われらみなビートルズの子(松田聖子の中のビートルズ)

公開日:ボッサクバーナ

1.ビートルズの残り香~聖子の中のビートルズ

 僕は10年遅れのビートルズ世代。ビートルズの名前だけは赤ん坊の時から知っていたけど、彼らは僕らが思春期に入るころには既に解散してしまっていた。
 もっとも、大瀧詠一曰く、”ビートルズ世代”とは、その実は‟橋幸夫‟世代(苦笑)、ビートルズの衝撃をモロに受けたのは、この世代のコアな少数派音楽ファンだけだったらしい。その通りかもしれない。文化的な衝撃を社会が受け入れて、影響が広く浸透するには、ある程度の時間が必要だから。
 だからビートルズ解散3年後の僕の中学では、その残り香がまだプンプン、ビートルズは完全多数派となり(そして歌謡曲ファンは、そんなことを言い出せずに地下に潜ったのだ(苦笑))、ビートルズを聴いて、その話題に加われるようでないと、級友たちに相手もされない、そんな感じだったね。それまで、積極的な音楽への関心も無く、洋楽など聞いたこともなかったけど、友人に頼み込んでレコードを借りて、必死に聴きまくったよ。
 つまり僕の音楽への目覚めはビートルズだったし、その後は自分でレコードを買って、彼らの音楽を浴びるように聞いたものだ。

 で、松田聖子。彼女と僕では、僕の方が少し年上だが、その年の差は、仮に出身学校が同じなら中学と高校で一年だけだが同じ学校生活を送れたという程度。つまり同世代のはずだが、残念なことに、松田聖子となる前の蒲池法子さん、彼女の経験はかなり違っていて、あくまで歌謡曲大好き少女、ビートルズを始めとした洋楽に夢中になった経験はなかったのじゃないか?そんな風に僕は想像している。
 僕が10代半ばだった頃は、女子洋楽ファンにアイドル視されていたのはベイシティローラーズ(覚えていますか?)、今やロック・レジェンドとなったクイーン(あのイロモノと小馬鹿にされていた歌謡曲バンドが!)、でも彼らのことさえ聖子の口から出るのを聞いたことがない。おそらく、プロ歌手になって以後、初めて本格的に洋楽を聴くようになったのだろうな。
 その後、特に80年代後半から90年代いっぱいのアメリカ進出時代は、聖子が最も意識的、積極的に洋楽を自分の音楽にとり込んだ時期だが、その頃、彼女の口から出る洋楽アーチストはまず、マドンナ、マイケル。あとビリー・ジョエルか。武道館で一緒にステージに立っているね。だがビートルズの名前を僕は聞いたことはない。実際、聖子が今までに発表した洋楽カバーアルバム、Eternal 1&2 そしてSeiko Jazz 1&2、そのどちらにもビートルズナンバーはもちろん、メンバーのソロ作品からも一曲も収録されていない。

 しかし、そんな聖子もアイドル全盛時の80年代前半にはテレビ番組でのパフォーマンスやコンサートのレパートリーとして幾つかのビートルズ曲を歌っている。例えば:‐

 1.1981年5月25日、ミュージックフェアで海援隊との共演でのビートルズメドレー
(リンクは動画サイトへ、以下同じ)曲目:Let it be, All my loving, Ticket to ride, Obladi-oblada
 2.1981年秋ごろか?レッツゴーヤング、桜田淳子との共演でYesterdayを。
 3.1982年12月31日の紅白歌合戦でのアトラクション、郷ひろみや岩崎宏美に交じってのビートルズメドレー

 ただし、ここで聖子はソロを取っているわけではなく、見せ場は当時の恋人、郷ひろみと手を取り合ったダンス。なお、You Tubeではレッツヤンとしてあがっているが、これは間違いなく、紅白の時のものだ。

 またコンサートとしては1983年前半の次の二つのコンサートでビートルズメドレーを歌っている。

 1.1983年初頭の沖縄コンサート
 2.1983年5月のFM東京でのコンサート
   曲目はYsterday-And I love her- Hey Jude

 時期も近いこともあり、多分、このころのコンサートツアーでのレパートリーだったのだろう。だから、取り上げる曲もバックの演奏の編曲も同じ。そして僕の知る限り1981年の春のツアーではObladi Obladaをレパートリーとして取り上げている。

 これらのパフォーマンス、どれも一般的によく知られた曲ばかりで、音楽的なこだわりを感じさせる選曲ではないし、その編曲にしても深い突っ込みを感じさせる特別なものにもなっていない。 
 テレビ番組は仕方ない。視聴者が聖子のファンや音楽マニアに限られるわけではないからね、ただビートルズ曲を歌うというテレビ側の企画に乗る、乗らないの選択は多少とも聖子側にもあったはずでしょう?そして少なくとも、聖子はノーではなかった。
 一方で、最近の若松宗雄さんのYouTubeでのコメントによれば、コンサートでのレパートリーの選曲は、聖子自身の意向が強く反映されていたという。あまりに平凡な選曲には、特にビートルズを聴きこんでいない聖子にも、十分に耳に馴染みがあり、曲を覚える手間や、リハーサルの負担を軽減できるという意図もあったのかもしれない。
 だが、それまで聖子のコンサートではかなりマニアックな曲が、ごく普通に取り上げられているし、当時のバックバンド、コンソレーションは幅広いレパートリーを持つ腕利きの集まりだ。ビートルズ曲に限って手を抜く(?)理由があるとも思えない。
 とすれば、この時期、聖子はビートルズの音楽に、何らかの積極的な意味を感じていて、そこには彼女の音楽に対する意志的な姿勢が表れていると考えるべきではないのだろうか。

