手塚治虫シリーズ
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コレクター僻
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突然ですが、私が今住んでいる新潟市は漫画古本の不毛の地です!
貸本屋がある時代にはそこから流れて来たのか、昭和20年代、30年代の本を良く見かけましたが、それは40年も昔の話、今は影も形もありません。 BOOKOFFが生まれた土地(ホントは新潟市でなく新発田市らしいけど・・)でありながら、掘り出し物が出て来るのは極々稀にしかありません。 そう、新潟には「まんだらけ」のようなよだれがじゅるじゅる出るような古本屋は皆無なのです・・・・・と、思っていました。
あるオフの日のこと、もう一つの私の趣味である、自転車に乗って市の郊外へちょっとした遠出に赴きました。 あ、いい忘れましたが新潟市は政令指定都市です、と言っても実は政令市に指定される為には人口が50万人以上必要だったので、 それを稼ぐ為に今まで新潟市でなかった周辺の市や群や村を、片っ端から無理矢理取り込んで、それを全部新潟市にしちゃったんですね。 だから昔と違って現在の新潟市はやたらめったらだだっぴろくなっているのです。 その所為か、自転車や徒歩で移動すると、そこがファミコン時代のドラクエのフィールドのように感じます。 集落と集落の間には主立った建物はほとんど無く東京では100mおきに見かけるコンビニが例え聞いたことのないチェーン名でも、ここでは砂漠のオアシスなのです。 まあそういうわけで、自転車を漕いでいる私の頭の中にはドラクエ1フィールドのBGMが延々と流れているのでした。
さて、その日の私の目的地と言えば新潟市を西にちょっとはみ出す弥彦山というところでした。 そこには、山の名前の由来となった弥彦神社、そしてその周辺には春は桜の名所、秋は紅葉の名所があるのですが、私といえば全くそのような風光明媚な場所に興味がないので、ただただそんな遠い所まで行って帰って来るというしょうもない達成感を得るというのが目的なのでありました。
BGMが約15万回ほど繰りかえされたころに、突然目の前に黄金のダンジョンが現れました!・・?です(笑) ・・まあ実際そのくらいのインパクトはありました、弥彦からは結構手前、岩船温泉郷のさらに手前の県道沿いにそれは、ありました。 バラック小屋の看板には「古本買入」とはっきりと記されておりました。 存在を知らなければ、まずは来られるような場所ではなく、 たとえ知っていてもおいそれとは来られない場所に、この宝のバラック小屋はあったのです(笑) わずかに見える店内にはソフビの怪獣などが見えます。間違いなくオタク的な古本屋です。
興奮気味に中に入ると6、8畳ほどの店内にはソフビの怪獣やおもちゃ、アニメ関係のグッズ、児童書、そして漫画の古本が所狭しと置かれていました。 場所が場所だけに客は私しかいません。 衝動を抑えきれずレジに座ってこちらをやや怪しげに見ている店主に話しかけました。 驚いたことに、その店主さんはウッチャンナンチャンが在籍していたことでも有名な今村昌平の映画学校出身者でした。
あ、申し遅れましたが先のZ美大で私の専攻は「映画」だったのです、おかげでかなり打ち解けることが出来ました。 さらに驚くには彼の弟さんは、なんと映画やドラマの新鋭の脚本家だったのです。 おまけにその弟さんが手がけた映画をそのちょっと前に、私は観ていたんです。 そんなわけで話はますます盛り上がりました。
気がつくと外は暗くなり始めていました。 その時点で最初の目的地である弥彦に行くのはとっくに中止にしておりますが、外灯もほとんどないそこから暗くなる前に帰らなければなりません。 その前に何か獲物を手に入れなければ・・というわけで、遅まきながらもう一度店内を物色し始めたのでした。
まず私が食いついたのは面白ブックの付録の手塚の「ライオンブックス」です。 状態はそれほど良くありませんが7000円ほどで売られておりました。 その頃、ちょうど復刻本が出たばかりでしたが原本が7000円というのは安いと思いました。 ですが万年金欠でさらに自転車で遠出する時はほとんど、財布に入れてなかったので、それを買うことは出来ませんでした。
どうしようかと、ふと店主さんのいる方を見るとレジ前の背の高いショーケースの側面に古いアサヒグラフが飾ってあるのに、気づきました。
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アサヒグラフ 1952年4月9日号
