ラクメキアそーさい/新井博之助

キミはおぼえているか?「放送当時の児童誌のガンダム」を!

公開日:ラクメキアそーさい/新井博之助

変身ヒーロー番組もアニメ番組も一緒くたに「テレビマンガ」と呼ばれていた1970年代、『仮面ライダー』などのヒットを受けて急増した児童向けテレビ番組を、専門に取り上げる雑誌が相次いで創刊されました。実写の番組では製作元から提供された素材のほか、各出版社による独自の撮りおろし写真がグラビアを飾っていましたが、対象が二次元のアニメ作品ではそうはいきません。加えて「平板なセル画のアニメは実写に比べて迫力に欠ける」と一段下に見られていた風潮もかつてはありました。
そこでアニメ作品の記事に起用されたのが、戦前からの児童誌の伝統の「口絵」の技法です。
戦記物の記事やプラモデルの箱絵などに見られた細密な絵画調でアニメのキャラクターがド迫力で描かれ、実写作品のヒーローに負けじとカラーグラビアを飾ることで、誌面のもう一方の重要な柱となっていったのです。
読者の関心をそそるコドモゴコロをくすぐるキャッチーな記事内容には欠かせない、大仰な表現とともに、テレビ児童誌は独自な文化を作り上げて行きました。
そしてそれは1970年代の末に放送開始された、いわゆるリアルロボットの神祖『機動戦士ガンダム』が扱われる際にも、もちろん例外ではなかったのです! リメンバー1970s!

 

『機動戦士ガンダム』オープニングより
『機動戦士ガンダム』オープニングより
ちなみにアムロのパイロットスーツが設定とは違い青く塗られているのは、テロップを目立たせるための対処だったそうです。

『機動戦士ガンダム』オープニングテロップには「掲載誌」として当時掲載権を持っていた講談社と秋田書店の雑誌名が表記されています。
そこに名を連ねている児童向テレビ番組雑誌の老舗、テレビマガジン(以下、テレマガ)では一体どういった扱われ方をしていたのだろうか? という素朴な疑問から。

 


テレビマガジン昭和54年5月号表紙。発売は1979年4月1日。

第1話放送開始の6日前の発売だった昭和54年5月号を紐解きますと、カラー5ページに渡り新番組お披露目記事が展開されております。トビラは関口猪一郎先生[1] … Continue reading、ガンダムの性能紹介に岡崎甫雄先生[2] … Continue reading、母艦ホワイトベースの紹介に田中愛望先生[3] … Continue readingの描き下ろしガンダム画稿が誌面を飾っていました。

 

テレビマガジン昭和54年5月号
テレビマガジン昭和54年5月号「機動戦士ガンダムの超戦力・超戦法」より
ド迫力の絵師は岡崎甫雄先生

「ガンダムの初陣は、サイド7に侵攻したザクの胸コクピットをビームサーベルで貫いて機能停止させて終了した」
というシナリオの情報を、昭和の伝統の児童誌口絵の流儀でサービスもりもりで描きおろすと、こうしたド迫力の仕上がりになるという。現在では希少になった文化です。
なんせ新番組ですから、今となっては広く知られているガンダム世界の用語も、テレマガ読者にはもちろん見たことも聞いたこともないシロモノです。

「モビルスーツ」は「ロボット」
「スペースコロニー」は「人工星」
「ジオン公国」は「てきジオン星」
ついでに「核融合」は「原子力」
という児童向の大胆な言い換えから「てきジオン星のロボット「ザク」がせめてきた」「ビームサーベル(ビーム光線のかたな)」というパワーワードが誌面に踊っています。テレビへの登場は地球に降りてからというずいぶん先だったはずのガンキャノンもウキウキです。
「ミノフスキー粒子」だの「ニュータイプ」だのは影も形もありません。
武器の威力の説明に「鉄」が多用されているのもひとえに読者層に分かりやすい表現を探った結果であろうと思われ、必殺のビームサーベルが黄色いのも、「ビーム光線というのは黄色いものだ」という当時の固定観念から?と想像するのも楽しからずや。
これまた描き下ろしのセル画で解説されているガンダムの装備やカラーリングに、企画時の仮タイトルが『ガンボイ』だった頃の初期設定や、玩具用資料の混在が見られるのも味ですね。
「ガン(銃)で武装して、フリーダム(自由)を守る機動戦士」という命名の名残?である「ビッグガン」は、本編でこそ装備されませんでしたが、キングレコードのテレビ版オリジナルサウンドトラックのジャケットにも登場しています。ガンダムハンマー原理主義者としましてはクローバーの玩具やセイカのぬりえやかるた、マンガショップより復刻版が刊行されている冒険王掲載の岡崎優先生のコミカライズなどで見られる、トゲが三本仕様なのにも注目したいところです。こちらは初期設定「熱線ヒート・ハンマー」の名残です。

