味覚糖パーマンラムネの魅惑的な世界 ~菓子のパッケージを残しておくということ~ 稲垣高広
昨年(2016年)、藤子・F・不二雄の『パーマン』は誕生50周年を迎え、そのタイミングで単行本が刊行された。てんとう虫コミックス新装版『パーマン』全7巻である。
50年も前に誕生した作品が、現在になってもピカピカの新しい単行本として発売されるなんて、しかも子どもたちが手に取りやすい新書判のサイズで一般書店に並ぶなんて、非常に驚異的なことだと思う。『パーマン』という作品の、息の長い愛されっぷりを感じる(他のいくつかの藤子作品にも感じることだが)。
『パーマン』は、端的に言えばスーパーヒーローものである。怪力や飛行能力やその他もろもろの超人的な力を持った正義の主人公が、悪と戦ったり事件を解決したりする。そんなスーパーヒーローもののひとつである。
とはいえ、完全無欠のかっこいいシリアスなヒーローを描いた作品ではない。スーパーヒーローものをギャグ仕立てにし、ヒーローを親しみ深い身近な存在、ずっこけたところのある愉快な存在として描いている。
藤子Fは、スーパーマンを日常化したのが『パーマン』だと語っていた。主人公は平凡な小学生・みつ夫。彼がひょんなことから超人的な力を得られるマスクやマントを手に入れ、正義のヒーロー“パーマン”として活動することになる。
スーパーマンの日常化を試みた作品、平凡な小学生が正義のヒーローになる作品が『パーマン』だから、その舞台は、家庭や学校や子どもの遊び場や町内のどこかやその周辺、といった小学生の行動圏内である場合が多い。『パーマン』はスーパーヒーローものでありながら、あくまでも日常と地続きの感覚をベースにしているのだ。
しかしそれにとどまらず、もっと広い範囲で活躍したり、大きな事件・事故を解決したり、ときには海外でダイナミックな冒険をしたり、といった話もある。ギャグ仕立ての作品でありつつずいぶんハードな話もあるし、人間ドラマやラブコメの味わいを帯びた話もある。
図式的に言えば、『パーマン』という作品は横丁を舞台にした生活ユーモアマンガと、超人的な主人公が正義のために活躍するヒーロー冒険マンガを融合させたものであるが、非常に多くの話数があって、一話一話バラエティに富んだ物語を楽しめる。
パーマンに選ばれたのは、みつ夫だけではない。2号、3号、4号……とそれぞれに魅力的な個性をもつ複数のパーマンが力を合わせて活動する。チームワークや絆、交遊、衝突などパーマンたちの関係性を描いた話がいくつもある。『パーマン』はチームヒーローものの面白さももっているのだ。
『パーマン』には、大きく分けて2つのシリーズがある。1960年代に発表されたシリーズと1980年代のシリーズだ。ここでは便宜的に、1960年代のシリーズを旧『パーマン』、1980年代のシリーズを新『パーマン』と呼ぶことにする。(公式的には、旧も新も同じ『パーマン』というタイトルである)
旧『パーマン』は、1966年~1968年に小学館の学習雑誌や週刊少年サンデーなどで、新『パーマン』は、1983年~1986年に小学館の学習雑誌や月刊コロコロコミックなどで連載された。
そして、旧の時代も新の時代も『パーマン』はテレビアニメ化されている。旧の時代は、1967年4月2日から1968年4月14日にかけてTBS系列で放送された。アニメ制作会社は東京ムービーとスタジオゼロ。白黒の作品だった。
新の時代は、1983年4月4日から1985年7月2日(以後リピート放送)にかけてテレビ朝日系列で放送された。劇場版アニメも作られた。制作会社はシンエイ動画。カラー作品だった。
旧と新では設定が異なる部分がある。たとえば、旧で“スーパーマン”という名前だったキャラクター。彼は、パーマンを誰に任せるか選抜し、その対象者にパーマンセットを授け、パーマンたちをまとめる役割の超人である。そのスーパーマンが、新では“バードマン”という名前に変更されている。
パーマンが飛ぶ最高速度は、旧で“時速91キロ”の設定だったが、新では“時速119キロ”にアップされた。そして、パーマンの正体がバレたときの罰が“脳細胞破壊銃でパーにされる”から“細胞変換銃で動物に変身させられる”へ改変された。
旧に登場していたパーマン5号(パー坊)は、新ではいなかったことにされている。5号は赤ん坊のパーマンである。2号の正体はチンパンジーだし、こうした者たちにまでスーパーヒーローの役割を与えてしまうところも、『パーマン』という作品のユニークな面白さだ。