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「アサヒグラフ 1952年4月9日号」・・そう、藤子ファンならピンときた人も居るでしょう。 そのアサヒグラフには富山在住の時の藤子不二雄両人の投稿作品が採用掲載されていたのです。 「マンガ学校」というコーナー、ただその名義は足塚でも手塚でもなく、「牛塚不二雄」なのです。 これは読み違いからの誤植であろう可能性が高いと思われますが、けっこうな珍品です。 値札を見ると5000円でした。 まだ買えないなと思っていると、察してくれたのか店主さんが破れていることを理由に2000円に負けてくれるというので有り難く買わせて頂きました。
外はすっかり暗くなっていました。 御礼を言って急いで出発です。 県道にはほとんど外灯はなく、時々来る対向車のライトを頼りに自転車を走らせ、(実際真っ暗だと自転車のライトだけだとかなり頼りないものなのです) おっかなびっくり帰路についたのでした。
その後、この古本屋さんには、1年に一回は行って買い物をして来るようになったのですが バラックだった売り場が、隣の一軒家に移ったり、また行く度に顔を忘れられ、映画の話をして思い出してもらうというような中途半端な馴染み店になっているのでした(笑)
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好きなもの、手塚治虫
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今年に入って、私にとってエポックメイキングな出版がありました。 それは青いトリトンの完全復刻です。 私にとってこの作品は、単行本化される際に、哀しくも削られてしまう手塚作品の象徴なのです。
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「青いトリトン 海のトリトン オリジナル復刻版」上下 復刊ドットコム発行
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小学生の時以来、私は手塚に魂を奪われておりますが、如何せん、新潟という地区は、書店の品揃えに恵まれておりませんで、手塚作品のコレクションを一生続けるということを、悪魔に契約した当初、ちょうど出版されていた小学館の新書判の「手塚治虫全集」さえ、出版元に問い合わさなければ、手に入れることは難しかったのです。 そういった普通の単行本を揃えることでさえかなり困難でしたので、ましてや単行本の際の変更があることなど、地方の小学生であった自分には知る由もなかったのでした。
その後、背伸びして買っていた田舎ではレアなSFマガジンに「探求本コーナー」があることを発見して、その交流から手塚作品を復刻して会員にシェアするという「青いトリトン友の会」というファンジンに入会したのです。
この「友の会」は私にとって、夢のようなところでした。 全国の会員から手塚関係ならなんでも記事を集めて、それを本部からまた会員に、会誌として、配布してくれるのです。そこには見たこともない宣伝用カットとか、地方紙や業界紙に載った手塚氏のインタビュー記事。 なにより単行本の際削られた短いエピソードの復刻(作品掲載誌のオリジナルページ)などが、満載だったのです。 というわけで、そこで私は初めて、手塚氏の作品の大胆な変更(癖)を知るのでした。
「青いトリトン」は1969年から1971年に「サンケイ新聞」に毎日1ページで連載されました。 単行本は1972年から、サンデーコミックス(秋田書店)で、「海のトリトン」と改題して発行されました。 これは発行より前(新聞連載終了後)にテレビアニメの「海のトリトン」が放映され、その放映直後に単行本の発行されたからだと思われます。
ただ、テレビアニメの海のトリトンは、新聞連載で多少青年向けだったオリジナルと違い、 子供向けで、手塚タッチでもなく換骨奪胎のストーリーとなっております。 これは虫プロの終焉時のごたごたの際に別のプロダクションで作ったアニメだからです。
ちなみに、このテレビアニメ版「海のトリトン」の宣伝用に描かれたと思われる「テレビマガジン」「たのしい幼稚園」版の「海のトリトン」も存在します。 さらに講談社版手塚治虫全集「海のトリトン」1979-1980年に発行され、これはかなりオリジナルに近いものになっておりますが、依然として変更場所は存在しております。
さて、そのような「青いトリトン」ですが、そもそも毎日連載で、しかも吹き出しの文字は全て「描き文字」ですから、厳密に言えば全てのページに渡って、変更があるともいえます。 しかし、まあ大きな変更部分は後半のクライマックスですね。 特に主人公のトリトンが宿敵ポセイドンのアジトで大暴れするという展開に、大鉈が振るわれています。
ポセイドンの最後もオリジナルでは不死身で殺す方法がないので、トリトン自らポセイドンとともに地球外にロケットで飛び出し、 永遠に地球から消滅するという道を選ぶというものでしたが、サンデーコミックス版ではあっけなくアジトとともに、粉砕されるという最期となっております。 (いずれにしろトリトンがポセイドンと相打ちになるというのは変わらないんですけどね・・)