児童番組がひしめいていた当時のテレマガでは、放送にあわせて後から出た資料に準じて設定が訂正されることはまれでした。ガンダムの設定全高は人間の10倍の18メートルですが、ガンダムを収納できる新メカのGアーマーの全長の設定が登場する11月号までは「30メートル」と記載されていたのでした。前々作の『無敵超人ザンボット3』のザンボエースと一緒ですね。当時の水準ではこのサイズでも「小型ロボット」という扱いだったのが昭和50年代のアニメロボットの設定インフレを物語っています。

 
テレビマガジン昭和54年6月号「機動戦士ガンダムカード」より
「地球連邦の星の一つ、サイド7」ときましたか

ガンダムのVアンテナが一貫して黄色なのも、セル塗りの内職さんの手間を減らすために?不採用となった初期設定の名残ですが『機動戦士Zガンダム』のガンダムマークII以降の機体ではアニメ設定にも反映されていますね。

 

機動戦士ガンダムカード
「たのしい幼稚園のテレビ絵本33 すごいぞ!機動戦士ガンダム」表紙
初版のガンダムの顔の塗りの修正や値上がりなどで表紙が3バージョン存在します

児童誌の記事のために製作された画稿や写真素材は、掲載雑誌の流通が終了した後に、別の書籍で再利用されることがあります。このガンダムお披露目記事もその例にしたがい、昭和54年8月25日刊行の「たのしい幼稚園のテレビ絵本33 すごいぞ!機動戦士ガンダム」といういい味のタイトルの幼児向け絵本巻末の「これがガンダムのすべてだ!」ページに武装解説のセル画が追加描き下ろし画とともにに流用されています。


「たのしい幼稚園のテレビ絵本33 すごいぞ!機動戦士ガンダム」より「これがガンダムのすべてだ!」
奥付に「構成・絵 日本サンライズ」としか表記が無いため追加描き下ろし画の絵師は不明です。

追加描きおろし画の部分の解説「じゅうぶん くんれんをつんだ、アムロがのる」というアニメ本編とのギャップや、ガンダムの頭部スリットの数がやたら多いのが御愛嬌です。「たのしい幼稚園のテレビ絵本」だけあって、絵本の内容もさらに幼児向けに、アニメ本編との設定や雰囲気とのギャップが大変なことになっているのですが、そちらの方の紹介はまたの機会に。こうした雑誌画稿の絵本などへ再利用は、ライバル誌のてれびくんなどでも頻繁に行われており、雑誌では2色刷ページ掲載だったのがフルカラーで再録されていたりと、追いかけ出すと奥の深いことになっています。

 


「たの幼テレビデラックス1 機動戦士ガンダム大図鑑」表紙
幼児向けなので「たたかえガンダム!地球の平和を守れ!」とのアオリ文句が踊っています

テレビ放送短縮終了後も続いた、おっきいおねいさんやおにいさんの支持を受けての、劇場版公開やプラモデル発売や同人誌即売会の隆盛など、空前のガンダムブーム時期を迎えた頃には、児童誌でも放送中のサンライズ作品そっちのけでガンダム記事にカラーページを割き、毎号描きおろし画稿が掲載されていました。そうした画稿を採録した「たの幼テレビデラックス1 機動戦士ガンダム大図鑑」が昭和56年12月30日に刊行。劇場公開時のテレマガやたのしい幼稚園の記事の画稿に加えて、本放送当時のテレマガ画稿にも脚光が当たり、上で紹介した岡崎甫雄先生の画稿が、関口猪一郎先生画と裏表で大判の巻頭折込ポスターに採用されています。

