靖子にゃんの脚本を読み解く
現在は特撮の脚本の他にアニメーションのシリーズ構成も勤め最近ではアニメ版のジョジョや進撃の巨人も手掛けています。 特撮で靖子にゃんに触れた事のある人は、アニメの進撃の巨人にて原作では描かれていなかったジャンのシーンがあると「…今日、靖子だな」と気付いたものです。 これは、調査兵団に入った104期生の中でジャンが唯一いわゆる「普通の人間」の感覚を持ち合わせているキャラクターでありおかれている状況に対しての心情を吐露する事により視聴者の目線を誘導するものでした。 こうした、いわば作り物で更にアニメや特撮という子供向け番組であるが故に聖人君子として振る舞う事を半ば強要されているキャラクターの「生きている人間であるならば当然持ち合わせている弱い部分」言うなれば「醜い一面」を描く事に、小林靖子という人は非常に長けているのです。 メインライターとしての最初の作品は、1998年の星獣戦隊ギンガマンだったと記憶しています。 その後未来戦隊タイムレンジャー、仮面ライダー龍騎、ドラマ版の美少女戦士セーラームーンを描き、その後2007年に仮面ライダー電王を生み出します。 私は靖子にゃんの脚本作品では「仮面ライダー電王」「侍戦隊シンケンジャー」が特に好きなので、この作品の台詞にスポットを当ててみます。 いや、ほんとはもっとあるんですけど!ほんとにあるんですけど!!!! 仮面ライダー電王 第20話「最初に言っておく」より 「弱かったり、運が悪かったり、何も知らないとしても、それは何もやらない事の言い訳にはならない」 これは主人公の野上良太郎の台詞です。 良ちゃんは、外を歩ければヤンキーにカツアゲされ、自転車に乗ればぶつかって木の上に飛ばされてしまうような運が悪いと言うか悪い星の元に産まれてしまったような設定です。 その彼が、戦う事を否定するような事を言われた時に言ったセリフです。 靖子にゃんが描く仮面ライダーは大体1話で「初めて」変身するシーンが描かれます。 仮面ライダーは色々な設定があり、既に仮面ライダーに変身する能力を持っていてお話が始まるパターンと、1話で仮面ライダーとして初めて変身するパターンをおおまかに分けられますが、靖子にゃんは大概1話で仮面ライダーとしての変身ベルトを授けられ何らかのハプニングで仮面ライダーになるストーリー展開をします。 初めての変身で戸惑った主人公が必ず自分の手のひらを確認する仕草をするのも見ものです。(高岩成二の腕のみせどころ) 1話で初めて変身した主人公が「仮面ライダーとして世界を悪者から救う事」を徐々に受け入れお話が進んで行くのです。 これは20話まで来て、この台詞を良ちゃんが言う事で「世界を救う事」という大きな使命を彼が受け入れ、更にそこに強い意志が既にある事を表しています。 仮面ライダー電王 第32話「終電カード・ゼロ」より 「カードはお守りじゃないんだ。 使う時に使わなきゃ意味が無いんだよ!」 これは電王での2号ライダーの仮面ライダーゼロノスの台詞です。 靖子にゃんの描くヒーローは何かしらを犠牲にして戦う事が非常に多いです。 他の脚本家の方と比べる際に、週刊少年ジャンプにて「ドラゴンクエスト ダイの大冒険」の原作を手掛けていた三条陸氏が特撮では「仮面ライダーW」「獣電戦隊キョウリュウジャー」を手掛けていますが 「もっと戦っている姿を見たいのが三条ヒーローで、これ以上戦う姿を見たくないのが靖子ヒーローである」 と、評された事もありました。同じ戦いの終結を望むのにも、脚本が違うとこうも違うのです。 ゼロノスに変身する桜井侑斗は他人の中の自分の記憶を犠牲にして戦うスタイルでした。 電王は電車をモチーフにしたヒーローだったので、主人公の野上良太郎はベルトにカードを翳す事で変身します。