私は1968年5月生まれなので、旧『パーマン』をリアルタイムで楽しむことはできなかった。
旧『パーマン』のマンガは、初期の月刊コロコロコミックに再録されたり、てんとう虫コミックスのレーベルから単行本が出たりして、小学生のころ手軽に読むことができたが、それは連載が終わっておよそ10年も経過してからのことだった。旧のテレビアニメについては、再放送で観た記憶もない。一話分だけでもちゃんと観られたのは、大人になってからのことだった。
私がリアルタイムでぞんぶんに楽しめたのは、新『パーマン』のほうである。
1983年から始まった新『パーマン』が雑誌で連載されテレビで放送されていた期間、私は中学生から高校生にかけての年齢だった。一般的に見れば『パーマン』は児童向けの作品だから、私はその対象年齢から卒業していたことになる。だが当時の私は熱狂的な藤子不二雄ファンだった。卒業どころか、その世界にますます深く入り込んでいた。藤子不二雄に関係のあるものなら何にでも触れたかった。周囲の同級生や大人から「まだ藤子不二雄を観てるのか」「幼稚だな」とバカにされても、私は児童向けの藤子作品を熱心に浴びていた。隠れキリシタンのような思いにとらわれながらも、好きなものを好きでいる道を選んだのだ。
旧『パーマン』の時代も新『パーマン』の時代もキャラクター商品がたくさん発売された。私がリアルタイムで『パーマン』のキャラクター商品を集めることができたのは、当然ながら1980年代の新『パーマン』の時代である。当時中高生だった私は、使える小遣いが限られていたこともあって、玩具店に並んでいるような高価なパーマングッズは買えなかった。数十円から百円、二百円単位のこまごまとしたグッズ……、たとえば食品や菓子や文具や紙モノといったグッズを中心に買い集めていた。
食品や菓子のパッケージは、中身を食べ終わったらあとは迷わずゴミ箱行きになるのが世の常だろう。だが私はそういうものもとっておくことにした。食品・菓子系のグッズについているカードやシールなどのオマケを残しておくのは珍しくない行為だっただろうが、私は食品の袋や菓子の箱などパッケージも保存していた。おかげで、あれから35年近く経った今も、そういったこまごまとしたパーマングッズが家に残っている。
どのグッズも「残しておいてよかった」と思えるものばかりだが、なかでもとくに強くそう感じるのが、味覚糖のパーマンラムネ菓子だ。
味覚糖の商品といえば、個人的には“のど飴”のイメージが強い。今なら“ぷっちょ”を思い出したりもするが、私のなかでは、何よりも35年近く前のパーマンラムネ菓子の存在感が絶大なのである。
味覚糖のパーマンラムネ菓子の何が魅力的なのか。もちろん中身のラムネ菓子を食べられるところにもあったのだが、最大の要素は容器である。容器の形が非常にすばらしいのだ。私でなくとも捨てずに残しておきたくなるだろう。
パーマンラムネ菓子の容器は何度かモデルチェンジしている。私が知っている限りでは、5つのバリエーションが存在する。どれもパーマン好きの心をくすぐる造形で、菓子の容器でありながら、いっぱしの玩具並みの見栄えに仕上がっている。当時の私はワクワクしながら買い集めたものだ。
5つのバリエーションのなかで最も私の心をとらえたのが“パーマンマスクラムネ”である。その容器は、パーマンマスクのデザインを高いクオリティで立体的に再現している。
これを眺めていると、藤子・F・不二雄によるパーマンマスクのデザインがとびっきり魅力的であることを、あらためて実感できる。工事用ヘルメットのような、どこか見慣れたフォルム。クールに尖った耳がついており、目の部分が大きめにくり抜かれている。そのデザインは、身近でシンプルな親しみやすさ、丸みのある童心的なかわいらしさ、ヒーロー然としたかっこよさを兼ね備えている。
藤子Fは、『パーマン』が成功したポイントのひとつにマスクのデザインがあったと分析している。パーマンマスクの当初のデザインは、もっとスーパーヒーローっぽいものだった。だが、そこに親しみにくさを感じた藤子Fは、マスクの先のところを赤ちゃんの唇のように少しまくれたふうに変えた。そうやってデザインに幼児性を取り入れたことが、子どもたちに親しまれる要因になったというのだ。
そんなパーマンマスクのデザインを、このラムネ容器は見事にツボを押さえて立体再現している。今見ても、ほれぼれする造形だ。
