手のひらの上の宇宙。

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1 「HP200LX、名門ヒューレットパッカード社製1994年製造。一部のマニアの間で絶大な人気を得、処理スピードより大事なものがある事を教えた偉大な”パーソナル”コンピュータ。」  

偉大なる「ダイナ(ミック)・ブック」

トップマシンに比べ割りきって使う事が前提の性能で、ごく一部の人間が仕事や趣味の為にシコシコと使っていた時代であった。

「持ち運べるパソコンってところですね。平成生まれの人には分からない、持ち運べないパソコンという言葉ならありそうですね:-p」 実はそういった「ノート・パソコン」や「タブレット・スマートフォン」が普及するはるか昔…1972年の事、アラン・ケイと言う人間が理想のコンピュータ論として「ダイナブック構想」を打ち立てた。 インターネット誕生前にサイバーパンク文学の古典ニューロマンサーがあるように、アラン・ケイはコンピュータを使う未来を的確に予想する。 それは、本や新聞の様であり、音声や動画が取り扱いが出来、子供が自由な画用紙に絵を使い、ネットに通じ情報にアクセス出来るレベルの「GUI」であること、そして低価格であること等が挙げられた。その当時の思いつく限りの理想をまとめた、このダイナブック構想はやがて彼の所属するパロアルト研究所にてALTOというプロトタイプマシンで結実していく。

「ここで言う、ダイナブックとは、ダイナミック・ブックの略称であり、東芝がその名前を買い商品にし、世間的にはそっちが有名になっちゃったって話。マニアからすると恐れ多いんじゃないの?!とかドヤっ!」

そしてiPhoneでお馴染みのアップル創業者スティーブ・ジョブスが政治力とマネーパワーでAltoからインスピレーションを激しく受け、パクり精神や拡大解釈アレンジしたものが、Lisaを経てMacintoshを産み、間にゴチャっと色々あってiPhoneが生まれる。

「GUI…グラフィカルなユーザーインターフェイス。つまりiPhoneの画面とか、windowsとか。そんな感じ、パソコンといえば映画マトリックの緑文字みたいな カタカタコマンドやコマンドやプログラムを打つ。それじゃ使えん!ってことで、見た目がビジュアルなアイコンとか、マウスとかで使うってこと。」

つまり、今のような誰もが直感的に動画をみたり、メールをしたり、ゲームをしたり、ネットを使ってランチの写真をアップしたり、愛猫面白画像を世界発信できるこんな世の中の連鎖の源は、口ひげが渋いアランさんが結構キーマンだったりするって事だ。

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「私も若かりしにこの本を読み、インターフェースとは? 真の使いやすさとは?!なんて考えちゃったり考えなかったりしました。名著。あわせて読みたい岩波書店の「マルチメディア」こっちにもクレジットあり。」

電子的 手帳

時代は80年台中頃。 パソコンが一般認識として、どうやらワープロとゲームの役くらいには立つ予感が高まった頃、アラン・ケイの世界がおぼろげに見えてきた。それでもパソコンは専門の呪文(操作)を覚えなければ目的に達せないというイメージも強かった。専用型のコンピュータ=ワードプロセッサ(ワープロね)に一定の需要はwindows95登場直前まで根強く残っていく。 一方で、パソコンを持ち歩けないか、秘書のような情報システムを構築出来ないかと様々なアプローチで製品が誕生していく。現代では死語になった電子手帳である。筆者はこの電子手帳というものが特に好きだった。電子手帳というものは、非常に孤高でかつ、大変な道楽なモノだと私は思っている。その小型化ゆえの技術結晶性、そして小さいながらも電子機器でありソフトウェアが走っている事。なによりもパソコンでは無いがコンピュータデバイスが常に持ち運べるのである。瞬時に電源を入れるとそこはコンピュータとの対話。それは持ち運べないコンピュータでは味わえない楽しさでもあった。

「電子機器を操作するという事は、ひいてはコンピュータとの対話にほかならない。そしてそれを設計した思考との密かなる邂逅。」

電子手帳といえば、日本ではCASIOとSHARPの全面戦争の歴史でもあった。発端は勿論計算機時代から。両社ともに傑作を生み出し評価を得ていたが、歴史の結果としてはシャープが残った。そして最終的にはザウルスシリーズへと結実してゆく。

