あの頃の思い出をもう一度!~バックトゥ・ザ・80’s~ 1983年

公開日:たいむましんスタッフ

バックトゥザ80‘s-1983年

さあ、またやってまいりました。「バックトゥ・ザ・80’s」のお時間です!
「バックトゥ・ザ・80’s」第4回目は、1983年の世界へタイムトリップ!今回もその時代に起きた出来事やカルチャーなどを振り返っていきます。

前回は幅広い世代から愛される名作・名曲や、現在もシリーズが続く『ミニ四駆』や『ゾイド』が登場した1982年を振り返りました。

1983年にも、当時を体験した人たちが「懐かしい!」と思い返せるような出来事が待っています。
前回のあとがきで予告した「家族みんなで楽しめる家庭用ゲーム機」と「超人キャラクターの消しゴム」も登場しますので、ぜひ最後までお楽しみください!

1983年の出来事

1983年の出来事

1983年は昭和で言えば58年、干支は亥(いのしし)でした。
1983年には『チョコパイ』『カロリーメイト』『パックンチョ』など、今でもおなじみのお菓子がたくさん登場しました。

チョコパイといえば・・・
ケーキのようなふわっとした食感を楽しめる『チョコパイ』は、当時は高級品だったケーキを「手軽に食べられる」ことで注目を集め、ファミリー層を中心に人気を確立していきました。
『チョコパイ』は現在もスーパーやコンビニで購入できるお手軽商品であり、小さいサイズの『プチチョコパイ』や冬仕様の「白いチョコパイ」など、食のトレンドや季節の変化に合わせた様々な商品を展開しています。

トレンドといえば・・・

NHKの連続テレビ小説(朝ドラ)の31作目『おしん』が放送開始されたのは1983年4月でした。山形の貧しい農家に生まれた少女・おしんの人生を描いた本作は、平均視聴率52%、最高視聴率は62%と「テレビドラマ史上最も高い視聴率」を記録。さらに、日本だけでなく韓国や中国、シンガポールやアメリカなどの世界60ヵ国以上でも放送され、瞬く間に大ヒットドラマとなりました。
『おしん』の人気は凄まじく、舞台となった山形県ではまんじゅうやお酒などの土産物が販売され、漫画・アニメ・舞台など多数のメディア展開も行われました。これらのブームは「おしんドローム」と呼ばれ、当時の流行語大賞にも選ばれています。
ちなみに、『おしん』の放送と同時期には、平均視聴率約20%を記録した堀ちえみと風間杜夫共演によるドラマ『スチュワーデス物語』も放送されていました。

ブームといえば・・・
1983年はパソコンで文章を入力できるソフト「ワープロ(ワードプロセッサ)」ブームが起きた年でもあります。ワープロ自体は1978年から発売されていましたが、1980年頃からシャープや富士通などの大手メーカーが参入したことにより急速に普及していきました。

『おしん』やワープロなどの一大ブームを築き上げたアイテムや作品は、人々のニーズに合わせて展開の仕方や販売方法を変えていました。時代の背景に合わせて戦略を変えているのは、40年以上時が経った今でも変わっていないなあ…と思います。

1983年のカルチャー

1983年のカルチャー

1983年の音楽分野では、前年にデビューした「花の82年組」が次々とブレイクを果たします。中森明菜の『セカンド・ラブ』や小泉今日子の『艶姿ナミダ娘』など、80年代アイドルブームの勢いは衰えず、さらに盛り上がりを見せていました。
上記以外にも、松田聖子の『ガラスの林檎』や細川たかしの『矢切の渡し』、ラッツ&スターの『め組のひと』などもリリース。中でも『め組のひと』は倖田來未がカバーしたことでも有名であり、2020年代にはSNS「Tik Tok」で女子高生を中心に再ブームを起こしました。

アニメではSFアニメの金字塔『宇宙戦艦ヤマト 完結編』と、おなじみの『ドラえもん のび太の海底鬼岩城』が公開。同時期には劇場版第1作となる『うる星やつら オンリー・ユー』も公開されました。『うる星やつら』の放送は1981年~1986年なので、アニメの放送と同時に劇場版が公開されていたことになります。
毎年恒例の東映まんがまつりでは、3月に『まんがイソップ物語』『Dr.スランプ アラレちゃん ほよよ!世界一周大レース』が公開。アラレちゃんは1981年の『Dr.スランプ アラレちゃん ハロー!不思議島』以来、2年ぶりの劇場作品となりました。

洋画では7月に『スター・ウォーズ ジェダイの帰還』が公開され、第56回アカデミー賞では特別業績賞を受賞しました。1980年の『スター・ウォーズ/帝国の逆襲』以来3年ぶりの日本公開となった本作は、シリーズの完結編という事もあり、多くのSFファンを熱狂させました。
この他にも主題歌もヒットした『フラッシュダンス』や、現在もシリーズが続く人気シリーズ『007/オクトパシー』も1983年に公開されています。

邦画では実写映画『時をかける少女』が7月に公開され、主演を務めた原田知世は日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞しました。『時をかける少女』は、同タイトルの主題歌を松任谷由実が作詞・作曲したことでも話題になりましたね。
さらに、感動の実話がもとになった高倉健主演の『南極物語』や、薬師丸ひろ子と松田優作共演による『探偵物語』なども公開され、世代を超えて語り継がれる名作が揃っていた年でした。

1983年のヒット商品

1983年のヒット商品

1983年は家庭用ゲームに革命を起こしたあのゲーム機や、漫画が大ヒットし同時期にはアニメの放送も開始された消しゴムなど、今でも多くの愛好家がいるあのアイテムが発売された年でした。

当時の思い出を振り返りながら、1983年に流行ったアイテムの魅力について語っていきたいと思います!

