ファミコン』(角川書店・現KADOKAWA)と同時期にJICC出版局(現・宝島社)が山師の如く当てようと雑誌を立ち上げたのだろう事もあり、記事のかなりの分量をアウトソーシングしていたのが特徴で、編集部のメインスタッフが全て社内の人間だった『ファミコン通信』や、編集長のみが社員で残りのスタッフがバイトであえて個性を出さないようにしていた『ファミマガ』とは大きく一線を隔した、非常に個性豊かな誌面になった事が特徴でした。それだけに後にゲーム業界を代表する面々が多数参加しており、編集は平林久和(ゲームアナリスト)、ライター陣には成澤大輔(ダビスタ伝道師・メガテニスト)、鈴木みそ(漫画家)、田尻智(クリエイター・『ポケモン』のゲームフリーク代表)、元宮秀介(ライター、「ポケモン式ガイドブック」シリーズ)、石埜三千穂(ライター・『さよならを教えて』シナリオ)等々、他紙でライターや連載を持っている人も多い錚々たる面々で、こんな濃いライター陣の誌面を体感したらカタギの道には戻れません。
エンターブレイン『パックランドでつかまえて テレビゲームの青春物語』著・田尻智
1988年ヒッポン連載コラムの単行本の2002年復刊版
さらに「パソコンサンデー」の山下章と、山下章が代表を務めるスタジオベントスタッフ所属の手塚一郎もヒッポンのライター陣の一人でした。その手塚一郎は、『隣り合わせの灰と青春』の連載が終了した次号から、オリジナルのハイ・ファンタジー小説『最後の龍に捧げる歌』の連載を開始。「ベニー松山の友達なんだから小説書けるでしょ」と言う無茶振りがあった事を後書きで書いています。『最後の龍に捧げる歌』の連載完結後に単行本が発刊され、そして1990年にヒッポンの付録単行本としてついてきた小説が、当時ファミコンでも発売されてない『ウィザードリィ』のシナリオ4『ワードナの逆襲』のノベライズで、ゲーム小説ジャンルに一石を投じます。
原典の『ワードナの逆襲』にあったパロディ要素を徹底的に削ぎ落し、エロスの香り溢れるダーク・ファンタジーとして再生成された今作は単行本化の際にライターの佐山アキラが解説を担当しますが、この佐山アキラが後に『不夜城』で作家デビューし『少年と犬』で直木賞を受賞する馳星周です。また『最後の龍に捧げる歌』コミック版を手掛けたのは後に『犬神』等のヒット作を排出する漫画家の外園正也で、本当この時代、バブル経済崩壊直前の超元気な頃の日本を見る思いです。
JICC出版局『小説ウィザードリィ シナリオⅣ ワードナの逆襲』著・手塚一郎
手塚一郎は後にアスキーより出版されたTRPG専門誌『ログアウト』にてコナミのアクションRPG『悪魔城ドラキュラ』のノベライズを連載します。ヴァンパイヤハンター・シモンと言うゲーム内設定のみを換骨奪胎し、、通説のドラキュラ伝説と史実の中世史感をミックスさせた怪奇小説としてのノベライズを成立させ、単行本は1巻がログアウト冒険文庫から発行されていましたが、『ログアウト』誌の休刊に伴い未完となっています。『ログアウト』誌の休刊は、当時のTRPG冬の時代に突入する象徴的な出来事のヒトツでしたなぁ…。個人的には『パトレイバー』『逮捕しちゃうぞ』『SHIROBAKO』等の脚本を担当する横手美智子のオリジナル作品『やさしい夜の瞳(風佳奇譚)』の耽美な雰囲気にドキドキしました。
アスペクト ログアウト冒険文庫『小説 悪魔城ドラキュラ 悪魔の血 血の悪夢』著・手塚一郎/イラスト・高橋政輝
しかしこの1987年~1988年頃はちょっと調べるだけでも、1987年1月に『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』、9月に『デジタル・デビル物語 女神転生』、その年の年末に『ウィザードリィ』と『ファイナルファンタジー』、翌1988年2月に『ドラゴンクエストⅢ そして伝説へ…』が発売され、この時代にファミコンを中心にコンピュータRPGが一気に花開いたことが判ります。
そしてこれらの花開いたコンピュータRPGをヒッポンは「四大RPG」とカテゴライズして誌面で度々特集していました。この「四大RPG」の括りは今でこそ定番として知名度を上げていますが、当時は「ドラクエの1強」「よしんばドラクエ・FFの二大巨頭」「WIZは同時期の『ウルティマ』と併せた移植タイトルセット」と言う扱いが順当だったのに、何故に四大で括ったか。これは雑誌の戦略的に「不利な時こその戦線拡大」であり、他誌と同じ事をしても勝てない為にあえてこのような方向性を打ち出したと言う事です。当時のゲーム雑誌界隈も『ファミコン通信』『ファミマガ』『マル勝ファミコン』と言った強大なライバル揃いだったわけですから。