 聖子の歌ったビートルズ曲、紅白でのアトラクションは別だけど、実はTicket to rideの一曲を除いて、すべてポールの曲だ。ポールの曲は、音楽的に凝ってはいてもメロディーにくせがなく、親しみやすいものが多く、彼の歌い方もジョンに比べれば、ハードな分は控えめな場合も多く、甘さを感じさせるものだ。そうした音楽を好むのは聖子の一貫した傾向だ。
 ついでに言えば、もし聖子の生年が10年ほど早くてリアルビートルズ世代真っ只中だったら・・・良くも悪くもミーハー気質の聖子はビートルズに夢中になっていたことは大いにありうる。その場合、ビートルズの誰に夢中になったろうか。僕はポールだと思う。明るさと同時に捻くれを強く感じさせ、歌には哀感を漂わせることの多いジョンよりも、可愛いお坊ちゃん顔、王子様系の見てくれで、作る音楽も王道的にポップなポールこそが彼女の好みだろう。きっと聖子は何の予見もなく聴いたビートルズの曲の中で、彼女が特に気に入ったものを1983年に”今、歌いたい”と選んだと思うのだ。

 実際、FM東京でのコンサートでは、ビートルズマニアとして名高い、共演者の杉真理を紹介する時に‟私もビートルズが好きですけど、私以上にビートルズが大好き”というコメントを付け加えているし、来生たかおにも”ビートルズをずっと聴いていたのでしょう?と質問をし、来生さんから“特にポールの影響を受けている”という興味深いコメントを引き出してさえいる。コンサート中なので話がそれ以上続かなかったが。
 そして聖子の歌を聴けば、手を抜いたり、惰性で流しているところは一切なく、とても素直で真摯に歌に向き合っているのがわかると思う。‟ビートルズが好き”という彼女の言葉は単なるコンサートでの観客向け以上のものとして受け取って良い。
 今回、聖子がビートルズ曲を歌う動画を改めて見返す中で、武田鉄矢とのTicket to ride、ジョンのちょっとヒネた哀感のあるメロディーが意外に聖子のこの当時の声質によく合っていることを発見して驚いた。初期ビートルズのドライブ感の強いロックンロール曲とともに、ジョンの‟ガール‟とか‟恋に落ちたら”のようなジョンのバラードも歌ってもらえていたら、とても興味深いものになっていたと思うけど、どうだろう?

 おそらく、80年代前半の音楽的に成長真っ只中の聖子は、音楽に携わるプロとして、テレビの番組のプログラムの中で、ツアーのレパートリーやバンドの仲間からの情報から、そして自分に与えられる多くの新曲のインスピレーション源としてビートルズを知り、音楽的好奇心もたっぷりに、同時に吸収してゆくべき課題として、目の前に新たに開かれたビートルズの音宇宙を彼女なりに楽しんでいたに違いない。
 もちろん、殺人的なスケジュールをこなしていた聖子にビートルズのオリジナル・アルバムの一枚一枚を丹念に聴くような時間があったとは思えないし、他にも興味惹かれる音楽もたくさんあったろうけれど。

 そして、この時期、ビートルズの音楽が確実に深く聖子に浸透するもうひとつの回路があった。それは聖子が歌うオリジナル曲の中のビートルズ成分とでも呼ぶべきものだ。
 よく言われるように、聖子の音楽を支えていた聖子プロジェクトのメンバー、例えば松本隆や財津和夫はビートルズに深い影響を受けて音楽活動を始めた人々であり、この二人以外でも、はっぴいえんどのメンバーやユーミン、小田裕一郎や三浦徳子を含めて、ほぼすべての人たちもいわゆる”ビートルズ世代”の人たちばかり、彼らの作る音楽にビートルズが入り込まないわけがないのだ。付け加えれば、後年の僕が大好きなアルバム、‟永遠の少女‟のプロデューサー、川瀬秦雄は日本で最高レヴェルのビートルズ研究家であり、ビートルズコピーバンドのリーダーでもある。

 そんなビートルズ成分の例は具体的に幾つか挙げてみようか。
 まず、頭に浮かぶのはアルバム”風立ちぬ”の中の”いちご畑でつかまえて”。J.D.サリンジャーの有名なあの小説とともにStrawberry fields Foreverからも曲のインスピレーションを得ていることが明白だ。ラリっているような浮遊感あふれる摩訶不思議な曲調や曲の最後の部分でいったん聖子のスキャットがフェイドアウトした後、再び現れている展開に、”やったな!”と思わずニヤリとした(当時の)音楽少年は僕だけでないよな。
 また同じアルバムの”流星ナイト”の出だし、流れ星が落ちるようなイントロに続くギターのフレーズはHere comes the Sunの間奏の印象的なギターのリフを借用したことも、同年代の音楽少年、そして今やジジイたちはすぐ気が付いたはず。そう言えば流星ナイトのメロディー、少しばかりジョージのこの曲に似ているかな?おそらく、こうした聖子曲の端々に散見されるビートルズ成分は、僕より遥かに音楽的知識を持つ方ならいくらでも指摘できるに違いない。

