あの頃の思い出をもう一度!~バックトゥ・ザ・80’s~ 1980年

公開日:たいむましんスタッフ

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「たいむましん」は、昭和のレトログッズをメインに取り扱う買取店です。
昔、愛情を持って使っていたのに、今は押し入れに仕舞い込んでしまってある
そんな、見るだけで昔の記憶が蘇ってくるちょっと懐かしく、今でも色あせない昭和のアイテムたち。
たいむましんではそんな懐かしのアイテムを買取させて頂いています。

そんな光り輝いていた1980年代をみんなで振り返ってみようというのが、今回のこの企画「バックトゥ・ザ・80’s」。
その年に起きた出来事や流行ったカルチャー、ヒット商品などをもう一度思い出し、当時を体験した人たちには「懐かしい!」と思い返し、楽しんでいただければと思います。

また、若い世代の方にも、親の世代がどんな時代を楽しんで生きていたのかを知って頂き、1980年代の追体験ができるような記事をお届けしていきたいと思っています。

さぁ!みんなで1980年代の魅力を再発見していきましょう!

1980年の出来事

山口百恵、パックマン

1980年は昭和で言えば55年、干支は庚申(さる)でした。
1980年を迎えたばかりの1月には、日本公演のために来日したポール・マッカートニーが大麻所持で成田空港で現行犯逮捕。その後国外退去処分になったことで日本公演が全て中止になり、多くのファンが涙しました。

5月にはアメリカのワシントン州にあるセント・ヘレンズ山が123年の眠りから覚めて大噴火。山の形が変化する程の規模に多くの犠牲者が出てしまいました。
セント・ヘレンズ山は2004年にも噴火しますが、1980年程の規模ではなく、噴火後、頂上付近に出来た溶岩ドームによりその部分の標高が高くなったそうです。

そんな大災害が起こった同じ5月には、ゲームファンなら誰もが知っているアーケードゲーム『パックマン』のロケテストが実施され、一般ユーザーの前に初めて登場しました。
真っ黒な背景の画面の中を黄色くて丸いキャラクターを操作して逃げ惑うゲームは皆さん御存知の通り世界的にも大ヒット。アメリカでは「80年代のミッキーマウス」と称されるほどでした。
2015年に公開された映画『ピクセル』にもパックマンが登場。パックマンのデザイナーである岩谷徹さんもカメオ出演されていました。

1980年の出来事で多くの人を涙させた出来事といえば『山口百恵』さんの引退コンサートではないでしょうか。
1979年に三浦友和さんとの突然の交際宣言で世間を驚かせ、翌年の10月5日に日本武道館で開催された引退コンサートは、TBSでも生放送され、最後の曲「さよならの向う側」を涙しながら歌うさまは、見ているみんなの涙を誘い、感動を与えました。
長男の三浦祐太朗さんはシンガーソングライターとして活躍されていて、お母さんの山口百恵さんのカバーアルバムなども出されています。

1980年のカルチャー

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1980年の音楽分野では元ビートルズのジョン・レノンが5年振りに活動を再開。5年振りのシングル「スターティング・オーヴァー」とアルバム「ダブル・ファンタジー 」を発売しますが、アルバム発売から3週間後の12月8日にジョン・レノンはファンを自称する男の凶弾に倒れてしまい、このアルバムが生前最後のアルバムとなってしまいました。

国内では松田聖子や河合奈保子、岩崎良美など多くのアイドルがデビュー。後にこの時期はアイドル黄金世代の幕開けと呼ばれ、その中でも1980年は80年組と呼ばれ、アイドル豊作の年と言われています。(82年組については後ほど)

映画では旧3部作の第2作目にあたる「スター・ウォーズ/帝国の逆襲」が公開されました。第1作目はアメリカでの公開から1年遅れでの日本公開でしたが、今回は1ヶ月という早さで日本でも公開がされ、前作でSF映画の虜になったファンたちがこぞって映画館に押しかけました。

邦画では今でもシリーズが続くドラえもん映画シリーズの第1作「ドラえもん のび太の恐竜」が公開。同時期には手塚治虫総監督による「火の鳥2772 愛のコスモゾーン」、TVアニメの矢吹x力石戦までを再編集した「あしたのジョー」。出崎統監督による東京ムービー新社版の「家なき子」、そして定番の「東映まんがまつり」も公開されていて、1980年の春休み映画はとんでもなく豪華なラインナップでした。

1980年のヒット商品

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1980年は新しい商品が次々と登場し、いろいろな物が流行った年でもありますよね!
どれも今思うと懐かしいものばかりで、皆が夢中で遊んでいたのを覚えています。

ここからは、1980年にはどんな商品が話題になっていたのか・どんな風に楽しんでいたのかを振り返っていきたいと思います!

