あの頃の思い出をもう一度!~バックトゥ・ザ・80’s~ 1981年

公開日:たいむましんスタッフ

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さあ、またやってまいりました。「バックトゥ・ザ・80’s」のお時間です!
「バックトゥ・ザ・80’s」第2回目は、1981年の世界へタイムトリップ!今回もその時代に起きた出来事やカルチャーなどを振り返っていきます。

前回は「アイドル黄金時代の幕開け」と呼ばれ、ゲームの世界に革命を起こしたアーケードゲーム『パックマン』や『ゲーム&ウオッチ』が登場した1980年を振り返りました。

1981年にも、当時を体験した人たちが「懐かしい!」と思い返せるような出来事が待っています。
前回のあとがきで予告した「ヤンキーのカッコをさせた猫」と「大きな黒縁メガネをかけたロボットの女の子」も登場しますので、ぜひ最後までお楽しみください!

1981年の出来事

1981年の出来事

1981年は昭和で言えば56年、干支は酉(とり)でした。
1981年には今でもみんなに愛されている氷菓の「ガリガリ君」と「雪見だいふく」が発売されました。「冬でも美味しく食べられる」雪見だいふくは、夏に食べるイメージだった氷菓の常識を覆したまさに革命児でした。

雪といえば・・・
1980年の年末から1981年の3月にかけて日本海側を中心に「56年豪雪」と呼ばれる記録的な豪雪が続きました。特に1月の初旬から中旬にかけては激しく降り、山間部では300cm、平野部でも100cmを越える積雪が各所で記録されました。

記録的といえば・・・
同一司会者によるトーク番組の最多放送世界記録も保持している黒柳徹子さんの自伝小説『窓ぎわのトットちゃん』が発売されたのは1981年の3月でした。
黒柳徹子さんの小学生時代を描いた本作は、発売から2カ月で発行部数50万部を記録。小学校の教科書や試験問題にも使われるほどの大ヒット作となり、「戦後最大のベストセラー」とも呼ばれています。
2023年10月には42年ぶりの続編となる『続 窓ぎわのトットちゃん』が発売、同年12月にはアニメ映画も公開されました。
発売から40年以上経った今でも「トットちゃんブーム」が巻き起こるほど、世界中から愛されている名作です。

また、1981年は東武動物公園が開園された年でもあります。今年で開園43周年となる東武動物公園は、埼玉県を代表するレジャー施設といっても過言ではない場所です。
たいむましんは埼玉県にあり、私自身も埼玉県出身ですので、忘れてはいけない出来事ですね。

1981年のカルチャー

カルチャー

1981年の音楽分野では前年にデビューした松田聖子の影響を受け、薬師丸ひろ子や松本伊代もデビューして、前年に引き続き80年代アイドルブームが盛り上がりを見せていました。
楽曲も松田聖子の「夏の扉」「風立ちぬ」をはじめ、近藤真彦の「ギンギラギンにさりげなく」、寺尾聰の「ルビーの指環」など。誰でも知っているような名曲がたくさん生まれた年でもありました。

アニメ好きなら忘れられないのは『機動戦士ガンダムI』『機動戦士ガンダムII 哀・戦士篇』の公開でしょうか。第1作目公開前に開催されたイベントは今でも伝説としてガンダムファンの間では語り継がれていますね。
同じアニメだと劇場版第2作目となる「さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅」。1980年に続き劇場版第2作目となる「ドラえもん のび太の宇宙開拓史」も公開されていました。

毎年恒例の東映まんがまつりも春と夏に公開されていましたが、7月公開の夏では劇場版第1作目となる『Dr.スランプ アラレちゃん ハロー!不思議島』が登場。同時公開で『太陽戦隊サンバルカン』『101匹わんちゃん大行進』『ミッキーマウスとドナルドダック』が公開。ディズニー作品は1980年の『白雪姫』に続いて2回目となりますが、これ以降は漫画まつりでのディズニー作品公開はありませんでした。

洋画では感動の名作『エレファント・マン』が公開され、同年の配給収入ランキングでも1位を獲得する大ヒットを見せます。作品としてはとても感動的なものなのですが、当時の小学生にとっては軽いトラウマ映画でもありました。他にも『スーパーマンⅡ/冒険編』や年末ギリギリで熱狂的なファンも多いシリーズ1作目となる『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』も公開されています。