 そして何よりも”風立ちぬ”以前、声変わり前の最初期聖子の、全身が声帯になったかのように震わせて少年の脳髄を直撃するようなあの歌声。それこそがやはり、世界中で当時の少女を失神させていた最初期ビートルズとの共通点を僕に感じさせる。
 聖子のこの頃の歌というと、コニー・フランシスなどの60年代初期のアメリカの女性歌手が引き合いに出されることが多いし、実際に製作者側はそのラインを狙っていたらしい。でも、結果として出て来たものはそんなに似ているか?みなさん、ピンときます?
 僕は”ビートルズ”以前のコニー・フランシスとそれ以後の聖子の間には大きな差があるように聞こえる。コニーの歌の基本は依然としてジャズ、ビートルズ以後、既にポップ化したロック唱法が一般化してからの聖子とでは、同じ泣き節と言われても、声質から来るその響きが違ってくるのだ。
 聴き返してみて欲しい。この頃の聖子の声が変声期以前の少年的な中性的な少女声なのに対し、コニーはやはりジャズで主流の成熟した女性声だ。だから聖子の泣き節は、コニーよりもビートルズのジョンやポールの少年性を強く残した、それゆえに弾ける若さを強く感じさせる声により近く、特にアップテンポ曲では大人声のコニーが言葉を放り出すようなはすっぱさで若さを演出するのに対し、聖子もビートルズも、言葉を放り出さず、声と曲の一体になる疾走感で若さ、切なさを出す。
 アルバムSilhuetteのオープニングナンバー、オレンジの香り~Summer Beachは、聖子の吹き込んだ数多い曲のなかで唯一、キーボードなし、ドラム、ベース+ツインギターという純ロックンロール編成のバック、曲調自体はビートルズというよりビーチボーイズ的なものだが、ここでのヴォーカルはコニー以上にジョンの方がよりしっくり聴こえるはずだ。

 そもそも欧米や日本、さらにはインドネシアや韓国や台湾も同じだと思うが、意識的かどうかは別にしてビートルズの影響がない大衆音楽や音楽家なんて、極言すれば世界中にいないのじゃないか?
 ビートルズがいなくても松田聖子という歌手は存在したかもしれない。だけどその在り方は全く違うものになったに違いない。え、そんなものかって?でもね、1989年以降の歌謡曲アイドルから自作自演歌手への変身や、その頃にしばしば見られた、ファンなら容易に想像がつく私生活の体験をそのまま赤裸々に反映したかのような詞作やそれに基づく音楽作り、これだって、ビートルズによって、もちろん彼らだけじゃないけど、60年代から70年代初頭に確立された大衆音楽文化のパラダイムなしにはありえなかった。
 聖子がこの時、ビートルズの影響とか、まるで私小説のようなジョンのソロ作品を意識していたとは思っていないよ。きっと、当時のニューミュージックの自作自演歌手、特にユーミンへの強い羨望から起きたものだろうさ。だが、職業作家の作品を歌うよりも、演者自身が自分自身の思いを自作で表現した方がより尊く、それは商業的にも十分に成り立つべきだ、というミュージシャンの希望と確信のごたまぜになった規範の成立は、ビートルズの音楽的、商業的な桁外れの成功があってこそのものだ。

我らみな、ビートルズの子。聖子もまたそのひとり。


(画像出典:会報「PePe」11号表紙より)


2. The spicy Beatles ~

 最近は米津玄師とか藤井風とか日本の若い人に面白い音楽を作れる人が沢山出ているらしい。
 このふたり、YouTubeで幾つかの曲を聴いただけだが、曲、歌、サウンド、どれも感心してしまった。よほどCD買おうかと思ったけど・・・やめた。だって、聴いている時間なんか無いだろうから。今までに買い溜めたままで聴いていないCDやレコードが一杯、山のようにあるんだ。
 それだけじゃない、散々、聴き返して、もう聴き返すまでもなく、音の隅々まで脳内再生が可能だと思っていたもの、例えば、ちょっと前のことだけど、松田聖子のアルバム‟風立ちぬ‟を聴き始めたら、これが面白くて止まらない。はっと気がついたら休日一日がこの一枚だけで終わってしまった。いかん、僕の小さな部屋の棚の目の前にあるレコードやCDの一枚一枚の中にどれだけの音宇宙が拡がっているのだろう、時間がいくらあっても足りないじゃないか。
 だから決めた。時間も限られているんだ。新しいものを追いかけるよりも、今まで通り過ぎたものをもう一回、丹念に辿って、必要なら立ち止まっても、引き返しても良いから、それらをきちんと楽しもようや。積み残しはできるだけ片付けよう。多分、それさえも実際には出来きれないだろうけど。

 そんなわけで、振り返り、取り組みたい音楽は、たくさんあるのだけど、その筆頭はビートルズとかジョン・レノンのソロのものだ。
 一年ほど前のことだけど、ベトナム系フランス人のギタリストとパリ在住の韓国人ジャズ・シンガーによる妙チクリンなエリナ・リグビーのカバーを見つけた。これが面白くてね、比較のためにオリジナルと、それが収録されているビートルズのリボルバー、最近はすっかりご無沙汰していたのだが‐これ、久しぶりに聴いたら、これまたいくら聴き直しが止まらない(苦笑)。
 人生最初に聴き狂った音楽だから、いつの間にか失くしてしまった初恋の人の写真を見つけたような懐かしさに惹きつけられたのも事実だけど、それ以上に音楽の魅力自体がすごいのに驚いてしまった。リンゴのドラム、これが良いんだなぁ。ジョンやポールのヴォーカルの素晴らしさなんて、わかり切っているつもりだったけど、オレ、それ本当に分かっていたのかよ!って思ったね。もちろんジョージのギターもだ。と、同時に良質なカバーの面白さにも気が付いた。だってそれらはビートルズの持っている、ある一面の良さをさらに拡大して教えてくれる。だからよいカバーを聴くと、同時にオリジナルがもっと面白く聞けるようになる。
 そんなわけで、ビートルズ曲の面白いカバーをかき集めてみることにしたんだ。一緒にオリジナルも聴きながらね。

 以下は、僕が選びだしたビートルズ曲のカバー、すべてYouTubeで聴くことができる。一応、全曲でCD一枚に収まるトータル70分ほどにまとめてあるし、アーチストも音楽スタイルも色々と異なるビートルズカバーができるだけスムースに耳に入るよう、曲順も考えてまとめたつもりだ。