ゲーム&ウオッチ

Games & Watches

ゲーム&ウオッチは1980年に任天堂が発売して世界的に大ヒットした携帯型電子ゲーム機で、ゲームをしていない時は時計にもなる事が名前の由来です。

大きさ的には今のスマホ本体の1/4程度、名刺より少し大きいサイズで中央に液晶画面が埋め込まれています。最近の携帯ゲーム機と違って、本体1つに1個のゲームが搭載されていました。

ゲーム自体はシンプルで簡単な操作の物ばかりですが、シンプルさ故にハマりやすく、徐々にスピードアップして難易度が上がっていくため、高得点を出そうとむきになり時間を忘れて遊んでいました。

当時はゲーム&ウオッチを持っている友達同士で集まり、交換して遊ぶということが流行りました。
ただ、最初に発売された「ボール」は皆が遊び飽きていて交換してもらえず、結局「貸して!」とお願いして遊んでいた思い出があります。

ゲーム&ウオッチのゲームに関してはいろいろなゲーム機に移植もされていますので、気になった方は是非。

いっち~

ゲーム&ウオッチのシリーズ自体は1980年代に盛上がり、2000年代なってからはクラブニンテンドーの特典として『BALL』が復刻。その後も形状はそのままに画面がフルカラー液晶になり「スーパーマリオブラザーズシリーズ」や「ゼルダの伝説シリーズ」が限定生産されたりしました。
任天堂の看板ゲームであるマリオシリーズの第1作目もゲーム&ウオッチでしたね。

チョロQ

Choro Q

チョロQは、タカラ(現タカラトミー)が1980年に発売したディフォルメされたデザインが特徴のゼンマイ式ミニカーです。
丸っこくてかわいいキュートな見た目と、どこに走るか分からない「チョロチョロ」走る様から、チョロQと名付けられました。

内部にはゼンマイばねが内臓されていて、タイヤを地面に押し付けた状態で後ろに引っ張り、手を放す事で物凄い勢いで前進していくだけですが、この勢いよく走る様が結構面白く、みんなで夢中になって走らせていました。
まっすぐには走らないので皆で競走させるというよりは、少人数でテーブルから落とさないようにいかに上手く後ろに引っ張り走らせるかのようなテクニック重視の遊びもよくやっていました。

このゼンマイばねが使われているミニカーの総称をプルバックカーというのですが、当時はカプセルトイで出たどう見ても偽物でも、みんな口を揃えてチョロQと呼んでいましたね。
安価で扱いやすかったことと、見た目の可愛さから意外と女子も持っていた印象があります。

プレイステーションなどで家庭用ゲームも出ていたのですが、これらのゲームも結構人気があり、子供の頃に遊んだという人も結構多いのではないでしょうか。

いっち~

チョロQブーム真っ盛りの82年にコロコロコミックでも『ゼロヨンQ太』と言うチョロQを題材にした漫画が連載されていました。ただ後ろに引いて直進させるだけのチョロQのレースをいろいろな秘技を繰り出して勝利を掴んで行くわけですが、今読むとあの秘技のアイデアには脱帽するばかりです。

ルービックキューブ

ルービックキューブ

ルービックキューブは、手の平大の四角い立体パズルです。立方体の6面が異なる色に塗られており、各面が3✕3の9マスに分割されています。

各列が回転することで分割されたキューブが動き、各面の色を合わせて遊びます。
全面の色を揃えることが目標ですが、手順を知らないと全面揃えるどころか1面を揃えることすら難しかったりします。