邦画では当時大人気だったたのきんトリオの主演映画、第1弾『青春グラフィティ スニーカーぶる〜す』第2弾『ブルージーンズ メモリー』や、薬師丸ひろ子主演の『ねらわれた学園』『セーラー服と機関銃』、沢田研二主演『魔界転生』といった芸能人が主演する作品が多数公開されました。そんな中でも当時戦争映画で実績の高かった東宝の『連合艦隊』や、名作として名高い高倉健主演の『駅 STATION』なども公開され、邦画映画の充実っぷりが垣間見れる年でした。

1981年のヒット商品

1981年のヒット商品

1981年は社会現象を巻き起こしたアイテムがたくさん登場した年なので、「全部知ってる!」という人も多いのではないでしょうか。

当時の思い出を振り返りながら、1981年に流行ったアイテムの魅力について語っていきたいと思います!

なめ猫

なめ猫

『なめ猫』は1981年前後に流行したネコに不良のカッコをさせたキャラクターグッズです。子猫に暴走族風の衣装を着せたポスターやブロマイドが大ヒットして、その後も色々なメーカーから『なめ猫』グッズが発売されました。

缶バッジやキーホルダー。下敷きや筆箱と言った文房具なども売られていた事もあって女子を中心にクラスの半分くらいが何らかのなめ猫グッズを持っていたのを覚えています。

駄菓子屋のレジ前に置いてある束になった紫の封筒に入ったくじ引き型のブロマイドは、その束から1枚引いて開ける時のドキドキ感はすごかったですね。
当時ブロマイドは1枚30~50円で、駄菓子屋に行く時のお小遣いが100円だった私には高嶺の花でした。近所のお姉さんが集めていたなめ猫の免許証風ブロマイドのダブりをもらって嬉しかった覚えがあります。

いっち~

当時、なめ猫グッズは駄菓子屋さんによく置かれていて、上記の紹介にもあるような束の中に入った免許証のくじや、下敷きなんかが売られていました。 下敷きは紙製なので使うと書いた文字がそのまま残り明らかに耐久力は低めでしたね。(まさに昔の安物下敷きあるある)

ガンプラ

ガンプラ 1981年

『ガンプラ』は1980年にバンダイが発売したTVアニメ『機動戦士ガンダム』のプラモデルです。

発売自体は本放送終了から1年半、再放送の終了からも半年ほど経過していましたが、発売当初からとにかくとんでもない人気で、近所のおもちゃ屋でもすぐに売り切れて購入する事が出来なかったので、市街地からちょっと離れたおもちゃ屋に行って何とか入手出来るような状態でした。

プラスチック製のランナーと言われる枠の中にパーツがくっついていましたが、当時はニッパーは持っておらず、手やハサミでランナーから切り離していたのでバリがひどく、最終的には爪切りで切り取っていました。当時はガンダムマーカーなどの専用の塗装用具はなかったので、すぐに入手できる油性マジックで色を塗る派と塗らずにそのままにする派で分かれていました。

いっち~

ガンプラブームの時にはどこお店にも売っていなくて、「ゴッグ」「ゾゴック」と言ったあまり人気の無いキットすら店頭には並んでいないような状態でした。近所のプラモ屋では日曜日に入荷分を販売していたので、毎週のように日曜日は早起きしてプラモ屋に行き、店の前で顔なじみとなった他のお客さんと話をしたりして、ある種の社交場になっていました。 最近は当時の1/144「RX78-2 ガンダム」がリバイバル版として、姿形はそのままに、パーツがカラーになるなど、現在の技術を盛り込んだ物が発売されました。

LSI パックマン

LSDパックマン

LSIゲームの『パックマン』は1981年にトミーから発売された、当時ゲームセンターで流行していた『パックマン』の携帯型液晶ゲームになります。
パックマンを意識した黄色の本体に液晶画面がついており、ゲームセンターと同じ黄色いパックマンと赤い敵が画面内を動き回るのが当時とても珍しく感じていました。

ゲーム&ウオッチが流行っていた事と、少し対象年齢が上だったからか、同年代で持っている友達は少なく、お兄ちゃんが買ってきて家にあるという友達が数人いる程度でした。

友達の家に行った時に置いてあるパックマンを借りて遊んでいましたが、電源を入れた時にパックマンの曲が流れてきてとてもわくわくしました。
ただ、ボタンの操作性が悪く、すぐにゲームオーバーになってしまうのでかなり難しかった覚えがあります。