(1)Something:James Brown(ジェームズ・ブラウン)

 ジェームズ・ブラウンはいつだって全身で叫び、むせび泣き、訴える、俺を愛してくれ!と。それはジョージが呟くように歌った繊細な恋歌でも変わらない。“奴は歌っちゃいない、わめき散らしているだけだ”そんな批判にさらされることもしばしばだったらしい。だがJBは言う、“オレの叫びはちゃんとコードに乗っているんだ”。
 あのファンクの帝王、JBによるビードルズカバーなのだから、もっと評判になって良さそうなものだが、何故かあまり知られていない。ソウル、R&B系の歌手は、元々のメロディーを吹き飛ばして、自己主張を前面に打ち出して歌うものが多いが、JBのここでの力業は更に格別。しかし、そのパワーに目が行き勝ちだが、繊細さを決して失ってはいない。作者のジョージはこの曲の多々あるカバーの中で最も好きだと言っている。1973年のシングル”Think”のB面として発表された。
ジェームズ・ブラウン
(スーパーマンか?この過剰さがJB)


(2)Don’t let me down:Charlotte Dada(シャーロット・ダダ)

 カウベルのような金属性の打楽器が織りなすサンバのようなイントロに導かれて、歌い出すのは10代から20代前半と思しき女性、シャーロット・ダダ。1970年前後にガーナで歌っていたらしいが、インターネット上でも詳しい情報は何もない。
 アフリカ音楽が世界に紹介されだして間もない頃、1960‐70年代初期のアフリカ・ポピュラー音楽のコンピレーションが何枚か出たが、この曲はそんなアルバムのひとつに収録され、評判になった。だが、このCDもとうに廃版、今や入手も難しいだろう。ジョン(そしてハーモニーをつけるポールの)の屈折が二重にも三重にもなった挙句、結局、心情がストレートに出たような歌声に対し、彼女は臆面もなくストレート。

いくら探してもシャーロットの写真はこれしか見つからない!
(画像出典:https://www.discogs.com/fr/artist/1733471-Charlotte-Dada)

 

(3)All My Loving:Prince Buster(プリンス・バスター)

 プリンス・バスターはレゲエの前形態である60年代ジャマイカのスカ‐ロックステディ期のスターであり、大物プロデューサーとしてその後のレゲエ時代も活躍し続けた。
 僕にとっては、レゲエというとジャマイカの貧民窟の悪ガキの思い詰めた音楽というイメージだが、ここでのプリンスはとても可愛い。短いけどポールにも負けない、若く、甘く、切ないヴォーカルだと思う。悪ガキにも甘酸っぱい青春はあるのだ。

(画像出典:https://ototoy.jp/feature/20180712)

 

(4)Hey Jude:Assagai(アサガイ)

 アサガイは亡命南アフリカとナイジェリア人の英語圏アフリカ人による混成バンドで70年代のロンドンのアンダーグラウンドで活躍を始めていた。実は80年ころには日本にも紹介され(当時の日本の音楽界は何とオープンだったことか)、当時はアフロロックと呼ばれ、この曲は評判になった。
 歌詞はヨルバ語で、僕にはカリブ海音楽(カリプソ)の影響がとても強く感じられる。ギターの鈴のような音色と弾むピアノで刻まれる軽快なリズムに、すっとぼけたヴォーカルを乗せ、パンチのあるホーンが祝祭感覚を盛り上げる。数多くのビートルズカバーの中でも最上位、というかオリジナルを超えてないか?

(5)Day Tripper :イエローマジックオーケストラ(YMO)

 ビートルズのオリジナルは彼らの初期の傑作だと思う。若々しいハーモニーとキャッチ―なギターリフ。比較のために聞きだしたら止まらなくなってしまった。
 対して、YMOは無機的に見せかけたデジタルビートとシンセサイザーの音色、そして抑揚を殺したような高橋幸宏の不気味なヴォーカルが衝撃的だったが、今、改めて聴くとデジタルビート一辺倒でなく、そこに生ドラムのタイトなリズムを組みたリズムのマジックがあったからこそ、それらが生きていたことがわかる。

(80年代リアルタイムを生きた僕らにYMOといったらこれでしょう。↑)

 

(6)I am the walrus: Die Tosen Hosen

 このバンドはドイツ、デュッセルドルフのパンクバンドらしいが、僕は詳しいことは知らない。 僕はこのI am the walrusという曲が大好きで、何か面白いカバーは無いかとYou Tubeを探して見つけた。
 このバンドがビートルズの曲の良さを引き継いでいる以上にビートルズ、特にジョンには元々、パンク的な側面を色濃くもっていて、オリジナルの複雑なアレンジでなくても、曲が十分に生きることがわかる。

 

(7)Tommorow Never Knows:Monsoon(モンスーン)

 ビートルズへの愛情溢れるオマージュ映画イエスタデイ(見ましたか?)の主人公、冴えないミュージシャンがインド系イギリス人で驚いたが、この曲のヴォーカルもインド系。
 モンスーンは1980年代初期に、インド系のシーラ・チャンドラをヴォーカルにすえ、インド音楽のエスニックな香りを取り入れた評判を呼んだニューウエーブのバンド。この曲を含むアルバム一枚で解散、その後、シーラ・チャンドラはインドとイギリスの伝統音楽を掛け合わせたヴォーカル・ミュージックを発展させていたが、今は喉を痛めて引退してしまったようで残念。
 後年のシーラの高度なヴォーカルテクニックを駆使した芸術作品も良いのだが、この初期のニューウエーブ系エキゾチックアイドル(?)だったシーラが僕は大好きだ。ジョンの原曲がインド音楽の影響で書かれていたのだから、このカバーは必然。

