『映画ドラえもん』の歴史をたどる【第7回】 21作目『のび太の太陽王伝説』
楽しめた『のび太の太陽王伝説』
藤子・F・不二雄先生が1996年9月に亡くなって、先生の手で映画ドラえもんの原作マンガが描かれることがなくなった。当然ながら、先生が映画に直接かかわることもなくなった。
藤子F先生がかかわらない体制でつくられた最初の映画ドラえもんが『のび太の南海大冒険』(1998年)、その翌年の作品が『のび太の宇宙漂流記』(1999年)だった。この2作品を劇場で観た私は、2年続けて気持ちがノらなかった。(今この2作品を観返せば楽しめるのだが、当時は「楽しめた」とは言いがたかった)
藤子F先生の他界は、私の精神に大きな影響を及ぼしていた。先生の不在によって私の胸中に開いた穴は、その後に制作されたこれらの映画ドラえもんでは埋められなかった。
むしろ、自分に開いた穴の深さをあらためて実感することになった。
私はもう、これから新たに公開される映画ドラえもんを楽しむことはできないのではないか……。そんな失意と寂しさにみまわれた。
それでも、シリーズ第1作からの付き合いである映画ドラえもんの劇場鑑賞を止めようとは思わなかった。映画ドラえもんは、一年に一度春になると味わえる風物詩、盆や正月のごとく巡りくる祝祭である。私は、それに参加し続けたかった。
いや、2年連続で気持ちがノらなかったのだから、当時の私の中では「祝祭」といえるほどの高揚感は失われていたのかもしれない。映画ドラえもんを観ようと劇場へ足を運ぶ行為は、あのころの私には祝祭よりも習慣や惰性に近いものになっていたのかもしれない。
でも、とにかく、毎春劇場へ観に行くことだけは続けたかった。その思いだけは失われなかった。
だから、2000年に公開されたシリーズ第21作『のび太の太陽王伝説』も劇場で観た。「ドラえもん誕生30周年記念作品」として上映された映画である。
ドラえもん30年を特集した「アサヒグラフ」2000年3月10日号。『のび太の太陽王伝説』のコスチュームを身につけたドラえもんが表紙を飾っている。
『のび太の太陽王伝説』を観終えたとき、映画ドラえもんを劇場へ観に行く長年の習慣を捨てなくてよかった、と思った。この新作映画を楽しめたのだ。面白いと感じられたのだ。
2年続けて気持ちがノらなくて下がりぎみだったテンションが、『太陽王伝説』を楽しめたことで上向きになった。「映画ドラえもんはまだ私をこんなにも楽しませてくれるんだ!」との思いを抱けたのは救いだった。
『のび太の太陽王伝説』チラシ
物語の下敷きは『王子とこじき』
『のび太の太陽王伝説』でのび太たちいつものメンバーが冒険を繰り広げる舞台は、マヤナ国である。
マヤナ国は、その風景を見る限り、ジャングルの中に築かれた石造りの古代文明のようである。国民は太陽を崇拝している様子だ。
その国名、風景、信仰などから、ただちに想起されるのがマヤ文明だ。マヤナ国は、実在の文明であるマヤ文明をモデルにした架空の王国なのである。地球上の国なのか、地球外にあるのか、いつの時代なのか、といった具体的な情報は作中で示されないが、マヤ文明をモデルにして描かれた国であることは瞭然としている。
マヤナ国の王子が、この映画における最も主要なゲストキャラクターである。
王子の名はティオ。
このティオとのび太の顔がそっくりなことから、話が大きく動き出す。話の下敷きになっているのが、芝山努監督が明言しているとおり、1881年に発表された『王子とこじき』である。16世紀のイングランドを舞台とする児童文学作品で、作者は『トム・ソーヤーの冒険』『ハックルベリー・フィンの冒険』などで知られるアメリカの作家マーク・トウェインだ。
その『王子とこじき』を下敷きとした、ティオとのび太の入れ替わり異文化体験が、『のび太の太陽王伝説』前半の大きな見どころとなる。
『王子とこじき』(マーク・トウェイン・作、竹崎有斐・訳、集英社、1994年発行)