またタイトル的に「WIZはベニー松山が、メガテンは成澤大輔が居たからこその優位性」があり、「アスキーは伝統的にソフト開発部と雑誌編集部の仲が悪くWIZ情報はファミ通に降りてなかった」「女神転生も元々徳間書店(アニメージュ文庫)刊行作品だったが、途中で作者が権利を引き上げたとか何とかでファミマガには攻略本の話が来なかった」との言質が、当時の『ファミマガ』編集長から得られています。
そのファミマガ編集長含め当時の編集・ライター等関係者が多数参加したトークイベント「ヒッポンエイジス」は2011年から行われ、裏話含め大いに盛り上がりましたが、主宰でありライター、ダビスタ伝道師・メガテニストの成澤大輔氏は2014年に急逝されています。改めてご冥福をお祈りします。
左・平林久和(ゲームアナリスト)、右・成澤大輔(ダビスタ伝道師・メガテニスト)
イベント『ヒッポンエイジスACT3』於・阿佐ヶ谷ロフト 2012/11
ゲスト・ベニー松山(特製Wizardryスタジャン着用)
イベント『ヒッポンエイジスACT3』於・阿佐ヶ谷ロフト 2012/11
『ヒッポン』誌面では1990年からベニー松山による続編の『小説ウィザードリィⅡ 風よ。龍に届いているか』が連載開始され、FC版のWIZⅡ、シナリオ3「リルガミンの遺産」に、長期連載中に発売されたFC版WIZⅢ、シナリオ2「ダイヤモンドの騎士」のアイテムや敵キャラ・追加呪文と言った要素を入れ、前作『隣り合わせの灰と青春』からのキャラや設定も存分に取り込み、ファミコンが次世代機スーパーファミコンの発売に併せ『HiPPON SUPER!』へ誌名変更された後でも連載は継続され、誌面の中核を担う人気連載企画になりました。ゲームノベライズの一大サーガにして、日本の産んだハイ・ファンタジー小説の到達点と言っても過言ではない傑作です。
ただし連載が終了する頃にはヒッポン誌が『必本スーパー!』と誌名変更とリニューアルが行われ、ゲーム業界もプレイステーション・セガサターンと言った新世代機発売直前で誌面も方向を模索していました。事実『必本スーパー!』は、幾度かのリニューアルを得て新世代機ではNintendo64をプッシュした『64(ロクヨン)』に誌名変更、さらに『攻略の帝王』と誌名変更されましたが、1998年5月に休刊となり、ヒッポンの系譜は途絶えることになります。このリニューアル期の1993年頃に編集を務め、当時の濃い読者層からの批判を一手に受けていたのが、後に『トウキョウヘッド』等を発行する編集者の故・大塚ギチです。
1994年に『小説ウィザードリィⅡ 風よ。龍に届いているか』が単行本で発行されましたが、このような誌面の状態からか「再版は行わない」旨が営業から作者に伝えられていた事が、2002年に創土社から復刊された上下巻単行本発売の際にベントスタッフHPに書かれていました。創土社版は1991年に発行された『ウィザードリィ小説アンソロジー』に収録された短篇『不死王』も下巻に収録されており、装丁含め復刊とはかくあるべしというお手本のような上下巻刊行です。現在では創土社版をベースにした幻想迷宮書店の電子書籍版が入手可能なので、機会があれば一読し、原作を知らずとも没頭できるその世界に触れる事をお勧めします。
創土社『小説ウィザードリィⅡ 風よ。龍に届いているか 上下巻』著・ベニー松山
幻想迷宮書店『小説ウィザードリィ 隣り合わせの灰と青春(電子書籍版)』著・ベニー松山/挿絵・高橋政輝
幻想迷宮書店『小説ウィザードリィⅡ 風よ。龍に届いているか(電子書籍版)』著・ベニー松山/挿絵・高橋政輝
と言う訳で日本が誇るゲームノベライズの黎明期、1980年代末から1990年台初頭にかけて…と言うかドラクエとウィズとヒッポンのお話でした。ちなみに今回の見出しTOPの画像は、「ベニー松山のサイン・イベント特製グレーターデーモン版」です。イベント参加して懇願しましたハッハッハ。
繰り返しますが個人的な記憶と体験・経験則が元ですのでご了承の程お願いします。そこそこ濃いんじゃないかな?と言う内容だと自負しますが、当方の得意とするジャンルでゲームノベライズと言えば忘れちゃいけないのがあります。でも以下次回と言う事で。
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