(画像出典:https://www.amazon.co.jp/Monsoon-Featuring-Sheila-Chandra/dp/B000001ECV)

(8)Elenor Rigby:Nguyen Le & Youn Sun Nah(グェン・レー&ユン・ソナ)

 ビートルズの名曲をベトナム系フランス人のギタリスト、グェン・レーは思い切りアジア風に作り替えている。こんなカバーができるのはパリで生まれ育ったベトナム人だからこそだろう。
 アジア風といっても単純なものでなく、レーのルーツであるヴィエトナム風が中心ではあるものの、インドネシアのガムラン風な趣もあり、またバックのミュージシャンの中にはアルジェリア系もいるので、その要素も混じっている。
 そしてヴォーカルを取るのは、韓国出身ではあるが、フランスでデビュー、主にヨーロッパで活躍中というユン・ソナ(Youn Sun Nah)。ディアスポラ(故郷の喪失と離散)の民による孤独な人々の歌。

(画像出典:https://www.youtube.com/watch?v=98BM3VaOG0k)

(画像出典:https://www.fnac.com/a5347118/Youn-Sun-Nah-Lento-CD-album)

 

(9)Come Together : Keng Tachaya

2020年、突然現れたThe Thai Beatlesというタイからのアルバム、ビートルズ音楽を、強引に異文化の民族音楽的なアレンジで落とし込むという方法は、ワールドミュージックが一般化した現代では決して珍しいものではないのだが、このCome Togetherではその完成度の高さに感心させられた。
 タイの民謡独特の発声で歌っているらしいが、一聴するとビートルズ曲との落差にお笑い狙いの冗談音楽?と思わされるが裏側で、オリジナルのジョンのヴォーカルがもっていた焦燥感、哀しみを伴った攻撃性をきちんと表現できていると思う。

(笑っちゃいますね↑)
(画像出典:https://baichasong.bandcamp.com/album/the-thai-beatles-4)

(10)イエローサブマリン音頭 : 金沢明子

 今、大瀧詠一や達郎&まりや夫妻を中心に70年代後半から80年代のシティポップスが世界的に注目を集めているらしいが、その人気の基礎を作ったのが、インドネシア、マレーシア、タイ、台湾、韓国などでここ10年ほど、じわじわと拡がった日本のシティポップスへの評価だと思う。
 シティポップがニューミュージックと呼ばれていた90年代、香港では既にとても人気があった。他のアジア諸国より一歩、先駆けて現れた都市中産階級向けの新たな都市音楽。前のタイ・ビートルズ、Come Tegetherで使われた方法論のアジアでの嚆矢は、このイエローサブマリン音頭だったはずだ。
 都市中産階級による失われゆく疑似農村的伝統の再構築による遊び心。その題材にビートルズが使われたのは、その時間と地理的空間を超えた圧倒的ポピュラリティがあるから。今の日本ではこうした遊びを持てる余裕はあるか?

(画像出典:https://ovo.kyodo.co.jp/column/a-1305194)
(聖子ちゃんのように歌える!と喜んでレコーディングに臨んだら。大瀧さんにぶしを回せ、こぶしだ!とうるさいくらいに言われたとか。)

 

(11)Strawberry Forever: Los Fabulosos Callillacs

 このアルゼンチンのバンドは、遠くジャマイカのスカを使ってビートルズの最も凝ってひねくれた曲をカバーした。
 冗談なのか本気なのかわからない男性ヴォーカルに女性ヴォーカルが絡み、英語とスペイン語をごた混ぜにして、ジョンのぶっ飛びと真面目、捻くれた素直さを彼らなりに表現した。もはや音楽には自国も他国もない、現在も過去もない。
 僕らは、あらゆる場所の、20世紀以後のあらゆる時代の音楽を引用し、自らが引き継ぐべき遺産と出来る。ビートルズはその中の最もたるもの。そして新たなビートルズは今後、生まれるだろうか?

(画像出典:http://www.diariocronica.cl/?p=9037)
(むさい、苦笑)

 

(12)She loves you: Emi Bonilla 

 このスペインのフラメンコ歌手がビートルズの4曲のフラメンコ・カバーを発表したのは1964年だから、ほぼアイドル時代のビートルズをリアルタイムでカバーしたことになる。この頃、欧米や日本でたくさんのビートルズ・カバーが作られたが、どれも単純なオリジナルの焼き直し。こうしたイエローサブマリン音頭やタイ・ビートルズと同じ方法論をとったのは彼らが最初だろう。ただここには後年のひねくれはなく、あるのはただビートルズ同時代の衝撃だけだ。

(画像出典:https://www.discogs.com/Emi-Bonilla-Y-Su-Cuadro-Flamenco-Beatlemania-Flamenca/release/6030735)

(13) For No One:Caetano Veloso(カエターノ・ヴェローゾ)

 ブラジルのポスト・ボサノヴァ世代とはビートルズとボサノヴァの衝撃をモロに被ってそこから音楽を作り上げた世代なわけで、とりわけカエターノ・ヴェローゾとジルベルト・ジルはそれを素直に音楽に表した。
 ふたりとも何曲ものビートルズカバーを繰り返し録音しており、これもその一曲。ボサノヴァ風味を加えているが、穏やかな表面にどこか心を掻きむしられるような不穏さを隠しているのもビートルズと同じ。

(画像出典:https://www.amazon.co.jp/Qualquier-Coisa-Analog-Caetano-Veloso/dp/B07FJKSKHS)
(上記アルバムに収録。ジャケット・デザインもビートルズ風)

 