『王子とこじき』では、同じ日に生まれた10歳の少年が思いがけず入れ替わって生活をおくることになる。その2人の少年のうち、1人は国の王子エドワード、もう1人はこじきのトムだ。2人の少年は、ふとしたことで互いの衣服を取り換え、意図せぬかたちで王子のエドワードがこじきのトムに、こじきのトムが王子のエドワードに間違われる。その結果、王子がこじきとして扱われ、こじきが王子として生活をおくるという、身分の逆転現象が起きるのである。
2人の顔や背格好があまりにもそっくりであるがゆえに起きた事態である。
王子が市中で貧しい少年として生きることになり、貧しかった少年が城内で王子として扱わる。それまでの生活とはまるで異なる環境や習慣の中で生きる戸惑いや苦労。それとともに、本来の自分の身分では得られなかった新鮮な体験や新たな気づきも得られ、2人それぞれの心に変化が生じていく。
『王子とこじき』のそうした設定やストーリーラインを下敷きにして、マヤナ国の王子であるティオと現代日本の小学生であるのび太の入れ替わり体験を描いたのが『のび太の太陽王伝説』なのだ。
ティオになりすましたのび太は、ティオにはなかった気さくさ、やさしさ、遊び心によって、ティオを慕う少女ククや庶民の子どもたちと心の距離を縮めていく。マヤナ国の風習である「いけにえの儀式」を見たのび太は、その風習に反対し、いけにえになりかけていた少女の命を救う。そして、いけにえの風習には内心反対の気持ちを秘めていた少女ククの共感を得る。
その半面、棒術の訓練では人が変わったように(実際に人が代わったのだが)弱くなって、指南役イシュマルを困惑させるのだった。
一方、のび太になりすましたティオは、のび太らが暮らすいつもの町で周囲の人々に横柄な態度で接し、しずかちゃんを泣かせたり、ジャイアンと喧嘩したりする。ドラえもんはティオのわがままに振り回される。
ティオは、マヤナ国の次期王様として幼少のころから帝王学を学んできたのだろう。それゆえ、威厳や勇ましさや強さは持っているが、他者への思いやりや気安さは欠けていた。将来の王である王子として生きるには、それは正しい人格形成であったのかもしれない。ところが、王子という身分を彼から剥がしてしまうと事情が違ってくる。
ティオとのび太の入れ替わり体験をとおして、2人のうちより大きな影響を受けて変化していくのは、ティオのほうだ。ティオになりきったのび太はマヤナ国民にやさしく気さくに接し、意図していないのにティオの評判を上げていく。そのうえ、2人が入れ替わっていないとき、のび太は人と情を交わすのが苦手なティオと友情をはぐくもうとする。そうしたのび太のふるまいや友情の影響を受けて、ティオはしだいに人間的な成長を遂げていく。
ティオとのび太の入れ替わりと交流は、のび太が相手によい影響を与える側で、ティオはのび太から影響を受けて変化する側となるのだ。そんなティオの変化や成長こそが、この映画の中心をつらぬくテーマといってよいだろう。
THIS IS ANIMATION『映画ドラえもん のび太の太陽王伝説 FILM STORY BOOK』(小学館、2000年5月1日発行)
ティオとのび太、この2人がなぜ入れ替われてしまえるのかといえば、顔と背格好がそっくりだからである。これは『王子とこじき』で入れ替わりが成立した理由と同じだが、ティオとのび太のそっくりさは彼ら特有の事情があった。のび太は大きな眼鏡をかけていて、ティオは裸眼なのに、それでも周りの人々が見分けられないくらいそっくりなのである。のび太の大きなまるい眼鏡のフレームとティオの裸眼の輪郭が同じサイズで同じ形という、アニメやマンガのキャラクターだからこそ成立するそっくりさんなのだ。
そのうえで、ティオが日本でのび太として生活するさいは、度のない眼鏡をかけて、よりのび太らしい外見を装うのだった。
この点について芝山努監督は次のように述べている。
「のび太と太陽王がそっくりという設定に関してはかなり揉めました。そもそも僕は最初から、メガネのレンズ部分が白目に見えるというのび太の作画に引っ掛かっていたんです。のび太はメガネなのに、その状態で裸眼の王子と同じ目というのはいくらなんでも無理があるでしょうと(笑)。もっとも、それもアニメならではの面白さの一つではありますが」(「クイック・ジャパン」Vol.64、2006年2月発行)