パーマンマスクラムネの容器のカラーは、パーマン1号から4号のものまであった。サイズは真上から見て直径5センチほど、材質はプラスチック製だ。目の部分は紙製のシールで再現されている。このマスク型容器のなかに25粒のラムネ菓子が入っていて、定価は70円だった。
ラムネ菓子25粒で70円は少し高いが、容器の魅力を思えば安いものだ。物価の変動など時代状況の違いがあるので当時と現在を単純には比較できないが、もしこれが今70円で売っていたら、あまりの安さに興奮して大量購入してしまいそうだ。
マスクの左右についた黄色い耳のパーツがカパッと開くので、そこから中身のラムネ菓子を取り出して食べられる。中身を一度にすべて取り出したいときは、底面の黄色いパーツを外せばよい。耳の黄色いパーツと底面の黄色いパーツはつながっており、底面を外せば耳も同時に外れる仕組みだ。
パーマンマスクラムネに続いて紹介するのは“パーマンバッジラムネ”である。
その商品名のとおり、容器がそのままパーマンバッジの形になっている。「P」の字をベースにした、簡潔かつ洗練されたデザインのバッジである。目玉の模様がチャーミングだ。
定価は70円。パーマンマスクラムネと同じだが、内容量は30粒とマスクラムネより5粒多い。バッジの左下の角張った箇所を押すと、上方の尖った部分が開く仕掛けになっていて、その開口部からラムネ菓子を取り出せる。
この容器は、パーマンバッジ型の外観をただ眺めるだけではなく、玩具のように遊べる仕掛けがあるのが特徴的だ。
バッジ右下の尖った箇所が笛になっていて、吹くと「ピー!」という甲高い音が鳴る。バッジを振ると、黒い目玉がくるくる回る。そして、バッジの裏側にはフックがついていて、胸ポケットに引っかけることができる。実際にバッジとして使用できるのだ。
たった70円でここまでいろいろと楽しませてくれるのだから、サービス精神があふれている。当時は“バッジシーバー”“とんでけパーマン”“デチョンパ”といったパーマンバッジ型の玩具がいくつも発売されたが、そのなかにあって、最も安価な立体パーマンバッジ玩具がこのラムネ容器だったのではないか。
ちなみに、マンガやアニメの作中のパーマンバッジは、トランシーバーと酸素ボンベの機能をもっている。このうちトランシーバー機能については、現在、携帯電話というかたちで一般の人々にも広く普及していて、その生活への浸透具合には目を見張るものがある。
『パーマン』が最初に描かれた1960年代の時点では、こうした携帯型の無線通話装置を、少年少女も含めた一般の人々が当たり前のように所有するなんて、空想的な夢の出来事でしかなかっただろう。『パーマン』はスーパーマンの日常化を試みた作品だと先に述べたが、少なくとも『パーマン』で描かれた携帯型無線通話装置は、今や思いきり日常化している。
パーマンマスクラムネ、パーマンバッジラムネと紹介してきて、次は“ゆらゆらパーマンラムネ”である。
これも定価は70円。どうやらこのシリーズは、定価70円の枠組みで商品開発していたようだ。こんなに楽しくてクオリティの高い容器のモデルチェンジがずっとその枠組みのなかで行われてきたと思うと、企業努力や開発者のセンスに感服したくなる。
内容量は、マスクラムネが25粒、バッジラムネが30粒だったのに対し、ゆらゆらパーマンラムネは27粒。25粒とか30粒のようにキリのよい数字ではないところに、定価70円の枠組みを死守しようという執念を感じる。この容器で定価70円にしようと思えば、内容量は27粒にしなければならなかったのだろう。
飛ぶ姿のパーマンのシールが平らなパーツに貼ってあり、その平らなパーツの下にラムネ菓子の入った箱型パーツがついている。その箱型パーツをずらして中身のラムネ菓子を取り出す仕組みだ。
この品には、長さ7センチ弱の細長いバネが付属している。そのバネの先端を容器の下に差し込み、もう一方の先端部分を机や床などに貼りつけて固定すると、パーマンが空中でゆらゆら揺れる状態ができあがる。
パーマンが空を飛ぶ感じを愉快に再現していると思うが、パーマンの顔の角度が不自然に上を向きすぎており、そこが少し気になるところではある(笑)
続いて紹介するのは4種類めの品だ。これにはパーマンマスクラムネ、パーマンバッジラムネ、パーマンゆらゆらラムネのような品名の記載が見あたらないので、単に“パーマンラムネ”と呼ぶことにする。
パーマンラムネの内容量は、パーマンバッジラムネと同じ30粒。定価は、これまで紹介した3種と同じく70円である。定価70円の枠組みが、ここでもかたくなに守られている。