(14)While my guitar gently weeps

 While my guitar gently weepsをジョージの死後、2013年に彼のロックの殿堂入りを祝して行われたコンサートからのもの。
 バンドの面子はトム・ぺティ(ロン毛の金髪メガネ)、ジェフ・リン、スティーブ・ウインウッドなどのオールスターバンド。ロックファンならギャッと叫んで飛び上がるくらいの凄い人たちのオールスターバンド。そして、バンドの中にはアコギをかき鳴らすジョージの息子(親父とクリソツの若い男)もいる。
 亡きジョージへの追悼を込めた彼らの演奏や歌も気合が入った素晴らしいものだが、それらをぶっ飛ばしてあまりあるほど凄いのが後半部でギターソロを思い切りかますプリンス(浅黒い肌に赤い帽子の男)。最後にプリンスはギターを空中に放り投げるが、ギターは落ちてこず、その行方はわからない。きっと天国のジョージが拾い上げたのだろう。

(画像出典:https://www.guitarplayer.com/players/tom-petty-and-others-tell-the-story-behind-princes-while-my-guitar-gently-weeps-solo)


(15) You can work it out:Stevie Wonder(スティーヴィー・ワンダー)

 スティービーが音楽的な大爆発を起こす直前の1970年発表だが、この曲を聴けば、既に爆発は始まっていたことがわかる。ポップなソウル音楽を目指したモータウンはビートルズの曲と相性がいいが、スティービーはここではポップなだけでないファンキーで斬新、時代のいささかゴツゴツした黒っぽい匂いを強烈に漂わせる。
 次のシャーリー・スコットのカバーとともに、ビートルズ自身の音楽に実は黒人音楽的要素がとても強いことがよくわかる。ビルボードでビートルズカバー曲歴代No.1に選ばれていたと思う。スティービーは知っているでしょ。だから写真は省略(笑)

 

(16)Get back:Shirly Scott & The soul saxes(シャーリー・スコット)

 シャーリースコットはアメリカの黒人女性オルガン奏者。彼女がコテコテのファンキーインスト・ジャズをビートルズのカバーで行った。
 バックのリズムセクションやサックスが、キング・カーチス、チャック・レイニー、バーナード・バーディといったこの手のノリノリでひたすら汗臭い黒人音楽が好きな人にはたまらない超一流の名手たち。そうそう、オリジナルのゲットバックにはアメリカの黒人キーボード奏者のビリー・プレストンが加わっていたっけね。

(画像出典:https://www.amazon.co.jp/dp/B009ZYADZO/ref=ntt_mus_dp_dpt_5

 

(17)Je veux te graver dangs ma vie: Johnny Hallyday(ジョニー・アリディ)

 フランス語題名を訳すると”君を僕の人生に刻み付けたい!”聴けばわかるが、ビートルズのGot to get you into my lifeの歌詞も音楽も直訳ヴァージョンだ。
 ジョニ―・アリディはフランスのプレスリーと異名をとった1960年以降のフランスの最大の男性アイドルでありロックシンガー。やはり60年代にデビューしたフランス版永遠のアイドル、シルヴィー・ヴァルタンとともにフランスにロックを根付かせた。なお、このふたりはアイドル全盛期、ふたりとも二十歳そこそこで結婚、子供まで設けたが(アイドルの恋愛禁止なんて日本は何なのだ!)、15年近くの波乱万丈の結婚生活後に離婚、しかし晩年まで交友は続き、常にフランスでは話題の中心だった。妻だったシルヴィーが日本やアメリカでも広く人気を博したのに対し、ジョニーの人気は国内にとどまったが、2017年の死去までフランスの国民的歌手であり味のある役者として活躍し続けた。
 この60年代のビートルズカバーを聴くと、オリジナリティでは物足りないものの、パンチのある歌はとても魅力的だったことがわかる。世界にどれだけあるかわからない直訳ビートルズカバーの中の白眉。

アイドル時代のジョニー。ほとんどトシちゃんですね。
(画像出典:https://www.sortiraparis.com/actualites/a-paris/articles/207006-johnny-hallyday-une-esplanade-baptisee-en-l-honneur-du-chanteur-en-face-de-l-acc)

そしてシブいオヤジロッカー。(画像出典:https://plaza.rakuten.co.jp/ruzerukabu/diary/201712070029/)

 

(18)Norweigan Wood : Milton Nascimento(ミルトン・ナシメント)

 ジョンの不思議な名曲で、日本ではユーミンも確か高中正義のギターと共演でカバーしていたが、歌に自信がないのか、ほとんど高中のギターが中心の演奏となっていた。これをブラジルのミルトン・ナシメントが1974年にカバー。前述のカエターノとともに、この世代のブラジルの音楽家は本当にビートルズが好きで、ミルトンには“レノンとマッカートニーのために”という曲まである。
 ジョンの不思議な浮遊感の漂う曲の舞台を、北欧からミルトンの故郷、ブラジルのミナス州の高原に置き換え、天上の声のようなファルセットが雲海の中を漂う。

 

(19) Something : Evinha(エヴィーニャ)

 最後に、再びSomethingの登場。だってすごい可愛いいのだもの。
 エヴィーニャはブラジルの兄・姉妹の3人組ヴォーカルグループ、Trio Esperancaのリートヴォーカルで、70年代にはソロでもたくさんの作品を残した。日本の世界歌謡祭に参加するために来日、日本語でレコードをふきこんでいる。
 その後、90年代以降はフランスに移住、三姉妹で再結成したトリオ・エスペランサで、この頃、再び日本のブラジル音楽ファンの間で評判になった。今でも活躍しているはずだ。
 このSomethingは彼女の1972年のソロアルバムからのもので、甘く切ないティーンズポップスとしてのビードルズカバーとしては世界一と断言しよう。僕はこの曲を聴くと高校の時の切ない片思いを思い出してしまいます(苦笑)。


