藤子不二雄ファン稲垣高広の藤子的な、余りに藤子的な

1980年代食品系パーマングッズとその景品の世界 稲垣高広

公開日:稲垣 高広

前回ここで「味覚糖パーマンラムネの魅惑的な世界 ~菓子のパッケージを残しておくということ」という文章を書いた。そのなかで、容器のデザインを何度もチェンジして楽しませてくれた1980年代の菓子「味覚糖パーマンラムネ」を詳しく紹介した。
 
 今回はその続きとして、80年代に発売された菓子・食品系のパーマングッズをさらに紹介しようと思う。前回述べたように、私は80年代にパーマングッズを好んで集めていたが、小遣いに限りがあったため、千円を超えるようなグッズにはほとんど手を出せなかった。反対に、数十円から百円台程度で買えるこまごまとした菓子・食品系のグッズは、うってつけの収集対象だった。

 そうした菓子・食品系グッズのなかには、アタリが出たり点数を集めたりして応募するとオリジナルの景品がもらえるものがいくつかあった。ただでさえグッズを収集することが大きな楽しみだったうえ、「アタリを出したい」「点数を集めよう」という具体的な欲望と目標が加わって、グッズを買う楽しさがいっそう高まった。
 今回は、そういうものを紹介したい。

 これから取り上げるパーマングッズは、どれも1983年(昭和58年)から1985年(昭和60年)のあいだに購入したものだ。テレビアニメ『パーマン』の新シリーズ(シンエイ動画版)が放映されていた時代であり、私が中学3年生から高校2年生にかけての頃合だ。

80年代パーマングッズ+景品【写真1】
 まずは、「雪印つよいこスティック」を紹介しよう。おやつ用に作られたスティックタイプのプロセスチーズだ。袋にパーマン1号・2号・3号のイラストが使われている。
1袋につき4本のチーズが入っていた。4本入りのほかに20本入りの品もあったようだが、私はその容器を保存していないし、当時買った記憶もない。
子どもの頃は「つよいこスティック」に限らずスティックタイプのチーズをよく食べていた。

 「つよいこスティック」という品名から、「栄養価が高いチーズを食べて強い子になろう」というメッセージが読みとれる。その「強い子」のイメージにふさわしい子どもたちの人気者ということで、パーマンが起用されたのだろう。
平凡な子どもがパーマンセットを身につけることで超人的能力を獲得できる。力は6600倍になるし、時速119キロで空を飛べるようになる。そのイメージは、「チーズを食べて強い子になろう」というこの商品の言外のメッセージと合致する。

80年代パーマングッズ+景品【写真2】
 袋のデザインが全部で何種類あったかわからないが、私が保存している袋に限れば5種類が確認できる。そのうち4種が旧デザイン、1種が新デザインだ。
旧デザインに注目すると、パーマン1号と3号は4種の袋それぞれで異なるポーズのイラストが使われているのに、なぜか2号のイラストだけは同じものが流用されている。

 これらの袋に、パーマンスピードくじがついている。袋の内側にくじがプリントされていて、封を開けてなかを覗くと結果がわかる。

80年代パーマングッズ+景品【写真3】
 くじは「あたり1点」「はずれ」の2種類があった。「あたり1点」を3枚(つまり3点)集めて封書で応募すると景品がもらえた。3点くらいなら楽に集められそうだ、と思ったものの、「はずれ」もよく出るので、スティックチーズを何本も何本も食べることになった。あんなに食べたのだから、少しは「つよいこ」になれただろうか?

 「あたり1点」を3枚集めてもらえた景品、それが「パーマン・バリバリPバッジ」だ。がんばって点数を集めた結果手に入れた品とあって、これが送られてきたときは喜びもひとしおだった。市販されている品ではない、というところにも特別な輝きを感じ、その品が持つ本来の価値以上の価値に幻惑された。

80年代パーマングッズ+景品【写真4】
 「パーマン・バリバリPバッジ」は、パーマンバッジの形を模した玩具だ。裏面の安全ピンで自分の胸につけて楽しめる。
この品は完成品で送られてきたのではない。バラバラのパーツで封筒に入っていた。自分で組み立てるタイプの景品だったのだ。

最大のギミックは、下部に突き出たレバーを押すと中身のおもりが回転して音が鳴ることだ。その音が「バリバリ」と聞こえるので、「パーマン・バリバリPバッジ」なのである。

 実際にその音に触れると、「バリバリ」といわれたら「バリバリ」と聞こえるものの、「ガーッ」とも聞こえるし、ほかの濁音系の擬音を当てはめられそうな気もする。それなのに、なぜ「バリバリ」と表記されたのか。
私なりに考えてみると、「ばりばり」という副詞は「勢いよく活動的なさま」を意味し、「ばりばり働く」「ばりばりがんばる」などと使われることから、それがパーマンや「つよいこスティック」の元気でたくましいイメージと合っている、といったところではないだろうか。

