あの頃の思い出をもう一度!~バックトゥ・ザ・80’s~ 1982年
さあ、またやってまいりました。「バックトゥ・ザ・80’s」のお時間です!
「バックトゥ・ザ・80’s」第3回目は、1982年の世界へタイムトリップ!今回もその時代に起きた出来事やカルチャーなどを振り返っていきます。
前回は誰もが知っている名曲・名作がたくさん生まれ、80年代に社会現象を巻き起こした『なめ猫』や『ガンプラ』が登場した1981年を振り返りました。
1982年にも、当時を体験した人たちが「懐かしい!」と思い返せるような出来事が待っています。
前回のあとがきで予告した「電池で動く自動車のおもちゃ」と「アメリカ生まれの着せ替え人形」も登場しますので、ぜひ最後までお楽しみください!
1982年の出来事
1982年は昭和で言えば57年、干支は戌(いぬ)でした。
1982年にはロングセラー菓子の『おっとっと』と『蒲焼さん太郎』が発売されました。1度食べたら止まらなくなるほどクセになる味が人気となり、発売から40年以上経った今でも幅広い世代から愛されています。
ロングセラーといえば・・・
国民的バラエティ番組『笑っていいとも!』が放送されたのは1982年10月でした。
「今日も最後まで見てくれるかな?」「いいともー!」のコール&レスポンスから始まり、2014年3月の放送終了まで32年間にわたって平日のお昼を盛り上げてくれました。「お昼休みは必ず『いいとも』を見ていた」という人も多いのではないでしょうか。
番組の終了後には放送回数8054回がギネス世界記録に認定され、司会を務めたタモリ(森田一義)さんも、生放送バラエティ番組の単独司会最多記録としてダブルで認定されました。
最多記録といえば・・・
読売新聞で連載されている4コマ漫画『コボちゃん』の連載が始まったのも1982年です。毎日刊行される新聞に掲載されているので、「1回は見たことある!」人が多いのではないでしょうか。
小学3年生の「コボちゃん(田畑小穂)」の日常を描いた本作は、現在も連載が続いている超ロングセラー作品であり、TVアニメ化や絵本の出版も果たしています。
2021年1月には連載回数が1万3750回となり、一般全国紙に掲載されている漫画として最多記録を達成しました。連載開始から40年経った今でも、幅広い世代から長く愛されています。
他にも500円硬貨や、NECの代名詞的なパソコンである初代「PC-9801」も1982年に登場しました。
1982年のカルチャー
1982年の音楽分野では中森明菜や小泉今日子、松本伊代といった「花の82年組」と呼ばれる多くの人気アイドルがデビューしました。
現在も高い知名度を誇るアイドルが次々とデビューし、「スローモーション」「私の16才」「センチメンタル・ジャーニー」といったヒット曲を連発。80年代のアイドルブームの中でも特に盛り上がりを見せた1982年は、「アイドル豊作の年」とも呼ばれています。
アニメでは前年に引き続き「機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙編」と「ドラえもん のび太の大魔境」が公開。この他にも「怪物くん デーモンの剣」「新ど根性ガエル」「Dr.SLUMP ほよよ! 宇宙大冒険」など、現在も幅広い世代から人気を集めるアニメの劇場版が公開されました。
おなじみの東映まんがまつりでは、「世界名作童話 アラジンと魔法のランプ」「まんが日本昔ばなし」や、ロングセラー漫画「あさりちゃん 愛のメルヘン少女」が登場しました。
この頃上映されていたアニメ映画は、日常系やギャグ系の作品が多かった気がします。
洋画では誰もが1度は見たことがあるはずの名作「E.T.」が公開され、興行収入は日本で135億円、アメリカでは3億ドルとかなりの大ヒットを見せます。日本での興行収入135億円は、1997年に「もののけ姫」が公開されるまで、長い間歴代興行収入1位をキープしていました。
この他にも、日本・世界ともに大ヒットし、ミュージカル化もされた名作「アニー」と「愛と青春の旅だち」も1982年に公開されています。
邦画ではたのきんトリオの主演映画第3弾「ハイティーン・ブギ」が公開。主演の近藤真彦が歌う同タイトルの主題歌もヒットを飛ばしました。
さらに、三浦友和主演「大日本帝国」や武田鉄矢主演「刑事物語」など、大物芸能人が主演を務める作品も多数公開されていて、邦画、洋画ともに豊富なラインナップの作品を楽しめる年でした。
1982年のヒット商品
1982年は、現在も根強い人気を誇るおもちゃがたくさん登場した年でもあります。これから紹介するアイテムも、誰もが1度は使った・遊んだことがあるはずです。
当時の思い出を振り返りながら、1982年に流行ったアイテムの魅力について語っていきたいと思います!