ファミリーコンピュータ

ファミリーコンピュータ

ファミリーコンピュータ(ファミコン)は、任天堂から1983年7月15日に発売された家庭用ゲーム機です。
発売当初はまだ家庭用ゲーム機の市場は黎明期だったこともあり、そこまで話題ににはなりませんでしたが、今では普通となったカセットを交換して遊ぶスタイルや、任天堂以外にもサードパーティと呼ばれる協力メーカーから多彩なソフトが発売された事により後に、皆さんご存知の空前の大ブームを巻き起こすことになります。

父がファミコンに大ハマリしていて、夜中に目を覚ますと、真っ暗な中で父が麻雀を延々とやっていた記憶があります。

家にあった初代ファミコンがやりすぎで壊れて修理に出したときに、「修理には1週間かかる」と言われたのですが、そのときに父が取った行動は、なんと「1週間待てないから、もう1台買う」というもの!
普段は父の趣味にケチをつけない母が、「さすがにバカの所業」と父を怒り、普段は割と強権的だった父が「だって、我慢できなくて……」と肩を縮こまらせていた姿を今でも覚えています。

ファミコン発売時、父は35歳。今私はその年齢を超える大人になりましたが、今でもファミコンのゲームをやっているので(ファミコンのカセット現役です!)、「血だな……」と思っています。

いっち~

ファミリーコンピューターが発売された当時は、まだまだ家庭用ゲーム機自体が社会的にもそこまで認知されていたわけではなく、正直新しいおもちゃが出た程度の扱いでした。その後、任天堂によるサードパーティー展開により、任天堂以外のメーカーからも様々なゲームソフトが発売された事で盛り上がっていき、85年の「スーパーマリオブラザーズ」発売でその人気も大爆発!お店では品薄状態が続き、本体を買うために行列ができるなど今だに語られるファミコンブームが到来しました。

キン肉マン消しゴム

キン肉マン消しゴム

キン肉マン消しゴム(キン消し)は、バンダイから1983年にガシャポン(ガチャガチャ)で販売が開始されたカプセルトイで、当時人気のあった漫画『キン肉マン』に登場するキャラクターの姿を模したゴム製の人形です。
当時流行していた『スーパーカー消しゴム』にあやかって、「キン肉マン消しゴム」という名前が付けられました。

「消しゴム」はあくまで愛称であるため、文房具として使うことはできません。この時代の子どもなら、一度は「実際にキン肉マン消しゴムを消しゴムとして使って、まったく消えなくて、ただ鉛筆の跡がびゃーっと伸びた」という経験をしているかと思います。紙も消しゴムも汚くなるんですよね、あれ……。

ガチャガチャで売られていたキン肉マン消しゴムが欲しくて親にねだり、当然「こんなものにたくさんお金を使うな!」と怒られた私は、少ないお小遣いを貯めて握りしめてガチャガチャのところに行ったものです。

あまりにも回しすぎて、「出口から2つ奥の物」が次に出てくるというガチャガチャの仕様を理解できるようになったため、自分の欲しいものが出ると確信したときだけ回すという知恵をつけたのでした。

いっち~

当時、キン消しはお菓子屋の前に設置されたガチャガチャなどに入っていたため、よくお菓子屋の前にたむろしていた子供たちの間で、出てきたキン消しの内容で一喜一憂してました。当時ジャンプはお菓子屋でも売られていたので、早売のされる土曜日にはジャンプが届くまでの間、店の前ではキン肉マン談義で盛り上がっていたのを覚えています。

ドライビングターボ

ドライビングターボ

ドライビングターボは、1983年にトミー(現タカラトミー)から発売された据え置き型他のドライビングゲームです。
ハンドルとシフトレバーを実際に操作して障害物を避けながらコースを走るドライ便技シミュレーターで、本格的なドライブを楽しめるということで男の子を中心に人気を集めていました。

私の家にもありましたが、今の感覚で言うとものすごく画面はチャチだし、電池のもちも悪く、ギアやハンドルもどれくらいきいていたか……という感じですが、当時の私は夢中になったものです。

まだテレビゲームでもレーシングゲームはそれほど多くは販売されていない時期でしたし、音がまた格好良かったんですよね。
今は右ハンドルの外車もたくさんありますが、当時は「外車は左ハンドル」というのが当たり前で、しかも外車を持っている人はまだ少なくて……。だからこそ、「外車」を運転できたドライビングターボが余計に格好よく見えたのかもしれません。