 「バリバリ」という表記からは、「バリバリだぜ」というツッパリ用語も思い出す。ツッパリというのは死語のようだから、ヤンキーという呼び方のほうが伝わるだろうか。それとも今は他の呼び方が流布しているのだろうか。ツッパリとヤンキーはニュアンスが違うとの見解もあって私には難しい分野だが、それはともかく、80年代はツッパリとか不良と呼ばれる少年少女の文化が旺盛だった。その文化圏に「バリバリだぜ」という言い回しがあり、「イケてる気分」「勢いがあるさま」を表わしていた。当時は、しげの秀一氏のマンガ『バリバリ伝説』が連載中だったりもして、「バリバリ」という語がなにかと目立っていた。

そんな時代状況と「パーマン・バリバリPバッジ」というネーミングがまるで無関係だったとは思えない。ネーミングした人がどこまで意識していたかわからないが、「バリバリ」というオノマトペが荒っぽいまでに生命力を帯びていた時代に「バリバリPバッジ」と名づけられたのは、偶然ではないだろう。
 パーマンとツッパリだなんて、私の感覚では水と油くらい異質のものだから、わざわざその両者を「バリバリ」を架け橋にして関連づけてしまうことに抵抗を感じないでもない。でも、あの時代だからこその「バリバリ」だったのだ、という思いも否定できず、こうして「バリバリ」について少々熱を入れて語ってしまった。

80年代パーマングッズ+景品【写真5】
 「パーマン・バリバリPバッジ」の入っていた封筒や組み立て説明書も保存してある。景品本体だけでなくこうした付帯品も残しておくと、その景品が本当に景品として送られてきたものであることの証明になる。店で購入したのではない。点数を集めてプレゼントされた品なのだ。それを一発で証明してくれる。
 そんなことをわざわざ証明する機会なんてめったに訪れないだろうが、客観的に証明できるものがあるということが心強さをもたらしてくれるし、少なくとも個人的な記念にはなる。思い出のアルバムの一枚……くらいの効果は大いに期待できるのだ。

 

80年代パーマングッズ+景品【写真6】
 次に紹介するのは、「ロッテパーマンフーセンガム」である。ロッテといえば板ガム、板ガムといえばロッテ、というくらい、当時は近所の個人商店やスーパーマーケットの菓子売場へ行くとロッテの板ガムが存在感をかもし出していた。グリーンガム、クールミントガム、コーヒーガム、梅ガムなど、錚々たるロッテオリジナルの定番ガムが思い浮かぶが、アニメや特撮番組のキャラクターを使った板ガムもまた子どもの頃の懐かしい思い出だ。

 板ガム商品の外側のパッケージを開けると、なかのガム一枚一枚が個々に紙で包まれている。キャラクターガムの場合、その個々の包み紙に趣向が凝らされていて楽しかった。なぞなぞや豆知識のようなネタを載せていたり、転写シールになっていたりしたのだ。
転写シールとは、爪でこすって貼りつけるタイプのシールである。部屋の壁や柱や机に貼って遊んだのを思い出す。シールを壁や柱に貼るなんて、親から見たら家を汚しているだけだっただろうが、自分ではきれいに飾り立てているつもりだった。

 私が幼少年期をすごした実家の居間には、シールを貼るための壁と柱があった。はじめからそこがシールを貼ってよい場所と定められていたわけではない。私が勝手にシールを貼っているうちに、特定の壁と柱がシール貼りスペースとして既成事実化していったのである。

 そんなロッテのキャラクターガムのひとつとして、80年代に「パーマンフーセンガム」が登場した。定価は30円、板ガム4枚入り、ヨーグルト風味だった。

80年代パーマングッズ+景品【写真7】
 包み紙のネタは2種類あった。「ロッテパーマン大百科」と「ロッテパーマンひょうきんクイズ・パズル」だ。
「大百科」は、登場人物の紹介やパーマンセットの解説が記されていて、『パーマン』の基本知識を得られる。
 「ひょうきんクイズ・パズル」のほうは、愉快なクイズやパズルが出題されている。『パーマン』を知らない人でも解ける“頭の体操”的な内容だ。同じ紙面の左下にさかさまに答えが載っているので、うまく隠しておかないと、問題を解く前に答えを知ってしまうおそれがある。タイトルに「ひょうきん」とあるのは、80年代に一世を風靡したお笑い番組『オレたちひょうきん族』の影響だろう。
 「パーマン・バリバリPバッジ」の「バリバリ」といい、この「ひょうきん」といい、80年代の言語感覚があらわになっているのが懐かしくて面白い。