そのテレマガ昭和54年5月号のガンダム画稿を担当された3人の絵師。岡崎甫雄先生、関口猪一郎先生、田中愛望先生のうち、関口先生と田中先生はガンダム本放送から劇場公開後のブームを経て『ガンダムZZ』放送時期まで、テレマガにたくさんのガンダムシリーズの画稿を飾られましたが、岡崎甫雄先生のテレマガでのガンダム画稿は最初で最後になりました。岡崎先生はガンダム本放送時期は同じ日本サンライズ(当時)の『ザ☆ウルトラマン』の画稿をテレマガのライバル誌であるてれびくん誌にて担当されていた関係だと思われます。その後もガンダムの掲載権は講談社と秋田書店がメインで、小学館のてれびくんや学習雑誌を主に活動の場とされていた岡崎先生のガンダム画は本放送当時から劇場版の頃には見ることができませんでした。ガンダムも仮面ライダーもウルトラマンもトランスフォーマーもテレマガにもてれびくんにも掲載されている現在では隔世の感がありますが、かつては講談社と小学館の間はテレビ作品の掲載権の棲み分けは明確に線が引かれており、ライバル社の人気キャラクターを扱うのが悲願だった向きがあったのです。劇場版ではそこが特例として認められていたため、東映まんがまつりで講談社のグレートマジンガーと小学館のゲッターロボが競演、というスペシャルもあったのですがそれは別の話。講談社掲載の『ガンダム』のカウンターとしての小学館の『超時空要塞マクロス』掲載権獲得、という時期もありつつ。時は流れ、アニメブームの勃興と、いわゆるリアルロボットものの狂乱も疲れが見え始めた頃、閉塞を打ち破る回天の策として待望された、ガンダムの新作『機動戦士Zガンダム』が発表となり、講談社のみならず小学館にも掲載権が獲得されたのです。てれびくんで活躍されていた岡崎先生も『Zガンダム』の画稿を担当されることとなり、久々にガンダム画稿で腕を振るわれることとなりました。

 
てれびくん昭和60年8月号「ゼータガンダム対ガブスレイ 宇宙空間のかくとう」より
ド迫力の絵師は岡崎甫雄先生

ゼータガンダム登場のてれびくん昭和60年8月号では、相手をザクからガブスレイに置き換えたセルフリメイクのような、かつてと同じサービスもりもりなド迫力の画稿でゼータガンダムの勇姿を描きあげておられます。本編とのギャップもかつてと同様ですが、まあそこはそれ、カッコイイじゃないですか! 
てれびくん悲願のガンダム作品掲載のハズでしたが、読者層には『Zガンダム』はやや難しかったのか、描き下ろしカラー画稿はプラモ記事に取って代われ、昭和60年内いっぱいで掲載は終了、後番組の『ガンダムZZ』は掲載権獲得せず……という結果にはなりましたが、6年越しに見ることのできた岡崎甫雄先生のガンダム画稿は現在も変わらぬ魅力を放っているのです。

 

参考文献:
講談社 テレビマガジン昭和54年5月号
    テレビマガジン昭和54年6月号
    たのしい幼稚園のテレビ絵本33 すごいぞ!機動戦士ガンダム
    たの幼テレビデラックス1機動戦士ガンダム大図鑑
小学館 てれびくん昭和60年8月号

脚注

脚注
1 関口猪一郎(せきぐち いのいちろう)
テレビマガジンでは『マジンガーZ』以来長きにわたって活躍された、キャラクターの「眼」が命のベテラン絵師。実写・アニメを問わず設定画のイメージを膨らます手堅い画風で、『ガンダム』以降も『六神合体ゴッドマーズ』『太陽の牙ダグラム』『聖戦士ダンバイン』『重戦士エルガイム』『星銃士ビスマルク』、ガンダムマークII、ZZガンダムはもちろん、マンガ作品の『プラモ狂四郎』のパーフェクトガンダムに至るまで、紹介しきれないほどの「新ロボット登場!」のお披露目画像を担当。
2 岡崎甫雄(おかざき としお)
画風は美しい陰影、躍動感あるポーズと大胆なアングル、仮面やメカであっても色気すら感じられる独特な生物間が魅力的。「小学○年生」などの学年誌や幼児誌、てれびくんなど、小学館の雑誌で執筆された『ゲッターロボ』『超電磁ロボ コン・バトラーV』などはもちろん、『百獣王ゴライオン』『機甲艦隊ダイラガーXV』『宇宙大帝ゴッドシグマ』『光速電神アルベガス』など、今となっては若干マイナーな作品のロボットがこんなにカッコよくなるのか! と唸ってしまう印象的な作品が多数。
3 田中愛望(たなか あいぼう)
美麗なエアブラシ仕上げと物語性のある構図、迫力はありつつも端正な絵柄で、雑誌はもちろんプラモデル・玩具の箱絵、カードやめんこなどにも数多くの珠玉の作品を残されていながら、ネットではほとんど情報が出てこず、画集も刊行されていない絵師。正直、大ファンです!
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