まあ、オリジナルのポセイドンの最期はポセイドン以上にトリトンの方がより残酷な最期と思えて、 当時の私にとっても割り切れない気分になったように覚えていますので、妥当な変更だったのかもしれません。 ただしこの残酷なラストは講談社全集版では復活しています(笑)
ところで、サンデーコミックス版では、このポセイドンの最期で、お話は後腐れなく終わっちゃってるんですけど、 オリジナルでは、この後にけっこう長いエピローグがあるんです。 トリトンの子であるブルーが、その遺志をついで人類の自然破壊に対する警鐘を鳴らすという・・・ うーーん、なんか何処かで聞いたこと有るなと思ったら、これ、ウルトラセブンの「ノンマルトの使者」のお話にも似てますね。
ラストに人類に対する警鐘を鳴らすというのは、手塚初期三部作(ロストワールド、来るべき世界、メトロポリス)からの定番ですね。 ひょっとしたら本人がそれを教条主義くさいと感じちゃったのかもしれませんが、これはもう知る由もありません。
ところで、この「青いトリトン」のエピソードを掘り出していると、私にはもう2つの作品が頭に浮かんで行きます。
それは「エンゼルの丘」そして「ピピちゃん」です。 手塚氏に変更癖があるといいましたが、もうひとつの特徴が作品世界の大きなリンクです。
「ピピちゃん」はおもしろブック1951年12月号から1952年5月号まで連載されたもので、同じ1951年12月に東光堂から発行された「化石島」にその1エピソードとして載っているのは、おもしろブックからの転用のようです。 さて、このピピちゃんからは、タイトルで主人公のピピちゃんがそのまま、海のトリトンのピピ子として、継承されています。 ちなみにピピ子や、その子供達が迷子になったり人間に捕まったりするエピソードは、ハリウッド映画「スプラッシュ」やディズニーアニメの「ファインディングニモ」に、けっこう似てますね・・・
そして、人魚の世界ですから、当然リンクする作品が「エンゼルの丘」です。 この作品は結果としてですが、大きな怪作となっております。 現在の定番は「講談社版手塚全集」の「エンゼルの丘」なので、これだけ読めばそれほど違和感はないと思うのですが、私が初めてこれを読んだのは虫プロコミックス版の「エンゼルの丘」だったのが、混乱を招いたのです。
この「エンゼルの丘」は「なかよし」に1960年から1961年に掲載されておりました。
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単行本は鈴木出版「手塚治虫選集・エンゼルの丘」全4巻 虫プロコミックス「エンゼルの丘」全2巻 講談社版手塚漫画全集「エンゼルの丘」全2巻等があります。 (この後にも出版されておりますが、講談社版と同じですので省略します。)
まず、お断りしておきますが、私はなかよし掲載版オリジナルの「エンゼルの丘」を読んではいません。 講談社全集版の手塚氏のあとがきに、全集版のエンゼルの丘がもっともオリジナルに近いものと書いてあったので、それを信じて話を進めさせて頂きます。 エンゼルの丘の、最初の単行本化が、鈴木出版の手塚選集です。 版型の規制と、カラー印刷にした所為なのか、かなりの省略、そして、コマの再編成が試されておりました。 省略部分を補う為と、4巻に分巻されたのを繋ぐため、多少のカットとナレーションが加筆されていますが、それでも、ラストの大きなエピソードは削り取られていました。(トリトンと同じように・・)
そして、2度目の単行本化が虫プロコミックスです。 手塚氏がいうには、今度こそオリジナルに近いものを・・と臨んだということでしたが、鈴木出版選集版のイメージを大事にしている読者が多いと言うことで、少し内容を変えてだけにとどまった作品になっています・・・・・・ と、手塚先生はおっしゃってますが・・・・・・・少し!!?? いやあ実はこの単行本化は3種類とも根底から全く違う設定と展開になってるんですね。 えー。それは単にラストのエピソードを削ったということよりずっと大きなことでなんです。
それは、こう言う事です。 今でも読まれる、オリジナルの全集版のエンゼルの丘では人間関係の設定は
主人公ルナ・・・人魚族の王女、海に流され記憶を失う。 ソレイユ・・・人魚族の王女で、ルナの姉 ピョーマ・・・エンゼルの丘の秘密を守るためルナをつけ狙う女祈祷師 北小路英二・・海に流されたルナを救い日本の家にかくまう あけみ・・・英二の妹。わがままだったが、見た目がそっくりのため、ルナの身代わりとなって、苦難を乗り越えるうちに立派な少女となる(笑) 英二とあけみの母・・画家で、鼻持ちのならない女だったがあけみと入れ変わったルナの献身さに打たれ、生まれ変わる。
鈴木版でもほぼ同じですね。 しかし虫プロコミックス版ではこうなります。