ミニ四駆
ミニ四駆は1982年にタミヤから発売された小型のモーターを搭載して走らせることができる四輪駆動の模型になります。
発売当初の「ミニ四駆」は現在の「レーサーミニ四駆」とは違い、フォード・レンジャーやハイラックスなど実際に存在する4WDの車両がモチーフになっていました。
そのため、走りについても今のようにスピードを競うものではなく、パワー重視でどんな悪路でも走れる事が売りだったので、公園や学校の砂場などで走らせたり、部屋の中に雑誌や漫画本などで自分たちだけのコースを作ってよく遊んでいました。
当時はアルカリ乾電池が高かったので、よく黒色の安いマンガン乾電池で走らせていましたが、アルカリ乾電池の方がパワーがあったという事だけは忘れずに覚えています。
最初に登場したミニ四駆はまさに四輪駆動のオフロードカーでしたが、1987年には当時タミヤで販売していたラジコンをミニ四駆にした「レーサーミニ四駆」が登場し、ダッシュ四駆郎の連載と共に第一次ブームが到来!その後も爆笑兄弟レッツ&ゴーのヒットと共に第2次ブームを迎え、現在の第3次ブームへと繋がっていきます。当時のブームを知る子供たちも今では立派な大人になり、世代を超えて幅広い年齢層が一緒になって遊べるなんて、なんか凄いですよね。
個人的に好きなキットは「エアロ サンダーショット」です。これを戦闘機の洋上迷彩塗装して走らせてました。
ゾイド
ゾイドとは、1982年にトミー(現、タカラトミー)が発売を開始した動物や恐竜をモチーフにした組立式の玩具で、モーターやゼンマイなどによる歩行や可動のギミックが組み込まれているおもちゃです。
メカメカしい外見でしかも動くということで男の子達の間で人気がありました。ただ、同時期に流行っていたミニ四駆とガンプラの陰に隠れ、しかも、推奨年齢や価格も少々高かったことから自分の周りには持っている友達はいませんでした。
私が初めてみたのはおもちゃ屋さんの店頭で、機械で出来た恐竜やクモが並べられているのをみてプラモデルが動いている事に驚いた覚えがあります。
その後、肉食恐竜を模した大型のゾイドを見かけたことがありましたが、力強く動き、動作の最中に目が光ったりしてとにかく迫力が違いました。
「ゾイド」自体は今でもシリーズは継続しているので、おもちゃ屋さんなどでも見かけますが、コトブキヤからは大人向けに再設計された「ハイエンドマスターモデル(HMM)」も出ていますので当時を知る大きなお友達にはこちらもおすすめです。
元々「ゾイド」という名称は海外向けの名称になり、日本国内では「メカボニカ」という名称で販売されていました。 しかし、国内での売上がイマイチという事で翌年の83年に好調だった海外版の名称に変更した事で現在の「ゾイド」に繋がっていくわけですが、やっぱり「ゾイド」という名称のほうがカッコよさはありますよね。
バービー
バービーは1982年にタカラから発売された着せ替え人形です。本家の海外のバービーとは違い、日本人向けに改良がされたもので、キャラクター設定とキャッチコピーは本家のものを使って販売されました。
それまでに出ていた和風で柔らかい表情のお嬢様風なリカちゃん人形とは違い、すぐに外国人と分かるその見た目から人気が出ました。バービーとリカちゃんでは大きさがだいぶ違い、着せ替えの服や靴のサイズが合わないため最初に買う時にどちらの人形にするのかで迷った覚えがあります。
クラスの友達の中には、裁縫が得意なお母さんがバービーの着せ替え用の洋服を何着も作ってくれていて、自分だけの服があるのがとても羨ましかったです。お母さんに服を作って欲しいとお願いして断られたという経験が誰しもあるはず。
バービー人形は元々アメリカのマテル社が販売していた物で、日本国内でも1960年代には販売はされていました。しかしリカちゃん人形の登場で販売数が激減し、結果的に日本市場からは撤退。その後タカラがマテル社と提携して、日本国内の販売を再開し、そして1982年に和製バービーと呼ばれる日本仕様のバービー人形が登場することになります。
