あの頃の思い出をもう一度!~バックトゥ・ザ・80’s~ 1984年

公開日:たいむましんスタッフ

バック・トゥ・ザ80s_1984

さあ、またやってまいりました。「バックトゥ・ザ・80’s」のお時間です!
「バックトゥ・ザ・80’s」第5回目は、1984年の世界へタイムトリップ!今回もその時代に起きた出来事やカルチャーなどを振り返っていきます。

前回は初登場から今でも高い人気を誇る名作や、空前の大ブームとなった『ファミコン』や『キン消し』が登場した1983年を振り返りました。

1984年にも、当時を体験した人たちが「懐かしい!」と思い返せるような出来事が待っています。
前回のあとがきで予告した「アメリカから日本にやってきた人形」と「プレートの上で時計を動かすゲーム」も登場しますので、ぜひ最後までお楽しみください!

1984年の出来事

1984年の出来事

1984年は昭和で言えば59年、干支は子(ね)でした。
1984年に発売された商品は、『カントリーマアム』『コアラのマーチ』『カラムーチョ』などがあります。今ではコンビニやスーパーに並んでいるおなじみのお菓子で、小腹がすいた時や仕事の空き時間に食べている人もいるのではないでしょうか。

カラムーチョといえば・・・
中でも1番衝撃を受けたのは、湖池屋から発売された『カラムーチョ』です。当時は「辛いお菓子」がまだなかったので、新しく登場した「辛いポテトチップス」がすごく新鮮だったのを覚えています。当時子どもだった私にとってはかなり辛く、パッケージに描かれたヒーおばあちゃんのように「ヒーヒー」いいながら食べていました。

新しいといえば・・・
1984年は、新札の発行が開始された年です。新札の発行は1958年以来15年ぶりの出来事であり、1万円札は福沢諭吉、5000円札は新渡戸稲造、1000円札は夏目漱石へと変わりました。
新札といえば、2024年にも渋沢栄一、津田梅子、北里柴三郎の新札が発行されましたね。新札を見た時は少し不思議な感じがして、同時に今まで使っていたお札がなくなってしまうことの寂しさも感じました。
今はまだ慣れませんが、時が経てばあの時のように自然と日常に馴染み、新札を使うのが当たり前の光景になるのかなあ…と思います。

開始といえば・・・
日本をはじめとした140ヵ国が参加した「ロサンゼルスオリンピック」が開催されたのも1984年でした。日本がオリンピックに参加するのは16年ぶりであり、柔道の山下泰裕やマラソンの瀬古利彦、体操の具志堅幸司らが出場しました。
この大会で日本は金メダル10個、銀メダル8個、銅メダル14個と、合計32個のメダルを獲得。テレビでの中継が行われていたこともあり、世間がオリンピックムードで盛り上がっていたのを覚えています。

1984年のカルチャー

1984年のカルチャー02

1984年の音楽分野では、中森明菜の『十戒』『北ウイング』やチェッカーズの『ギザギザハートの子守唄』、郷ひろみの『2億4千万の瞳-エキゾチック・ジャパン-』などがリリースされました。当時から高い人気と知名度を誇り、リリースから40年以上経った今でも歌番組でカバーされるほどの名曲たちが揃っていますね。

アニメでは大ヒットアニメ『うる星やつら』の劇場版第2作目となる『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』が前年の『オンリー・ユー』に続き公開。『ドラえもん』は5作目の『ドラえもん のび太の魔界大冒険』が公開されました。
さらに、今でもそのクオリティの高さでアニメファンから高い支持を受ける『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』も1984年の公開でした。主題歌の『愛・おぼえていますか』もヒットを飛ばし、マクロスの人気をさらに盛り上げていました。

毎年恒例の東映まんがまつりでは、シリーズ初の劇場版『キン肉マン 奪われたチャンピオンベルト』。そして『宇宙刑事シリーズ』では初の劇場作品となる『宇宙刑事シャイダー』も公開されていました。
『宇宙刑事シャイダー』は春と冬にそれぞれ東映まんがまつりに登場しましたが、『宇宙刑事シリーズ』としてはそれが最後の劇場作品となりました。(2000年代になるとリバイバルブームに乗って劇場版やVシネなどで映像化されましたね。)

洋画では現在でもカルト的な人気を誇る『ゴーストバスターズ』が公開。同じく人気シリーズの第2作目『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』も公開されました。
この他にも主題歌を思わず口ずさんでしまうジャッキー・チェンの代表作『プロジェクトA』や、可愛い見た目とは裏腹なホラー展開が人気を集めた『グレムリン』も1984年に公開されています。