3.ミレニアムのジョン・レノン、ハノイにて

 ビートルズについてはちょっと面白いエピソードをひとつ。もう20年くらい前のこと。もしかしたら数年、前後しているのかも。もはや正確な年は覚えていないが、日付と場所は間違いない。ベトナム、ハノイ、12月24日のクリスマスイヴ。

 クリスマス・イブはベトナムの若者にとってはどんちゃん騒ぎの日なんだよ。今でもそうらしい。若者はこの日は繁華街に出歩いて、一晩中、遊び歩くわけだけど、今から20年前だと、経済発展は始まり出したけど、まだまだ娯楽は多くないし、あったとしてそれを楽しめるような余裕のある若者も決して多くなかった。街にはイルミネーションも無くて、華やかとはとても言えなかったね。
 それで若者たちはオートバイで繰り出し、ダウンタウンの目抜き通りをひたすら走るわけ、二人乗りとか三人乗りで。別に行くところがあるわけじゃないから、街の中心部をグルグル回っているだけなんだけどね。その数があまりに多く、それに対し、通りは狭苦しいから、車間距離も無いくなるし、スピードもでないから大渋滞。ひたすらヘッドライトの眩しさとエンジン音と排気ガスばかりが街を包み込んでいたね。エネルギーこそすごいけど、そこには何の目的も感じられないし、若者も歓声を上げるわけじゃなし、実は楽しんでいるのか、いないのか。
 そんな様子を見ていた僕ら外国人は思ったものだ、まるで大水槽の中をひたすら泳ぐ回遊魚、マグロじゃないかって。

 その年はね、年末に出張があり、お客さんを連れて街に夕食に出たの。それで、ホテルに戻ろうとタクシーに乗ったが、運悪くタクシーはあっという間にオートバイの渋滞に飲み込まれてしまった。もうどうにも進まないので、仕方なくタクシーをおり、歩いてホテルに戻ることにした。そして、街の中心の小さな湖、ハノイの中心には湖があるんだけど、その周り人に揉まれながら歩いていた。驚き呆れ顔のお客さんにしたり顔でマグロたちの生態の説明をしながらね。
 その時、通りの向こうから何やら大きな立て看板やらのぼり、手には小旗を持って、多数の若者たちの一団がオートバイの群れを掻き分けるように歩いて近づいて来たのが見えた。そんなこと今までに見たこともなかったから、あれっと少しばかり驚いてよく見ると、先頭を歩く若者が掲げる大きな立て看板に描かれていたのは、何とジョン・レノンの肖像だった。ジョンが赤い旗に囲まれて、周囲を見回すように、縦に横に小刻みにゆらゆらと揺れて進んでいるんだ。
 看板のジョンはビートルズ時代の彼でなく、既にソロとなり、髭もない、トレードマークの丸メガネをかけて、優しそうではあるがどこ哀し気な、あの有名なアルバム、イマジンのジャケ(の別テイク)となったポートレイトをなぞったものだった。そして、若者たちが手に持っている旗はどうやらベトナム国旗だったようだ。何人くらいいたろうか。何十人なんて少人数じゃなかったね。
 そして近づくにつれ、野次馬なのだろう、多くの人がどんどんと集まってくるし、しかも通りはそうでなくてもオートバイで溢れかえって、デモ(?)のせいでふん詰まりときている。人の密度はどんどん高まる一方で、歩道でさえまともに歩けないほど。交通警官が慌てて、あちこちで殺気立って警笛を鳴らし、周囲がなにやら騒然となっているのがわかった。
 これは面白い思ったけど、何せお客さん連れでしょ。何かあったらまずい、ほんの少しの間、立ち止まって様子を見ていたけど、引き返して裏道からホテルに帰ることにした。
 看板のジョンは少し向こうから、やはり寂し気にこちら側を見つめていた。誰かががなりたてるような‟Gimmi some the truth‟が向こうから聞こえてくるような気がしたけど、もちろん、それは僕の空耳だったに違いない。

 翌朝、この件がニュースにでもなっていないかとも思ったけど、案の定、そんなことは新聞にもテレビニュースにも一切触れられていなかった。当たり前だね。社会主義国だもの。
 あの様子では、きっとあの集団も強制的に解散させられてしまったのだろう。そしてデモは誰が始めたのか、目的は何だったのか、その後、どういった顛末を辿ったのか何もわからないままだ。もしかしてどこか外国の通信社が記事にでもしていないか、とも思ったけど、そんな様子もないままに終わった。結局、あの幻のようなジョン・レノンのデモを見たのは、あの場に偶然に居合わせたぼくらだけだったのだろう。

 ビートルズを聴くたびに、あのハノイのクリスマス・イブの夜の揺れるジョンの肖像を思い出すよ。政治的な意図があったのかどうかも分からない。単に一部の若者の日頃のうっ憤晴らしの悪戯だったのかもしれない。
 でも、ひとつだけはっきりしていることがある。あの時、ジョンは、そしてビートルズは、ハノイの決して少なくない若者にとっての、特別で、大切な憧れだったということだ。ビートルズがなくなって30年近くが過ぎ、ジョンが亡くなってからだって20年が過ぎ去っていたにもかかわらず。
 社会主義体制下の非合法デモ(ということになるのかな?)なんて言うと、マスコミがジョンを持て囃すのに常套句として使う”Love & Peace”と結びつけたがるかもしれないが、僕にはそれは違う気がする。そうしたあまり現実性の感じられないユートピア的なものよりも、あの若者たちにとっては、もっと直接で切実なものがあったはずだ。それは、まずはより豊かな社会に対する羨望、そして同時に自分たちの感じること、思う事を存分に、心おきなく表現したり、主張できることへの憧れがあったのだと思う。
 当時、欧米のポップスはハノイでも既にポピュラーだったし、マイケル・ジャクソンは当時、現役のスーパースター、しかも彼はとても豊かで、同時に親しみやすかった。でも豊かさと親しみは必須だったけど、それだけ十分じゃなかったんだ。ベトナムでは社会主義体制と長く続いた戦争のために若者文化をほとんど数世代に渡って持つことができないままでいた。若者は家庭では年長者に頭が上がらないし、学校や職場では先生や上司、共産党幹部に従順であることを強いられ、窮屈な思いをずっとしていた。愛する人に思いを伝えるのだって、そういった連中への気遣いが、まず最初の壁、それを乗り越えることなしでAll You Need is Loveなんてありえなかったのだ。
 ジョンを始めとするビートルズの音楽は、そんな壁を乗り越える勇気を持つための‟背中への一押し‟になる強い何かを持っていたんだ、きっとね。とびきりに美しいメロディー、躍動的なリズム、親しみやすいポップさだけでなく。