これはSuicaのタッチをモチーフにしています。 そして2号のゼロノスはというと、こちらは回数券をモチーフにしています。変身する度に少なくなるカード。そしてそのカードは使えば使うほど他人から自分が忘れられていくカードなのです。 それを承知で、侑斗は戦うのです。 侍戦隊シンケンジャー 第四幕 「夜話情涙川」より 「夢を捨てたって言っても、あきらめたんじゃないから。いまは捨てても、あとでまた拾う…」 これはシンケンピンクの白石茉子ちゃんの台詞です。 シンケンジャーは赤だけずっと赤として戦ってきて、1話で元々力をもっていた他の4人が合流するスタイルで展開するストーリーです。 侍戦隊というだけあり、赤のシンケンレッドがお殿様で他の4人が家臣という設定です。 1話まで一人で戦ってきたレッドが、敵の力が強くなってきたこともありずっと普通の生活をしていた家臣たちを戦いの為に集めます。 ブルーは歌舞伎の家元に産まれ跡取りとして歌舞伎の腕を磨きながら戦いの修業を続けていました。 4話ではある子供との交流をきっかけに、諦めてしまった歌舞伎の道に想いを馳せます。 茉子も「普通のお嫁さんになる」という極普通の夢を一度諦め、侍として集結しました。 そんなシンケンブルーの流ノ介にシンケンピンクの茉子がかけた言葉でした。 「世界を救うヒーロー」が等身大の人間であるというメッセージは逆説的に普段普通に生きている我々も何かあった際には大きな偉業を成し遂げる事も可能であるという前向きなメッセージともとれるわけです。 侍戦隊シンケンジャー 第四十八幕 「最後大決戦」より 「自分を偽れば、人は独りになるしかない」 これは志葉家18代目当主である志葉薫の台詞です。 前述しましたがシンケンジャーはお殿様と家臣のお話でしたがレッドであるお殿様は実は影武者だったのです。 レッドの志葉丈瑠は志葉家の正当な跡取りが大人になるまで敵から身を隠す為に立てられた影武者の殿様でした。 家臣を集結させるため一人だけで志葉家の血を繋げるため一人きりで戦ってきた丈瑠でしたが、戦いの過程で徐々に家臣たちに心を開いていきます。 その中で、家臣たちを欺き続ける事に1人悩み「戦う事」にのみ執着し強さを競おうとする敵側に感情移入してしまいそうになる描写などもありました。 そんな中、とうとう本当の当主が家臣たちの前に現れます。(余談ですが、特撮番組のネタバレは幼児向け雑誌の「おともだち」や「テレビマガジン」が一番早いのですが、私はこのネタバレを読んだ際本屋で膝から崩れ落ちるという大変恥ずかしい大人です) 本当の当主は女性であり14歳のお姫様でした。 1話でシンケンブルーの流ノ介が、駕籠で現れたシンケンピンクの茉子に向かって勘違いし 「殿が女性だったとはつゆ知らず!失礼しました!」 と、言い茉子が 「ちがうちがう。私じゃない」 と返すシーンがありました。 1話で既に「跡取りが女性の可能性がある」という伏線を貼っているのです。 姫である薫は丈瑠に向かって言います。 「お前に会う前からどんな人間か分かっていた。私と同じように独りぼっちであろうと。自分を偽れば人は独りになるしかない」 薫もまた、影武者を立てる事によって当主が自分ではないと自分を偽って生きてきたのです。生まれた時から。 一見悲しいセリフですが、丈瑠は姫に向かってこう返します。 「はい。ただ…それでも一緒にいてくれるものはいます」 偽りの殿様であったとしても、家臣と過ごした時間は本物でありその絆は本物であると、丈瑠は初めて家臣に対しての素直な気持ちを吐露するのです。 子供向けと侮るなかれ。 特撮番組には「ヒーローは悪者をやっつける」というシンプルな勧善懲悪の中に考えさせられるセリフも多く、1つのドラマとしても十分楽しめるものも多くあります。 是非1話から通して見て頂きたいです。 (もーりー)