かねてより芝山監督は、のび太の眼鏡のフレームが白目の部分に見えることが気になっていたようだ。しかし、それがアニメやマンガならではの面白さでもあることを認め、のび太とティオが入れ替わっても気づかれないくらい似ているという設定を受け入れた模様である。
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マヤ文明のイメージ
さて、先に述べたように、『のび太の太陽王伝説』の主舞台となるマヤナ国はマヤ文明をモデルに描かれている。
マヤ文明といえば思い出すのが、私の場合、まずは藤子・F・不二雄先生の存在だ。先生はマヤ遺跡へ取材旅行に行ったことがあるのだ。1978年10月のことだった。
さまざまなマヤ遺跡の中に、今は世界遺産になっているチチェン・イッツァ遺跡(メキシコ)がある。チチェン・イッツァ遺跡を象徴する建造物の一つが、ククルカン・ピラミッドだ。そのククルカン・ピラミッドの前で写真におさまる藤子F先生の姿が残されている。
そして、『のび太の太陽王伝説』をつくるにあたって、藤子プロをはじめ制作スタッフがマヤ遺跡を訪れ、取材している。藤子F先生が現地取材したマヤ遺跡を、この映画の制作スタッフも現地取材しているのだ。そういう藤子Fリスペクトを感じ取れる制作姿勢が、この映画が私好みに仕上がった理由の基礎にあるような気がする。
『のび太の太陽王伝説』で描かれたマヤナ国の風景や習俗のうち、現実のマヤ遺跡にあったものを具体的に想起させる事例を挙げてみよう。
ティオの住居である巨大な宮殿。その外観は、おそらくククルカン・ピラミッドをモデルとしている。魔女レディナが食の儀式でククを寝かせていた(その後ティオを寝かせようとした)石造りの祭壇は、チャクモールの石像がモデルだろう。
また、マヤナ国に伝わる球技としてサッカーのように足と体を使って競い合う「サカディ」をプレイするシーンがある。これは、マヤ文明で実際に行なわれていた球技がモデルと考えられる。
ティオの住む宮殿のモデルと思われるククルカン・ピラミッドは、数あるマヤ遺跡の建造物の中でも世界的に最も有名なものだろう。底辺60メートル、高さ30メートルという大きな神殿ピラミッドである。
このピラミッドの四面それぞれに階段があって、段数を合計すると365段になる。ククルカン・ピラミッドは、一年の日数365日を意識した、太陽暦のピラミッドなのだ。
魔女レディナが食の儀式で使った祭壇。そのモデルとなったチャクモールの石像は、チャクモールと呼ばれる男性戦士を彫った石像で、仰向けになった腹に皿を載せている姿勢が特徴的だ。
こうしたマヤ文明のイメージの取り込みは、『のび太の太陽王伝説』制作スタッフが実際にマヤ遺跡を訪問し取材した成果である。と同時に、この映画において現地取材以上にマヤ文明のイメージ源として影響力を発揮したと思われるのが、藤子F先生のマンガ『T・P(タイム・パトロール)ぼん』だ。
『T・Pぼん』は、タイム・パトロール隊員の少年・並平凡(なみひらぼん)を主人公とする歴史SFマンガである。タイムボートに乗って時間を移動し、はるか昔から未来までさまざまな時代で不幸な死を迎えた人を救助する。それがタイム・パトロール隊員の任務である。
そうした作品だから、毎回、世界史・日本史のいろいろな舞台やエピソードが描かれ、その中にマヤ遺跡・マヤ文明を舞台とした話もある。「チャク・モールのいけにえ」(初出:「コミックトム」1980年6月号)という話だ。
藤子・F・不二雄大全集『T・Pぼん』2巻(小学館、2011年発行)。「チャク・モールのいけにえ」を収録している。
この「チャク・モールのいけにえ」で、ククルカン・ピラミッドもチャクモールの石像も描かれている。マヤ文明で行なわれていた球技も紹介されている(サッカーではなくバスケットボールみたいと喩えられているが)。『のび太の太陽王伝説』で見られる建造物や球技のモデルとなったものが、「チャク・モールのいけにえ」でしっかり描かれているのだ。
「チャク・モールのいけいえ」が『のび太の太陽王伝説』のイメージ源になっていることが、そうした点から察せられる。