 1パッケージにつきガムは4枚入りだったから、個々の包み紙も4枚分あった。「大百科」「ひょうきんクイズ・パズル」のほかに、あと2枚あったわけだ。その2枚が景品の話にかかわってくる。そのうちの1枚は、景品がどんなものかをカラーイラストで案内している。もう1枚は、景品を獲得するために必要な点数券だ。

80年代パーマングッズ+景品【写真8】
 「パーマンフーセンガム」の景品は、「パーマン双眼鏡」だった。点数を20点集めるともらえた。点数の種類は、「1点」「2点」「3点」があったと記憶している。集めた点数券はメーカーに送ってしまって家に残っておらず、点数の種類については記憶違いの可能性も否定できない。
 商品を1個買えば確実に1点以上ゲットできる……のならよかったが、そうは甘くなかった。「はずれ」も出るのだ。

80年代パーマングッズ+景品【写真9】
 「はずれ」券なら何枚も残してある。少なくとも、その枚数分は「はずれ」が出て残念な気持ちを味わったわけだ。「はずれ」券には、舌を出して人をからかうカバ夫とサブの絵が載っていて、ただでさえ悔しい気分がますます増幅された。
 それゆえに、20点集めるのはけっこうハードルが高かった。高いながらも心が折れず点数を集められたのは、1個30円で買えるという気安さがあったからだ。「はずれ」が出たら残念なぶん、「1点」でも出ればラッキーな気分になれたので、そういうくじ引きの感覚も点数を集め続ける原動力になった。

 そして、なんといっても、景品が双眼鏡であることが最大のモチベーションだった。20点も集めなければならない……というハードルの高さに、その結果もらえる品の豪華さが見合っていたのだ。望遠鏡や顕微鏡もそうだが、こうした光学機器は少年の心をときめかせずにはおかない魅力を持っていた。

80年代パーマングッズ+景品【写真10】
 めでたく20点集まって応募して、ロッテから送られてきた双眼鏡は、赤と白を基調とした落ち着いたデザインの紙箱に入っていた。その箱を開けると、黒いソフトケースが出てくる。このソフトケースのなかに双眼鏡が入っているから、まだ本体を見ることはできない。ソフトケースのフタを開けると、いよいよ双眼鏡本体のお出ましである。

80年代パーマングッズ+景品【写真11】
 これは幾多の「はずれ」にもめげず20点集めた成果であり、憧れの光学機器である。しかもそのボディには大好きなパーマンがデザインされている。本体を手にしたときの感激が小さいはずがない。
 双眼鏡のボディにワンポイントのようにデザインされたパーマン1号の姿。その、いたってシンプルなデザインは、そのままシンプルな喜びにつながった。

 

80年代パーマングッズ+景品【写真12】
 続いて、「カルビーパーマンチップス」を紹介しよう。
カルビーの子ども向けスナック菓子といえば、社会現象化した「仮面ライダースナック」に代表されるように、おまけのカードがついてくるのが大きな特徴だ。カードがほしくて、それほど菓子を食べたいわけでもないのに次々と買いまくり、食べきれない場合は菓子を捨ててしまう、という事態が日本のあちこちで発生するほどだった。それほどまでに子どもの収集欲を刺激するものだったのだ。
 
「パーマンチップス」のカードは、調べた方によると、全部で140種あった。私も多少は集めたはずだが、実家で捜しても見つからなかった。しまってあるところがわからない。チップスを食べたあとの空き袋なら何枚も見つかったのに……。

80年代パーマングッズ+景品【写真13】
 本来なら捨てられるはずの空き袋はちゃんと保存してあって、通常なら収集の対象になるカードのほうが見つからないなんて、まさに本末転倒である。けれど、その本末転倒なところが、私の性格や価値観を如実に反映しているような気もする。

 「パーマンチップス」を買うと、店の人からカードを渡された。カードがあらかじめチップスの袋にホチキスでとめられていることもあった。そのさい、カードはカード用の袋に入っていた。そのカード袋は中身がまったく見えないようになっていて、どんなカードが入っているかわからない。ほしいカードを選んで集める、ということができなかったのだ。
 
 家に帰ってカード袋を開けて、持っていないカード、ほしかったカードが出ると非常に嬉しかった。反対に、同じカードがダブったりすると残念だった。家に帰るまで待ちきれず、店の前で封を開けたこともある。どんなカードかわかった瞬間の一喜一憂の感覚が病みつきになった。