邦画では原田知世主演の『愛情物語』、薬師丸ひろ子主演の『メイン・テーマ』が7月に同時公開され、配給収入18億円とかなりの大ヒットを見せます。80年代アイドルの2人が主演を務めていたこともあり、同タイトルの主題歌もヒットしました。
さらに、ジャッキー・チェンばりのカッコいいアクションを見せた武田鉄矢主演の『刑事物語3 潮騒の詩』や、1975年以来9年ぶりの新作となる『ゴジラ』など、洋画、邦画、アニメすべてがバラエティ豊かで豪華なラインナップの作品が勢ぞろいしていた年でした。

1984年のヒット商品

1984年のヒット商品

1984年は日本だけでなく海外でもブームとなったあのおもちゃや、革新的なデザインで衝撃を与えたあのアイテムが発売された年でした。

当時の思い出を振り返りながら、1984年に流行ったアイテムの魅力について語っていきたいと思います!

キャベツ畑人形

キャベツ畑人形

『キャベツ畑人形』は、1984年にツクダオリジナルから発売された人形です。元々は1982年にアメリカのコレコ社から誕生した人形であり、その1年後には日本でも販売が開始されました。

当時私はこれが大変欲しかったのですが、石川県の田舎に住んでいた私の家の近くには玩具の専門店はなく、今と違って通販もない時代でしたから私の手元に来ることはなく……。
「代わり」ということで母が手縫いの人形を作ってくれたのですが(キャベツ畑人形とは違って、頭部も布製でした)、子ども心に「これは違うもの……」と思っていたのを覚えています。

大人になった今の視点で考えれば、母が作ってくれた手縫いの人形こそ、唯一無二のオーダーメイドの人形なわけですが、今でも私にとってはキャベツ畑人形は「見果てぬ夢」の感覚が強いのです。

いっち~

キャベツ畑人形は結構数奇な運命を辿った人形でもあり、その発売元は「コレコ」→「ハズブロ」→「マテル」→「トイザらス」→「プレイアロング」→「ジャックス・パシフィック」そして現在の「アリゲニー」へと転々としてきました。キャベツ畑人形自体は現在でも販売されていますが、日本国内での正規販売は行われていない状態です。

風の谷のナウシカ

風の谷のナウシカ

『風の谷のナウシカ』は、1984年3月11日に公開されたアニメーション映画です。宮崎駿が監督を務め、興行収入14億円を記録。後にスタジオジブリ設立のきっかけにもなった名作映画です。

子どものころに観に行ってその世界観と描写に魅了されて、人生で何十回と見た作品です。2020年に再上映されたときももちろん観に行きました。

当時、月刊アニメージュで漫画が連載されていまして(昭和58年~)、ワイド判の漫画も買いそろえましたが、子どもの頃の自分にとってはそれなりに高価なものでした。
ただ、それ以降、10回程度の引っ越しをしましたが、常にこの本と一緒に引っ越しをしました。
映画ではそれほどクローズアップされないクシャナ殿下がまたすてきで……。

風の谷のナウシカは、永遠に「私にとって一番好きな映画」のうちのひとつです。

いっち~

ジブリ作品と思われがちな『風の谷のナウシカ』ですが、厳密にはトップクラフトが製作した作品になります。この作品がヒットした事で出版元の徳間書店がアニメ事業に進出し、徳間書店の出資によりスタジオジブリが設立。その後トップクラフトはスタジオジブリに改組され今に至ります。

チクタクバンバン

チクタクバンバン

『チクタクバンバン』は、1984年に野村トーイから発売されたパズルゲームで、「ぜんまい仕掛けで動いてくる時計の進行方向にある線路プレートを動かして、時計が止まったり、落ちないようにする」ゲームです。

子どもの頃、これが家にあって相当遊んだ覚えがあります。自走するし音が出るしで焦ってプレートを動かそうとするのですが、そこは子どもの浅知恵、とっさに反応できなくて何度も脱線させた覚えが……。

こういう遊びは兄弟や友達と遊ぶものですが、私は上の姉と5つも離れていたので、身近にいる姉とよくこのゲームで遊んでいましたが一方的に負けてばかり、やっと姉に勝てるようになった頃には遊び自体に付き合ってくれなくなったというちょっと切ない思い出もあります。

子どもの頃の5歳差は大きいことを実感させてくれたゲームでもありますが、友達とも結構遊んでいた思い出のあるゲームです。

いっち~

昔からあるスライディングパズルに時間制限の要素をプラスしたゲームで、当時はテレビCMが結構放送されていた事もあり、持っている友人も多かった記憶があります。進行方向の先の先を考えてプレートをスライドさせる必要があり、時計が乗った状態のスライドを強制的に動かす荒業で窮地を乗り切るなど、一人でも複数人でも遊べるゲームでした。