それだけではない。『のび太の太陽王伝説』が「チャク・モールのいけにえ」の影響を受けていることを最もダイレクトに感じられるのが、いけにえ儀式のシーンだ。
この映画には、降雨を祈る儀式でいけにえに選ばれた少女がセノーデ(泉)へ連れて行かれるシーンがある。少女はセノーデに身を投げるため、神官たちに伴われてその場所へと歩かされている。
これと同様のシーンが「チャク・モールのいけにえ」にもあるばかりか、この2作品のこのシーンの構図やアングルがそっくりなのである。「チャク・モールのいけにえ」で藤子F先生が描いた一コマを明らかに意識している。意識するだけでなく、再現しようとすらしている。
私はこのいけにえ儀式のシーンを観て、映画ドラえもんの中に『T・Pぼん』の一場面が(わずかながらでも)忠実に挿入されたような、藤子ファンとしての高揚感をおぼえた。
『のび太の太陽王伝説』は、藤子F先生亡きあとの映画オリジナル作品だった。にもかかわらず、藤子先生が直接描いた作品こそ至高と思う私が、この映画から藤子的な感触を得られた。そう感じられた大きな理由の一つが、このいけにえ儀式のシーンにあったのかもしれない。
藤子F先生が実際に取材旅行で訪れたマヤ遺跡。その取材の成果が投じられて描かれた「チャク・モールのいけにえ」。その「チャク・モールのいけにえ」をイメージ源にしてつくられた『のび太の太陽王伝説』。そういうイメージの連鎖に、私の藤子ファン心はくすぐられたのだろう。
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藤子・F・不二雄先生が愛した『白雪姫』
藤子ファン心がくすぐられたといえば、すでに『のび太の太陽王伝説』の冒頭のシーンからその兆候はあった。なにしろ、『白雪姫』ネタが出てきたのだから。
この映画の冒頭で、どこかの異世界(のちに本作の冒険の舞台となる場所)が映し出される。事情はまだわからないが、とにかく魔女らしき者が呪いをかけている。そのシーンから、ドラえもんやのび太らいつもの5人のシーンに切り換わる。切り換わってまず映るのが、劇で魔女の役をやっているスネ夫の姿だった。魔女から魔女へとイメージを重ねる演出だ。
スネ夫が演じる魔女は、白雪姫の継母(女王)である。のび太たちは学芸会で発表する劇の練習をしていて、その劇の演目が『白雪姫』なのだ。しずかちゃんが白雪姫、ジャイアンが王子、ドラえもんとミニドラが7人の小人、そしてのび太は木、という配役だった。
『白雪姫』といえば、藤子F先生が大好きだったお話である。先生はグリム童話が創作の原点のひとつだと語っていたから、もちろん活字や絵本の『白雪姫』も愛読していただろうけれど、藤子F先生が格別に惚れ込んでいたのは、なんといってもディズニーの長編アニメーション映画『白雪姫』(1937年、米国/日本初公開は1950年)だった。
藤子F先生は、安孫子素雄(藤子不二雄Ⓐ)先生とともに、お2人の住んでいた富山県高岡市の高岡劇場へ映画『白雪姫』を観に行っている。そのときの上映は、招待試写会だった。当時安孫子少年の伯父が富山新聞社の専務をしており、頼み込んで招待券を手に入れたという。
『白雪姫』を観て感激し興奮した2人は、辞書を頼りに英語でウォルト・ディズニーにファンレターを書いて送り、2ヶ月後ディズニーから『白雪姫』のドーピーのポートレートや『不思議の国のアリス』のパンフレットなどが返ってきて、ますますディズニーに熱狂することになった。
藤子F先生は、ディズニーの長編映画の中では「『白雪姫』が感激の度合はいちばん深い」と語っていた(「キネマ旬報」1983年1月下旬号)。
藤子F先生が私淑していた手塚治虫先生は、ディズニーの『白雪姫』をおよそ50回は観たと語っていた。藤子F先生は「手塚先生には及びませんけど『白雪姫』も、六、七回は観ました」と述べている(「マイアニメ」1983年2月号)。
神奈川県川崎市にある藤子F先生のご自宅の庭には、白雪姫と7人の小人の人形が置いてある。
そうした藤子F先生の発言や行ないから、先生の『白雪姫』愛がぞんぶんに伝わってくる。