先に紹介したパーマンマスクラムネの容器がマスクのみを立体化していたのに対し、こちらはマスク部分の立体化だけでなく、その下に胴体がついている。パーマンの全身が容器になっているのだ。
とはいえ、胴体は単なる円筒形で、全身フィギュアとして見れば中途半端な造形である。それでもマスクはなかなか丁寧に立体化されており、これが定価70円の菓子の容器だと思えば、称賛したくなるレベルだ。言うまでもなく、この円筒形の胴体のなかにラムネ菓子が入っている。
マスクを上へ傾けると、パーマンが大きく口を開けたような格好になる。見方によっては、ゲームキャラクターのパックマンのシルエットを思わせる。この大きく開いた口からラムネ菓子を取り出す。
パーマンラムネのパーマン2号(ブービー)と4号(パーやん)の顔については、本来の彼らの顔に見られる鼻が描かれていないため、やや違和感をおぼえる。1号と3号(パー子)に関しては自然な感じだ。
1号から4号の腕のポーズがそれぞれ異なっているところにも注目したくなる。1号はしっかりと腕を組み、2号は自然に腕を下ろした感じで、3号は拳を突き出して空手の型のようなポーズをつくり、4号は両手を軽く重ねている。3号が最も戦闘的なポーズなのは、マンガ・アニメで見られる彼女の性格に準じているのだろうか。
この容器を見て「ぺッツみたい」と感想を抱く人も少なくないだろう。頭部だけが立体再現され胴体は棒のような細長い形状に簡略化されているところが、ぺッツのケースに似ている。ただ、こちらの容器にはペッツのケースのようなバネ仕掛けはほどこされていない。
そして最後に案内するのが“パーマンラムネヒコーキ型”だ。
内容量は25粒、定価は揺るぎなく70円。写真のとおり当時この品を買った店の値札シールが貼られたままだ。そこに65円と記されているが、これは定価から値引きした売値である。
こうして値札シールもそのまま残しておくと、見栄えはあまりよくないが、どの店でいくら払って買ったのかわかるので記録になるし、「あの店、今はもうないけど、よく買い物したなあ」などと懐かしさを実感しやすい利点がある。
私に値札シールを残しておくポリシーがあったわけではない。たまたま貼ったままにしておいたら、長い時間を経て結果的にそういう利点を感じるようになったのだ。
パーマンラムネヒコーキ型は、食べ終わって空になった容器を飛ばして遊べるのが最高のアピールポイントだ。なんとなくスペースシャトルに似た容器。それを紙飛行機のように飛ばして楽しめるのだ。容器の前方にテープでコインを貼りつけて重りにする。
容器のなかにはラムネ菓子のほかオマケのクリップが入っており、ささやかながらお得感を与えてくれる。
こうして味覚糖パーマンラムネ菓子各種を紹介してきて、あらためて「残しておいてよかった」との思いを強くしている。30年以上も前の品なのに、さほど古さを感じさせない。その出来栄えにうっとりとする。古さを感じさせないのに、それでも懐かしさにひたらせてくれるところも嬉しい。
それを思うと、パーマンラムネ菓子をいろいろと買って容器を保存しておくことにした当時の自分に感謝したくなる。未来の自分に感謝されることをやっていたなんて、当時の私も捨てたものじゃない(笑)
パーマンラムネ菓子の容器を手に取って眺めていると、当時感じていたワクワクとした楽しさが、現在によみがえってくる。現在の自分が当時に戻っていくような、当時の空気が現在の空気と触れ合うような、ちょっとした時空超えの気分だ。
私は「今より昭和がよかった」とか「あの頃に戻ってやり直したい」と思うタイプではないが、そんな私でも「あの頃の懐かしさ」にひたれる時間はじつに心地よい。ノスタルジーは、日々の生活で凝りの溜まった心をあたたかくほぐしてくれる効果がある。
人間が時間をさかのぼって過去の世界へ行くようなタイムスリップはフィクションのなかだけの現象だが、自分が少年時代に集めたこまごまとした品々が、胸がときめくほどのタイムスリップ感覚を授けてくれるのだから、なんと不思議でありがたいことだろう。
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『モッコロくん』を読んで藤子マンガに惹かれ、小学校の卒業文集には「ドラえもんは永遠に不滅だ!」と書きました。
中学で熱狂的な藤子ファンになり、今でもまだ熱烈な藤子ファンです。
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