Macintosh(マッキントッシュ)

『Macintosh(マッキントッシュ)』は、1984年にAppleから発売されたパソコンです。当時自分の周りでは「パソコン」ではなく、「マイコンピューター」の略である「マイコン」とよく呼ばれていましたが、これは近年になって和製英語で海外では通用しないことを知りました……。

当時、家にはPC-8801とMSXがあったので、パソコン自体は身近にありましたが、初めてMacintosh(マッキントッシュ)を見たとき、マウスを使って操作することにびっくりした覚えがあります。

Macintosh(マッキントッシュ)は、ほかのPCとは異なって、最初から絵を描くソフトが入っているなど、パソコンで絵を描くことに向いたパソコンと言われていたので、当時子どもだった私はマウスを使って簡単な絵を書いて一喜一憂していました。でも、お絵描きレベルで終わってしまって、結局はPC-8801やMSXで簡単なプログラムを打ち込んだり、ゲームで遊んでました。

いっち~

iPhoneやiPadなど生活には欠かせないアイテムを世に送り出し続けるAppleが発売した革新的なパソコンが「Macintosh」です。今のパソコンでは当たり前となったマウスを使って画面に表示されているウィンドウをクリックするという直感的な操作方法を本格的に搭載したのがこの「Macintosh」で、その新しいパソコンの使い方やスタイルはまさに革新的な1台でした。

ディスクマン(D-50)

ディスクマン

『ディスクマン(D-50)』は、1984年にソニーから発売された世界初のポータブルCDプレーヤーです。当時CDプレーヤー自体は10万円台がざらな時代に、小さくて持ち運びもできるのに定価は49,800円という安さで大ヒット!この『D-50』が出たことで各社からも安価なCDプレーヤーが多数登場し、CD市場が一気に盛り上がったという革新的な1台です。

当時、中学校や高校に進学した人がこれをお祝いとして買い与えられていた覚えがあります。
今はスマホなどのもっと小さい機材に音楽を入れて持ち歩けるようになりましたが、当時の若い世代にとっては、「小さくて」「鞄に入れられる」のが非常に衝撃的でした。

また、外見がすごくスタイリッシュでクールで、格好良かったこともよく覚えています。今だと死語かもしれないですが、非常に未来的なデザインだと思いました。
最近赤色があったことを知り、赤色のD-50なんて記憶に無いなと思っていたのですが、黒色のことしか覚えていないのは、単に自分の周りの人が黒色しか持っていなかったからかもしれないですね。

いっち~

当時「ディスクマン(D-50)」の登場は本当に衝撃的で、CDと言えば高級なオーディオ機器と考えられていたので、定価で50,000円を切るという価格設定はかなり話題になりました。ここまでCDが普及したのは「ディスクマン(D-50)」のおかげと言っても過言ではないと思います。

あとがき

発売当時から現在まで、40年以上にわたって高い人気を集めている作品が登場した1984年。
世代を超えて歌い継がれる『十戒』『2億4千万の瞳-エキゾチック・ジャパン-』などの名曲とともに、劇場公開された『ゴーストバスターズ』や『プロジェクトA』、『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』なども映画作品としてはもちろん名作ですが、その主題歌やテーマ曲も結構名曲と呼べるものばかりでしたね。

そして、1984年は海外から日本にやってきた『キャベツ畑人形』や、当時は何もかも革新的だった『Macintosh』などのアイテムも登場しました。
キャベツ畑人形は当時どうしても欲しかったのですが、今振り返ると「何でそんなに欲しがってたんだろう?」と不思議な感じがします。TVや雑誌におどらされていたのでしょうか。
最新の物や話題の物についつい手が出てしまうマニア魂は、今でも全く衰えていないです。たぶんこれからもずっとこのままだと思います。

そんな感じで今回は1984年について振り返ってみました。
本当ならまだまだ語りたいことがたくさんあるのですが、それはまた別の機会に語り合えればと思います。

さて、次回の「バックトゥ・ザ・80’s」は1985年を振り返ってみたいと思います。
1985年には「森の動物たちの人形」や「ファミコンブームの火付け役」が登場しますので、ぜひお楽しみに!

では、最後までお読みいただきありがとうございました。
次回もタイムトリップして、懐かしい思い出を一緒に辿りましょう!

いずれも買取に関する手数料・査定費 無料!!

よろしければシェアお願いします

PAGE TOP