石ノ森章太郎 日本を代表する漫画家紹介

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石ノ森章太郎は日本を代表する漫画家であり、漫画の神様手塚治虫と並び、漫画の王様とも呼ばれている。

また後年は漫画には「面白い、おかしい」だけではない複雑多彩な表現が可能であるとして「萬画」を提唱し、「萬画宣言」を行っている。それ以降は自ら「萬画家」と称した。

 

■宮城県の天才少年

 

1938年1月25日、宮城県登米郡石森町に生まれ、後にペンネームを地元から取り石森章太郎と名乗った。

手塚治虫の「新寶島」を読んでから本格的に漫画家を志し、墨汁一滴と名付けた肉筆同人誌を制作する。宮城県佐沼高等学校入学後、投稿を行っていた『漫画少年』で投稿仲間を集い、「東日本漫画研究会」を結成、宮城県に天才少年がいると漫画業界で噂されるほどの存在となっていった。

また漫画少年に投稿した作品を手塚治虫が見つけ、鉄腕アトム執筆時には休学して一時アシスタントとして作業を手伝うことになる。

手塚治虫は石森章太郎の才能を認め、漫画少年に推薦。『二級天使』が石森章太郎の商業デビュー作品となった。

 

■トキワ荘

 

高校卒業と同時に、姉を伴って上京。手塚治虫が入居していたトキワ荘へ引っ越す。

トキワ荘は既に手塚治虫は転居していたが、その後を継ぎ多くの若手漫画家が入居していた。

手塚治虫と同時期に入居していた寺田ヒロオ、手塚治虫の部屋に入居していた藤子不二雄、石森章太郎のアシスタントも務める赤塚不二夫など、後の日本漫画界を牽引する漫画家の多くがトキワ荘へ集っていた。

石森章太郎の才能はその中でも抜きん出ており、特にその執筆の速さは誰にも追いつけないほどであった。赤塚不二夫や永井豪、島本和彦など石森章太郎のアシスタントを努めた者は口を揃えてその執筆の速さに驚いたと語っている。

石森章太郎自身、トキワ荘時代には赤塚不二夫とともに月600枚以上の原稿を執筆していたと語っている。単独の漫画家としてのコミック刊行数はギネス記録として登録されており、手塚治虫を唯一超えている漫画家である。

 

■東映動画

 

手塚治虫のアシスタントも務めた石森章太郎は、後に手塚治虫のアニメ制作の助手として「西遊記」を制作していた東映動画に出向する。

アニメ制作に没頭した石森章太郎は東映動画に入社を希望するが、後に東映動画専務となる白川大作に漫画家を続けるよう促され、石森章太郎原作のアニメや特撮作品が東映で制作されるきっかけとなった。

そのため漫画作品だけではなく、テレビ作品原作者としても、そのクレジット数は国内最多を誇っている。

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