藤子F先生が愛した『白雪姫』。そのお話の劇の稽古をのび太らがやっているのだから、私はこの冒頭シーンからグッと心をつかまれた。のちのシーンでも、しずかちゃんがククに『白雪姫』の話を語って聞かせたり、意識を失っていたククが王子のキスで目を覚ましたりと、ディズニー版『白雪姫』を思わせるシーンが見られ、そのたびに藤子F先生が『白雪姫』好きだったことを思い出した。
私の中に息づく「こういうものが藤子Fらしさなのだ」という感覚。それをくすぐってくれる要素に不意に出会うと、心がつかまれやすくなるのだ。
『のび太の太陽王伝説』について語る文章のはずが、『のび太の太陽王伝説』を通じて藤子F先生への愛を語る文章になってしまったきらいがある。いつものことだけれど(笑)
この映画は、そういうことを除いても楽しめる作品だったが、私が本作にことさら愛着をおぼえるのは、やはりそのはしばしから藤子F味を感じたことが大きい。
藤子F先生が亡くなって、先生が直接にはかかわらないかたちで制作されるようになったオリジナルの映画ドラえもん。その3作目の作品にして、あんなところやこんなところに藤子F味を感じられたのは望外の喜びだった。
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『太陽王伝説』そのほかのポイント
最後に、『のび太の太陽王伝説』について私が好ましく感じたそのほかのポイントを記そう。
- マヤナ国に伝わる球技サカディ。この球技をプレイして負けた者は、勝者の言うことを何でも聞かなければならない。たとえ王子のティオでも、負ければ勝者の命令によって命を失うかもしれない。試合の結果、のび太の活躍でティオ&のび太のチームが無事勝利。のび太が敗者に何でも命令できることになった。そのときのび太は、敗者に何も命じず許してあげた。勝ったのに許すなんて、ティオのそれまでの常識では考えられなかったことだろう。のび太のこの判断が、ティオの人間的成長を促す一因になったはずだ。ティオの成長の過程を描くことが『太陽王伝説』のテーマだと芝山監督が語っていた。このシーンはそのテーマにおいて重要なポイントである。
- ティオが飼っているポポルがかわいらしくて、マスコットキャラクターとしての役割をぞんぶんに果たしている。顔は犬のようにも猫のようにも見えるし、口は前歯が出ていて齧歯類のようだ。腹に袋があって2本足でぴょんぴょん跳ねるところは、カンガルーやワラビーのような有袋類にも見える。そんなふうに、小さな哺乳動物のチャーミングさ(いわゆる小動物系のかわいらしさ)をいろいろと具備している。ポポルに収集癖があるところ、その収集物が人間から見たら無価値なものもあったりするところは、『エスパー魔美』に登場するコンポコを彷彿とさせる。ただかわいいだけでなく、耳や鼻がよくて、ジャングルの中でティオを見つける活躍ぶりも見せてくれた。
入場者プレゼント“スライドラ・パズル”(ポポルがデザインされたもの)
- 庶民の生活、市場の様子、遊ぶ子どもたちなどを描いたシーンに好感をおぼえた。のび太らが訪れた異世界の日々の生活や習慣、政治体制、信仰などをさらりと描いていくやり方は、藤子F先生ご存命時の映画ドラえもんの隠れた魅力であり、その魅力が本作でもほんのりと感じられてよかった。
- 無数のホタルが舞うシーンが美しい。マヤ遺跡のある地域は水が豊富で生息条件がよいため、日本のものよりも一回り大きなホタルがたくさんいる。芝山監督はその情報を美術設定の川本征平氏から聞いて参考にしたという。川本氏は美術大学の学生時代、マヤ遺跡の調査で中南米に住んでいたことがあった。
- ティオと間違われて魔女レディナに捕われたのび太。ティオはのび太の解放を訴え、足を引きずって神殿の長い階段を昇っていく。そのシーンで泣けた。私は年齢を重ねるにつれて涙もろくなっており、劇場で観たときよりも今回の再鑑賞のほうがだいぶ泣けた。
『のび太の太陽王伝説』で使用されたセル画
《第8回へ続く》
『モッコロくん』を読んで藤子マンガに惹かれ、小学校の卒業文集には「ドラえもんは永遠に不滅だ!」と書きました。
中学で熱狂的な藤子ファンになり、今でもまだ熱烈な藤子ファンです。
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