カード本体は実家で捜しても発掘できなかったが、カード袋のほうはすぐに見つかった。

80年代パーマングッズ+景品【写真14】
 このカード袋の裏側に、たまに「当り」が出る。「当り」を葉書に糊づけしてカルビーに送ると、景品がもらえた。

80年代パーマングッズ+景品【写真15】
 景品は、カードアルバムだった。1冊に48枚のカードを収納できる。表紙・裏表紙のイラストを描いた人物は明記されていないが、その絵柄からして鈴木伸一氏だろう。チップスの袋のイラストも同様だ。
鈴木氏は、アニメ界の重鎮であり、藤子作品によく登場するラーメン大好き・小池さんのモデル人物としても知られる。『パーマン』とのかかわりが深く、80年代のアニメ『パーマン』に関していえば、劇場版『パーマン バードマンがやって来た!!』の監督・作画監督をつとめ、テレビシリーズでは監修として名前がクレジットされている。

 「パーマンチップス」の袋の裏側に記された説明書きを読むと、「当り」が出たときの景品は、カードアルバムだけではなかったようだ。もう一品、パーマンステッカーがあった。景品にパーマンステッカーがあったなんて、今回説明書きを読み返すまですっかり忘れていた。

 

80年代パーマングッズ+景品【写真16】
 最後に紹介するのは、「日清のミニカップラーメン パーマンおかしメン」だ。子ども向けに少量化したカップラーメンで、しょうゆ味とカレー味の2種類があった。
 ミニサイズなので、お湯を注いで2分で食べられる。スナック麺ということで、そのまま食べてもおいしい。一本一本の麺がかなり短くて、麺をズルズルとすすり上げる感覚はほとんど味わえなかった。

 「パーマンおかしメン」のカップのデザインは、私が保存している限りでは、しょうゆ味×1種、カレー味×1種の計2種類のみだった。ところが、そのフタは種類が豊富で、私が持っているだけでも、しょうゆ味で6種、カレー味で6種を確認できる。実際にはもっとあったのだろう。

80年代パーマングッズ+景品【写真17】
 フタをめくると見える裏面は、たいていの場合は無地だったが、時折「アタリ」と印字されていて、それを5点集めると景品がもらえた。私は5点到達に向けて「パーマンおかしメン」を食べ続ける日々を選びとった。

 念願の5点に達して応募し、しばらくして日清から送られてきた景品は、当時パーマングッズの景品としてもらったいろいろな品のなかでも最大級に魅力的なものだった。

80年代パーマングッズ+景品【写真18】
 景品の名称は、「パーマンわくわくセット」。パスケースのサイズ感に近い「秘密ケース」のなかに、6種類もの小さな遊び道具が入っている。その名称にたがわず、手にしたときのわくわく感が無性に大きかった。
 
 6種類のラインナップはこうだ。
磁石で金属にくっつけて楽しめる「くっつきパーマン」、名前や生年月日を書きこめる認定書「パーマンライセンス」、パーマンの知識を得られて暗号メガネで遊べる「パーマンものしり百科とおもしろ暗号ノート」、パーマンの目の部分から覗くと字が大きく見える「パーマンレンズ」、パーマンが光り宇宙人を呼ぶ(!?)けむりの出る「パーマンエスパーカード」、胸ポケットにつけられる「パーマンバッジ」。

80年代パーマングッズ+景品【写真19】
 薄くてさほど大きくもないケースのなかに、そうした数々のアイテムがきっちり収納されている。そのコンパクトで見事な収納具合に、まずわくわく感を引き起こされる。そのうえ、ひとつひとつの小さなアイテムが、愉快な遊び道具としてそれぞれに個性を持っているのだからこたえられない。
さらにケース自体にも仕掛けがあって、わくわく感が膨らむばかり。このケースは、なかに収納したアイテムが消えたように見えるマジック遊びができるのだ。
 薄くて小さいのに至れり尽くせりのサービス精神があふれている。その精神のおかげで、わくわく感が昂じて感動すらおぼえる。

 今回は、1980年代前半に登場した菓子・食品系のパーマングッズのうち、アタリや点数を集めて景品がもらえたものを紹介した。
アタリが出るかどうか…というくじ引きのドキドキ感、5点なり20点なりの目標に向かって突き進む高揚感、目標の点数が集まったときの達成感、集めた点数をメーカーに送ってから景品が届くまでの待ち遠しさ、景品の入った郵便物が自宅に届いたときの歓喜、郵便物の封を切って景品を取り出したときの興奮、その景品を手にとって愛でたり遊んだりする素朴な楽しさ。当時抱いていたひとつひとつの心の動きは、熱烈で特別でかけがえのないものだ。

いま冷静になって、当時のそうした体験や起きていた出来事を客観的に振り返ると、それほど大層なことだったのだろうか、という考えも生ずるが、そんな余計な冷静さは少し頭を振ったら霧散するものだ。むしろ、あれから30年以上の歳月を経たことで、思い出がますます美化され、当時の体験と感情がさらに熱く特別なものに思えるようになった。
歳月を経て美化されていく思い出が人生のなかにひとつでもあるなんて、悪くない。

 

 

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