「ザウルスはインターネット時代でもわずかに生き残り、ファンに支えられた。最後には、Linuxを取り入れ、タブレット技術やデジカメまで取り込み独自進化を遂げたが、それは「ガラパゴス」の域を出なかった。しかし、その試みは他社へ影響を残した。」

当時中学1年であった私は同級生がゲーム機や、ホビー関連の品を買い求める頃、電子手帳に未来の予感を感じ、正月に親を騙し、勉強の役に立つと洗脳しSHARPの電子手帳を購入した。その電子手帳ではソフトウェア・カードを入れ替える事により料理のレシピ集、実用文例集、各種語学辞書は勿論、ゴルフデータ記録ソフトやゲームでは倉庫番、テトリスから大戦略といったカードもラインナップされていた。しかし、殆ど帰宅部状態でかつ、暗いマニアだった私に外交的な予定等あるはずもなく、住所録は自宅を打ち込み力尽きた。それでも深夜一人で様々な機能に触れ未来が手の平の上に来た印象を受けた。しかし、その電子手帳という未来は、原始的な紙の手帳を超えたかの様に思えたが、道具としてかえって面倒くさいと大半のユーザーに思われ、市民権を得られずその役割を変える事は出来なかった。

Duplicate kills creationという道徳の死

いつの時代でも技術黎明期に工業製品が時代の需要を超えて、一部の開発者が輝く未来を魅せてくれる。その怪しい光に、常に少年の心は激しく焦がされるものだ。特に1980年から、近年まで、ネット広告費がTV広告費を上回るという「ラジオスターの悲劇」の再来までそれは続いた。言い換えれば、パーソナル・コンピュータというものが大きく時代の歩調という大股に飛び越えられデジカメに電話とヘッドホンステレオ機能がついたiPhoneを代表とするスマホに消費された。それはほんの一昔前、電子手帳にみんなが抱いた輝かしい未来を内包し超越していたのだ。スケジュールは共有・公開が可能で、かつプラットフォームは選ばない。決済が出来るレベルでセキュリティが確保出来ていて、ボタンは最小限に抑えられていた。そんなタッチスクリーンデバイスが出回る頃、マニアの殆どは何故キーボードをつけないのか?という事に不満を感じ、その新しいデバイスに目的までに達するもどかしさを不平した。

「ラジオはラジオ。テレビはテレビである。しかし、MTVの台頭を予見する前、バグルスは「ラジオスターの悲劇」を書いた。 テレビがラジオを殺したと。しかし、僕は忘れない、素晴らしい君のシンフォニー、それを葬るテクノロジー。もどれないあの時には、この時代は進みすぎた、僕は刻んだ、心の奥のVTR。みたいな話。」

そして、現代、我々の取り巻く情報環境はYoutube,amazon,wikipedia,GoogleとSNSという独自の緩さを持ったインフラが浸透した。それら全てを支えている根源は私はこの、ダイナブックから生まれた「未来の」デバイス、iPhoneにほかならないと思う。ついに、マニアの呪縛から開放された難しいデバイスは、思想や技術、デバイスへの知識など軽くふっとばし、猿達の手に渡ったのだ。これこそが、アラン・ケイの思い描いた世界。しかし、皮肉なのはテン年代と言われる言葉が生まれ、一種のモラル・文化の転換期を我々は迎え、炎上と拡散、マーケティングとリターゲッティングという檻の中で自由を叫びだしてしまった事だ。

「著者はかつて秋葉原のパソコン量販店で勤務をしていた頃、「インターネットをください」というセリフを少なからず受けた。iMacが発売された後、客層が変わり始め、気がついたら、現在、パソコンはマニアのおもちゃに戻りつつある気がする。」

マニアと自負する根っからの原始人的オタクの私には、スチームパンク的未来が実はあったのではないかと、目の前に広がる社会に、いつの間にか失った輝きを夢想してしまう今日この頃である。そんな我々の「古い会社」では、そんな輝きがあった頃の製品を買い取り、販売を続けています。

「テン年代とは、佐々木敦氏提唱の言葉。氏の著作は非常に素晴らしいものが多いが、こういった時代の捉え方など影響を受けます。テン年代というと個人的には「神聖かまってちゃん」をまず思い浮かべます。そのアイコンイメージよりも彼らの取り続けた方法論、価値観は見るべきものがあると思います。」

(こっしーくん。)


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