年長者の兄弟や親が流行りに乗って買ってきたルービックキューブが家にある、という友達が多かったように思います。
自宅にも父が購入したルービックキューブがいつの間にかあり、当時の私は1面をいかに早く揃えるかという遊びをしていました。パーツを外して無理矢理全面を揃える、という力技をする友達もいました。

いっち~

現在でもルービックキューブは進化し続けていて、内部構造やデザインの見直しにより、現在はバージョン3になっているそうです。最近だと発明50周年記念として定価777,777円の極小0.5cmの超精密金属製ルービックキューブが話題になりましたね。

ウォークマン

walkman

ウォークマンは1979年にソニーが発売したポータブルオーディオプレーヤーです。
発売当時、大ヒットしたため「ウォークマン」という商品名がポータブルオーディオプレーヤーの総称と勘違いされることも多かったです。

シルバーを基調としたシンプルでスタイリッシュなデザインはとても人気がありました。
しかし、かなり高価だったこともあり、裕福な家庭の子供が持っている印象が強くウォークマンは一般家庭の子供の垂涎の的でした。
開閉部分の蓋が薄く、開閉した時の「カシャッ」という金属音に似た音までもが羨ましかった覚えがあります。

当時の私はお小遣いを頑張って貯めて買ったAiwaのポータブルオーディオプレーヤーにMaxellのカセットを使っていましたが、ウォークマンを使っていた友達はカセットテープもソニー製のものを使っている子が多く、こだわりの強い人が多かったように思います。

いっち~

当時音楽番組などをカセットテープに録音して外に持ち出して聞いていたり、レンタルCD店がブームになってからは好きな曲だけを寄せ集めてお気に入りのテープを作るのが流行っていました。今はデジタルだから頭出しも巻き戻しも楽だけど、当時は早送りと巻き戻しの時は音が途切れた瞬間に止めてたもんです。

ドンジャラ

Donjara

ドンジャラとは、株式会社ポピー(現在はバンダイに吸収合併)が発売したボードゲームになります。似たようなゲームは他のメーカーからも発売されていますが、基本的には同じポンジャンのルールを採用した物となり、それらも含めて総称的にドンジャラと呼ばれていました。

ポンジャンのルールは麻雀を簡素化した物で、麻雀牌の絵柄とは異なり、人気アニメのキャラクターが描かれている牌を、手持ちの9つの牌の中で揃えて役を作っていくゲームになります。
アニメによってオリジナルのルールや牌の追加があり、当時はとても難しく感じたのを覚えています。

役一覧表を眺めながらドラえもんを集めるのは楽しかったのですが、周りにドンジャラを所持している友達は少なく、ドンジャラで遊ぼう!と誘っても難しそうという壁が邪魔して面子が集まらずに兄弟と遊んでいることが多かったです。

いっち~

当時はTVアニメを見ていると良くドンジャラのCMが流れていました。ドンジャラの歴史は今でも続いていて、近年ではドンジャラNEOという携帯性に優れた新しいデザインの物も登場しています。 

あとがき

アイドル黄金時代の幕開けと言われた1980年。松田聖子や河合奈保子といった80年組と呼ばれるトップアイドルのデビューや、今までトップアイドルとして走り続けた山口百恵さんの感動的な引退コンサート。
山口百恵さんが「さよならの向う側」を歌っているあのシーンは今でも鮮明に覚えています。

そして、パックマンやゲーム&ウオッチの登場により、今につながるゲームの扉がまた少し開いたような気がしました。
よく考えると、ゲーム&ウオッチは任天堂初の携帯ゲーム機なので、ゲームボーイやニンテンドーDS、そして今のSwitchからみたらおじいちゃんって感じですかね。

そんな感じで今回は1980年について振り返ってみました。
本当ならまだまだ語りたい出来事やアイテムがあるのですが、それはまた別の機会に語り合えればと思います。

さて、次回の「バックトゥ・ザ・80’s」は1981年を振り返ってみたいと思います。
1981年といえば「特攻服を着た猫」とか、「『んちゃ!』でおなじみのキャラクター」とかも登場してきますので、次回もお楽しみに。

では、最後までお読みいただきありがとうございました。
また次回お会いしましょう。

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