主人公ルナ・・・人魚族の王女、海に流され記憶を失う。 ソレイユ・・・人魚族の王女で、ルナの姉 ピョーマ・・・エンゼルの丘の秘密を守るためルナをつけ狙う女祈祷師 北小路英二・・海に流されたルナを救い日本の家にかくまう あけみ・・・英二の妹。わがままだったが、見た目がそっくりのため、ルナの身代わりとなって、苦難を乗り越えるうちに立派な少女となる(笑) 英二の妻であけみの義理の姉・・画家で、鼻持ちのならない女だったがあけみと入れ変わったルナの献身さに打たれ、生まれ変わる。
なんと、この「英二とあけみの母」と「英二の妻であけみの義理の姉」が、実は全く同じキャラクターなんですね。 つまり、手塚氏は一つのキャラクターを別の単行本化の際に、全く別のキャラクターに、コマや台詞の文脈を変えて、再編成したのです。 まさにブラックジャック並みの大手術です。 たぶん、これだけ説明しても分りにくいでしょうから、3種類の単行本の一つのコマの違いを見てもらいましょうか・・ (ちなみに鈴木出版と講談社の単行本は設定は同じですが、時間と展開は大きく変更されてるのでやはり、コマ内の台詞はかなり変わっています。)
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鈴木出版 手塚治虫漫画選集25「エンゼルの丘」4 12ページ下段
虫プロコミックス「エンゼルの丘」2 76ページ下段
講談社手塚治虫漫画全集「エンゼルの丘」2 95ページ下段
講談社手塚治虫漫画全集「エンゼルの丘」2 47ページ中段左
虫プロコミックス「エンゼルの丘」2 39ページ中段左
噂の「英二の母であり妻である女性」・・・・・・なんと、役名はありません!
どうですか、このコマだけを見ても全く違う展開だということが分るでしょう。 特に英二にとって自分の妻であるか、はたまた自分の母であるかということがとんでもなくお話をひっくり返してしまうかということがお分りになると思います・・ 部分的な修正ではなく、この設定は主要人物達の関係性ですから、全編に渡って続くのです。 これを描き直しなどほとんど無く、コマ編成と台詞だけで変更しちゃうのですから、これがまさに映画的手法を漫画に完全に取り込んだ手塚氏ならではの、モンタージュ(映画的編集)技法といえるでしょう。
*ちょっと分りにくいかもしれませんが、良くテレビのワイドショーで、インタビューの前後関係を変えたりとか、ワードをカットすることによって、実際の出来事とは大きく変えてしまうのも、この技法です。
このように、「青いトリトン」と、それを含む3作品は、私にとって手塚作品がその一つの作品から、何倍にも広がる手塚ワールドとなっていく象徴なのでした。 一分の隙もない完璧な作品より、その「隙」から、別のバージョンに繋がったり、無限にリンクする手塚ワールドに私は強く引かれるのです。
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そして現在
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次々と発刊される、手塚作品の「オリジナル」にワクワクし続けています。 さらには、現実的な復刻刊行だけに飽き足らず、とんでもない妄想も広がっていきます。
たとえば、少年画報1953年9月号に付録として掲載された「宇宙狂想曲」は宇宙をテーマとしたオムニバス作品で私の大好きな作品ですが、 この作品は、掲載された分だけでなく、出版社で紛失してしまったと言われる、幻の原稿があるのです! この原稿がある日突然、意外な所から発見され、「宇宙狂想曲」の完全版が刊行される!! ・・・・・・・・・・などというファンの欲望に満ち満ちた妄想を持っています。
そうそう、オムニバスと言えば手塚作品の中で私の一番好きな作品のひとつが「火の鳥」なんですが、「太陽編」の後に描かれるはずだった「大地編」。そして、初期の構想には入っていたと思われる「アトム編」。 これらが描かれる前に、手塚氏が亡くなってしまったのは本当に残念でなりませんでした。
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しかし、近年さいとうたかお氏が、「ゴルゴ13」の最終回の原稿を金庫に保管してあるというのを聞いて、もしかしたら火の鳥の最終回の原稿も何処かにあるんじゃないか!と強い妄想を持つようになりました。 それも金庫なんかじゃない某国の地下深く巡らされた迷路を持つ秘密施設の奥にそれは眠っているのです・・といった、あんまり妄想が広がりすぎて、失われた手塚オリジナル作品を探し世界中を巡る、古本探偵の冒険活劇小説の構想が浮かんでくるぐらいです(笑)
まあ、そんな妄想が浮かぶくらい、このところ、手塚氏の幻の原稿が信じられないくらい続々と発見されているし、オリジナル部分の復刻刊行も顕著ですね。
もっともご本人はディレクターズカット版こそ定番と思っていたようですから、天国で臍を噛んでらっしゃるかもしれませんね・・