捨てた記憶はないけれど、実家のどこにももうないんですよね。兄弟2人はやっていなかったから、私だけのおもちゃだったと思うのですが、どこに行ってしまったのか……。

いっち~

スクリーン上をスクロールするコースの上を、ハンドルに連動して左右で車が動くだけのゲームでしたが、シフトレバーに連動してエンジン音が変わったり、画面上のスピード表示や距離メータが動くなど、かなり凝った作りのゲームでした。最近、ゲーム的には全然違いますが、似たようにハンドルとシフトレバーで遊ぶ「トミカを運転!ハンドルドライバー」というゲーム機が同じトミーから発売になりました。

どんびえ

どんびえ

どんびえは、日本軽金属株式会社が1983年に発売した家庭用アイスクリームメーカーです。
本体内の冷却ポットを冷凍庫でしっかりと冷やしてから、そのポット内に牛乳や生クリームなどの材料を入れて付属のハンドルでかき混ぜるとアイスクリームが作れるという優れものでした。

私が保育園~小学生くらいのときに、「誕生日パーティーをおうちで開く」というのがブームになっていました。そのときに友達の家で、このどんびえを使った記憶があります。
もう35年近くも前の話なのですが、「家で、子どもの手で、アイスが作れる」というのがものすごく衝撃だったため、はっきりと覚えています(それ以外にもわたあめが作れる機械を持っている子もいました)。

私の母は一般的なお菓子としてのアイスを作ることは許してくれていましたが、こういうクッキングトイを買ってくれる人ではなかったため、「自分たちの好みに合わせて、その場でアイスを作れる」というどんびえを持っている友達が羨ましくて仕方ありませんでした。

いっち~

アイス以外にもシャーベットなども作れたどんびえですが、現在でもほぼ同じ構造でいろいろなメーカーからアイスクリームメーカーとして販売がされています。最近だと電動でかき混ぜてくれる物もあり、手軽にアイスを作れるようになりましたが、冷却ポットを10時間以上冷凍庫冷やす必要があるのは相変わらずなようです。

東京ディズニーランド

「夢の国」の愛称でおなじみの東京ディズニーランドがオープンしたのも1983年です。1983年4月15日に千葉県浦安市に開業されたディズニーランドは、オープン初日は小雨にも関わらず約2万5000人の来場者数を記録しました。

私は石川県の片田舎の出身なのですが、当時私たちの学区になぎなた部がありまして、姉がそこに所属していました。

なぎなた部は、北信越で石川県と新潟県にしかないため、自動的に全国大会に行けたんですよが、大会が終わった翌日にはディズニーランドに行けるという特典がついていたので、それを目当てになぎなた部に入る子もいました。

ただ逆に言えば、そのように何かきっかけがなければ行けない場所でした。40年前の東京は、石川県民にはやはりちょっと遠くて……今は鬼籍に入った母は、「一度ディズニーランドに行きたい」と言っていました。それもあってか、ディズニーランドのお土産のキーホルダーを一番喜んでいたのも母でしたね。

いっち~

東京ディズニーランドというと学校や地区の行事で遊びに行くことの多い場所で、お土産クッキーやチョコが入った缶や外箱は、見るだけでディズニーランド土産とわかるほど特徴的なものでした。特に缶はいろいろな用途に使えるので、今でも家にある方も多いのではないでしょうか。

あとがき

初登場から大ヒットを見せたものや、その後爆発的なブームを起こす物など、今でも聞いたり見たことのある物が多く登場した1983年。
『チョコパイ』や『カロリーメイト』などの今でもお馴染みのお菓子や、『時をかける少女』『スター・ウォーズ』などの名作映画の公開など。

こうして振り返ってみると、1983年に公開されていた映画は、今でもシリーズ展開が続いているものやリメイク版が制作された人気作ばかりですね。時代を彩った名作達が、これから先も色褪せることなく、たくさんの人に愛され続けて欲しいなあ…と思います。

そして、1983年は大ブームを巻き起こし、一世を風靡したファミコンやキン消しなどのアイテムも登場しました。ファミコンが登場してから家でゲームを遊ぶことが増え、家族や友達と一緒にクリアするまでやり込んでいたのが懐かしく感じます。
今は新しいゲームが次々と誕生している時代ですが、時には昔のゲームをプレイして、あの時の懐かしい思い出に浸るのもいいかもしれませんね。

そんな感じで今回は1983年について振り返ってみました。
本当ならまだまだ語りたいことがたくさんあるのですが、それはまた別の機会に語り合えればと思います。

さて、次回の「バックトゥ・ザ・80’s」は1984年を振り返ってみたいと思います。
1984年には「緑の野菜から生まれた人形」や「目覚まし時計を動かすゲーム」が登場しますので、ぜひお楽しみに!

では、最後までお読みいただきありがとうございました。
次回もタイムトリップして、懐かしい思い出を一緒に辿りましょう!

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