日本を代表する漫画家紹介 -赤塚不二夫-
赤塚不二夫は日本を代表するギャグ漫画家である。
赤塚不二夫は旧満州に生まれる。敗戦後の混乱の中、父親はシベリア抑留となり、赤塚不二夫は母親と兄弟とともに日本へ帰国する。帰国直後に妹が病死し、赤塚不二夫にとってこの引き上げは強烈な記憶として、後の創作活動にも影響を与えた。
奈良県大和郡山へと移り住んだ赤塚不二夫は、貸本屋で手塚治虫の『ロストワールド』を読み、大きな感銘を受ける。満州からの引き上げ、大和郡山での生活、そして手塚治虫の漫画が赤塚不二夫の原風景であり、この頃に出会った人々が後に創作されたキャラクターの原型となった。
新潟県に移り住み、中学を卒業した赤塚不二夫は映画の看板書きとなり家族の生計を支えるが、18歳で上京し工場勤務となる。働きながら漫画を投稿していた赤塚不二夫は石ノ森章太郎に声をかけられ、肉筆同人誌である墨汁一滴に寄稿する。これが縁となり、赤塚不二夫は石ノ森章太郎の手伝いとしてトキワ荘に入居することになった。
■トキワ荘時代
赤塚不二夫は石ノ森章太郎の手伝いの傍ら、貸本の少女漫画を発表する。既に貸本が下火となっていたため原稿料も安く、また思ったような漫画を描くことが出来なかった赤塚不二夫は漫画家を辞めキャバレーのボーイに転職しようかと考えるが、相談に乗った寺田ヒロオの励ましと支援を受け、漫画家としての活動を再開する。
1958年、まんが王で発表した「ナマちゃん」が少年誌で初の連載作品となり、無名の漫画家から新進気鋭のギャグ漫画家として台頭することになった。
■ギャグ漫画の王様
1962年には「おそ松くん」と「ひみつのアッコちゃん」を発表。2018年現在まで度々リメイクされる両作品は赤塚不二夫の代表作であり、赤塚不二夫を日本を代表するギャグ漫画家として出世させた作品である。
1960年代は赤塚不二夫の当たり年であり「天才バカボン」「もーれつア太郎」といった大ヒット作を連発し、また1970年代以降にはリバイバルブームで複数回アニメ化される事になる。
■レッツラゴン
1971年、これまで子供向けギャグ漫画を描いて来た赤塚不二夫は、作風を一変させた「レッツラゴン」「ギャグゲリラ」を発表する。ナンセンスでシュールな内容はこれまでの赤塚不二夫漫画と全く異なっており、多くの読者を驚かせた。赤塚不二夫自身は「レッツラゴン」を一番好きな漫画であると後に語っている。
また1974年にはこれまでのギャグ漫画への貢献から、集英社で新人ギャグ漫画家の登竜門として赤塚賞が設けられた。
1980年代以降はリバイバルブームで多くの漫画作品がアニメ化され、また2015年にはおそ松くんを原作とした「おそ松さん」がアニメ化されている。
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