いっち~

『パックマン』のLSIゲームは当時いろいろな商品が市場にありましたが、国内で正式にナムコからライセンスを取得しているものは今回紹介したトミーの『パックマン』と、学研の『スーパーパックモンスター』の2点だけでした。パチモノも普通に面白いんですけどね~、当時はこういった部分には本当に寛容でした。
個人的には『スーパーパックモンスター』が一番出来が良かったように思います。

Dr.スランプ アラレちゃん

アラレちゃん セル画

『Dr.スランプアラレちゃん』は、1981年から1986年にフジテレビ系で放送されたアニメです。原作は『週刊少年ジャンプ』で連載されていた漫画で作者は後に『ドラゴンボール』を描いた鳥山明先生になります。

主人公のアラレちゃんはメガネをかけたかわいい女の子なのですが、ピンクのうんちを木の枝でつんつんしたり、そのうんちを刺した木の枝を持ったまま走り回る描写が頻繁にあったため、親に下品だから見るのをやめなさいと注意されたこともありましたが、結局、親も一緒に笑いながら見ていた記憶があります。

ロボットなのを隠して生活しているのに、車を持ち上げたり地球を半分に割ってしまったりと子供ながらにいつばれてしまうのかとヒヤヒヤして見ていました。今考えるとある意味、画面の中のもう1人の友達を見ているような感覚だったのかなと思います。

いっち~

当時『Dr.スランプアラレちゃん』は夜の19時台と言うゴールデンタイムで5年間放映されていました。長期間放映されていたこともありキャラクターグッズも色々なメーカーから様々なアイテムが発売されていましたが、リバイバルブームにのり2000年代にもグッスマの『ねんどろいど 則巻アラレ』やアート・ストーム『EX合金 DXアラレちゃん』など新しいグッズが登場しています。

レーザーディスクプレイヤー

レーザーディスク

『レーザーディスクプレーヤー』は、1981年にパイオニアから発売された『レーザーディスク』メディアを再生するための再生機器です。『レーザーディスク』の直径は30㎝あるため、それを再生する機械がとにかく大きかったのを覚えています。

当時は『レーザーディスク』もその再生機もかなり高額だったため、友達の家で見かけることも稀でした。親戚のおじさんの家に行った時に初めて見せてもらい、キラキラ光る大きなディスクと、再生された画質の良さにびっくりした覚えがあります。

当時流行り始めていたVHSのビデオデッキも同じ部屋に置いてあり、画質の違いを教えてもらった記憶があります。当時、初めてのレーザーディスクで触り方も知らず、盤面の部分を普通に触ってしまってめちゃくちゃ怒られました。

いっち~

『レーザーディスクプレーヤー』は本体が20万円前後という価格もあり、当時のアニメファンにはなかなかに高嶺の花でした。ただあの大きなジャケットはなかなかに迫力があり、画質も良いことはわかっていたので、再生機は無いけどソフトだけを買う猛者も結構いましたね。

あとがき

誰もが知っている名作がたくさん登場した1981年。「夏の扉」「ギンギラギンにさりげなく」といった名曲や、現在も多くの人に愛されるガンダムやディズニー作品の劇場公開。
音楽も映画も名作が揃っていて、1981年ならではの話題作に触れられたのが本当に楽しかったです!

そして、社会現象を巻き起こすほどの大ブームとなった、なめ猫やガンプラなどのアイテムが登場しました。ドンピシャ世代の私もなめ猫の可愛さに惹かれて免許証を集めていましたが、今思うと何でこんなに流行っていたんだろうと少し不思議な感じもします。
こうして振り返ってみると、「何が流行るのか分からない」のは今も昔も変わっていないところがありますね。これから先の時代ではどんなアイテムが流行るのか、今後の展開が楽しみです!

そんな感じで今回は1981年について振り返ってみました。
本当ならまだまだ語りたいことがたくさんあるのですが、それはまた別の機会に語り合えればと思います。

さて、次回の「バックトゥ・ザ・80’s」は1982年を振り返ってみたいと思います。
1982年には「80~90年代に子供たちの間で大ブームになった電池で動く車」や「ギャル風の着せ替え人形」が登場しますので、ぜひお楽しみに!

では、最後までお読みいただきありがとうございました。
次回もタイムトリップして、懐かしい思い出を一緒に辿りましょう!

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