CDプレイヤー
CDプレーヤーは、ソニーとフィリップスが共同開発したコンパクトディスク(CD)を再生するためにソニーから発売された専用の再生機器になります。
初期の本体は価格が非常に高く、簡単に手が出るようなものではなかったのですが、その後価格も安価になっていき、CDラジカセや、携帯型のCDプレーヤーが普及するまでに至りました。
正直、私は大きなデッキ型のCDプレーヤーのことは知らず、携帯型のCDプレーヤーのことをCDプレーヤーと呼んでいました。
当時CDが1枚1000円~3000円と高価だったことからCDは音源としてレンタルするもので、カセットテープにダビングするためにCDラジカセを使用することがほとんどでした。
親戚の家に行った時にお兄ちゃんがCDコンポと携帯型CDプレーヤーを見せてくれて、そのデザインのスタイリッシュさに憧れた覚えがあります。
CDが登場して数年後には、休みになるとレンタル屋さんに行ってCDをレンタルしてくるのが結構日常的になっていた記憶があります。更に数年後にシングルCDが登場するとレンタル屋さんのシングルCDの棚には大量に新譜が並んでいたので、よく最新の曲だけでオリジナルのテープを作っていました。(・∀・)
テレホンカード
テレホンカードは、1982年に日本電信電話公社(電電公社、現NTT)から発売された硬貨の代わりに緑色の公衆電話機で使用することができたプリペイドカードです。
かさばる硬貨を持たずに電話をかけることが出来る便利なカードで、カードの端っこに度数が書いてあって、その度数×10円分の電話をかけることが出来ました。
残数はカード自体に穴が空いて分かるようになってましたが、大まかな目安でしか無くて、結局は公衆電話機に入れてみないと正確な残数はわからなかったですね。
カードの表面には画像が印刷出来たことから、会社の名刺代わり、居酒屋の宣伝、ゲームや雑誌の景品など至る所で記念品や販促品として配られていたようで、父から色んな絵柄のテレホンカードを見せてもらいました。
子供の頃、小学校の100周年記念やスポーツの全国大会優勝記念などで記念品としてテレホンカードをもらったことがあり、お財布の中に入れておいた覚えがあります。
テレホンカードというと一時期ゲームやCDなどの予約特典の定番的なアイテムで、特にゲームの店舗オリジナル特典は絵柄違いでどこの店でもテレカだった時期もありました。(エロゲー含む) 特典のテレカ欲しさに同じソフトを何本も何本も何本も・・・
あとがき
現在も幅広い世代から愛される作品がたくさん登場した1982年。「おっとっと」や「コボちゃん」などのロングセラー品や、「花の82年組」と呼ばれる人気アイドルと名曲たち。
今回紹介した作品は、発売当初はもちろん、40年以上経った今でも高い人気を集めていますよね。これからの時代でも、長く愛され続けるものであって欲しいです。
そして、1982年は現在も高い人気を集めているミニ四駆やバービーなどのアイテムが登場しました。ミニ四駆は発売当初と異なり、様々なパーツで自分なりのカスタマイズをしてスピードを競い合うおもちゃへと変化しました。友達とオリジナルのコースを作り、誰が先にゴールするかで遊んでいたのが懐かしいです。
こうして振り返ってみると、おもちゃは時代が経つにつれて、見た目や遊び方も変わってきていますね。ただ、遊びの本質という物はこれから先もずっと変わらないのかな…と思います!
そんな感じで今回は1982年について振り返ってみました。
本当ならまだまだ語りたいことがたくさんあるのですが、それはまた別の機会に語り合えればと思います。
さて、次回の「バックトゥ・ザ・80’s」は1983年を振り返ってみたいと思います。
1983年には「日本の家庭用ゲーム機の元祖」や「マッチョなキャラクターの消しゴム」が登場しますので、ぜひお楽しみに!
では、最後までお読みいただきありがとうございました。
次回もタイムトリップして、懐かしい思い出を一緒に辿りましょう!