 中学の頃、僕が最初に好きになったビートルズの曲はShe loves youだった。あのShe loves youのあとのYah Yah Yahがすごく良かったんだ。まるで、お腹の底から気持ちが全部出てきて、きれいさっぱりと出尽くすような爽快さ。英語などほとんど分からない頃だったけど、Yah Yah Yahなら問題ないし(苦笑)。
 そして初期ビートルズのライブの時のハイライトになったという、サビの‟Wooooo!!” 下品なんて言わせない、若い奴がセクシーであって何が悪い!そんなジョンの叫びが聞こえてくるようじゃないか。

 おそらく現役を知るビートルズ世代にとっても、僕らのようなビートルズ後追い世代にとっても最初のつかみになったのは、She loves youでもA Hard day’s nightでも何でも良いのだが、初期の彼らの曲に共通するこうした自分の内に秘めた感情を爆発させたような爽快感、そして、臆面もなく脳髄を直接刺激するような官能性だったはずだ。
 ビートルズはキャリアを積み重ねるにつれ、加速度的に音楽の幅をぐいぐいと拡げ、同時に深めてもいったが、これらの特性は一貫して保持されていった。
 特にジョンはこうしたビートルズの爽快さと官能性を最も端的に発揮したロッカーであり続け、ビートルズが後期に入った頃、そしてソロになって以降は、さらに激しく、それを意識的に言語化、政治化さえしていった。彼の不幸な夭逝による神格化があったにせよ、音楽的にはジョンさえ凌駕しかねないポールがいたにもかかわらず、彼が今に至るまで第一のビートルズなのはこのためなのだと思う。
 こうしてビートルズは引き続き、世界各地で1960年代から今に至るまで、どこか窮屈な境遇に置かれている若い聞き手にとっての”背中への一押し‟になり続けていったのだ。聴き手がそれをどこまで意識化できていたかは別にして、ビートルズは常に歴史や文化や社会からの有形・無形の圧力から若者が解き放たれることのエクスタシーそのものだったし、それは1990年代からミレニアムのベトナム、ハノイももちろん例外でなかったのだ。

 さて、2021年の今、少なくとも都市部ではベトナムはもう昔ほど貧しくない。当時のような豊かな自由社会への憧れは、ハノイ市民の中ではかなり色褪せてしまったろう。もちろん、若者が伸び伸びと自己表現をできる社会には依然として遠いし、しかもここ一年ほどはコロナ禍のために生活での窮屈さはむしろ強くなってしまっている。
 でも、それは世界中全てが同じだ。その上、感染拡大の歯止めで大善戦をしているベトナムで、それに対する反抗は起きにくいだろう。そんな中で、ジョンやビートルズは今でもハノイであの時のように熱く、積極的に聴かれているのだろうか?そしてそんな機会は、今後もありうるのだろうか?

 そして、豊かさに取り残された若者、本国ではその豊かさへのチャンスさえ与えられない者が大都市から一歩離れたところには数多く存在している。彼らはハノイを飛び越え、海外に夢を求めるものも多い。僕らの周りにはそんなベトナム人たちが当たり前のように多くみられるはずだ。住みなれない異国で、生活に追われる彼らにはジョンとビートルズが発したメッセージを受け止める余裕などないだろう。

 さて、それで、ここ日本での状況はどうだろうか?ここ数年、ビートルズ関係の超豪華な復刻が続き、そろそろ”ジョンの魂”の50周年ボックスも発売されているはずだ。これらみな、僕と同年代、あるいはそれ以上で比較的、生活に余裕のある方々、つまり今や”のすたる爺”となり果てた方々が主な購買層なのだと思う。それを決して否定はしない。コロナ禍の中、未曾有の危機がより深化している大衆音楽文化に対する爺なりの貢献となるはずだろうから。
 だが、人間の表現とコミュニ―ケーションの手段としての音楽の力がこれまでになく衰弱してしまったように思える今、僕はもっとビートルズの残した音楽が聴かれてもらいたい、特に若い人たちに。
 そして感じて欲しい、彼らの音楽による背中の一押しを。周りの空気に煩わされることもなく、気遣いも遠慮もなく、自分の欲する事、思うことを表現することはとてもセクシーで格好よい事なんだという彼らのメッセージを。もう半世紀前の偉大なクラシックということではなくてね。
(了)

ボッサクバーナ

1960年生まれ。
様々な音との出会いを求めて世界を彷徨い続けていますが、ふとした拍子に立ち戻るのは、ジョアン・ジルベルトと松田聖子、そしてエリック・ドルフィーの音の世界。聖ジュネで示された方法論を応用して聖子を理解し、語り尽くすのが夢。
プロフィール写真はJose Antonio Mendezの「ESCRIBE SOLO PARA ENAMORADOS/フィーリンの真実」レコードジャケットより。
Twitter ID:@bossacoubana

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