ディズニー作品紹介 -ミッキーマウス-
こちらはたいむましんにて買取しました「東京ディズニーランド開園15周年記念 限定プレート」になります。
■ウォルト・ディズニー
「ウォルト・ディズニー・カンパニー」は、「ウォルト・ディズニー・スタジオ」、「ウォルト・ディズニー・パークス・アンド・リゾーツ」、「ディズニーABC テレビジョン・グループ」などを傘下に収める世界最大のエンターテイメント企業である。
創設者は ウォルト・ディズニー、ロイ・O・ディズニー兄弟。シカゴに生まれたディズニー兄弟の家は貧しく、父親のイライアスは転職を重ね、度々引っ越しをした。
ウォルト・ディズニーは夜間学部で絵を学び、漫画家となったが成功には程遠く、銀行員として働くロイ・O・ディズニーに仕事を斡旋してもらっていた。その際、後にミッキーマウスの生みの親となる天才アニメーター、アブ・アイワークスと出会う。
■オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット
その後、ウォルト・ディズニーはアニメーターに転身し「Newman Laugh-O-Gram」や実写とアニメを合成した「アリスの不思議の国」などを制作するが、個人事務所は破産。銀行員だった兄、ロイ・O・ディズニーとの共同経営で「ディズニー・ブラザーズ社」を設立する。
ディズニー・ブラザーズ社は多くのアニメ映画をユニバーサル・ピクチャーズの配給で制作したが、その中でもアブ・アイワークスの創作した「オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット」は高い評価を受けた。
この大きな成功が、後に裏目に出てしまい、ディズニー社が抱える大きな負の歴史に繋がっていく。
「オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット」はディズニー社にとって大きな財産となった。そしてそれに気づいたのはディズニー社だけではなかった。
配給元のユニバーサル・ピクチャーズは「オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット」の成功に目をつけ、その権利をディズニー社から引き剥がし、更に多くのアニメーターを引き抜いた。
アブ・アイワークスを除く主要アニメーターはユニバーサルへ移り、ウォルト・ディズニーは再び破産の危機を迎えることになった。
■ミッキーマウス
オズワルドを失ったウォルト・ディズニーは、新しいキャラクターを模索した。オズワルドの特徴を色濃く残し、アブ・アイワークスが書き上げたのはネズミのキャラクター。当初はモーティマーと名付けられたが、リリアン・ディズニーの意見によりミッキーマウスと名付けられる。
こちらはたいむましんにて買取しました「ミッキーマウス ランチボックス&水筒 Aladdin」になります。
そのミッキーマウスを主役としたアニメがウォルト・ディズニーの演出により制作された。
第一作と『プレーン・クレイジー』(『飛行機狂』)、第二作の『ギャロッピン・ガウチョ』はサイレント映画として作られたが、第三作『蒸気船ウィリー』はトーキー映画として制作され、先の二作に先駆けて公開された。
その為「蒸気船ウィリー」はミッキーマウスのデビュー映画として、昨今でも広く認知されている。本作は最初期のトーキー映画でありながら、サウンドトラック方式を採用。その為、映像と音楽のシンクロが高く、公開当時大変な人気を呼んだ。
「ミッキーの大演奏会」「ファンタジア」などミッキーマウスの出演するアニメ映画が次々と制作され、ミッキーマウスはオズワルドに代わり、ディズニー社を代表するキャラクターへと成長してゆく。
■ディズニーランド
また1955年にカリフォルニア州オレンジ郡アナハイムにディズニーランドが開園するとメインキャラクターとして扱われ、自他ともに求めるディズニーの代表キャラクターとなっていった。
ディズニーランドは世界各地で開園され、それに伴いミッキーマウスもアメリカ合衆国のシンボルキャラクターとして認知されるほど大きな存在となった。
これはひとえにアブ・アイワークスとウォルト・ディズニーの功績といえるだろう。
こちらはたいむましんにて買取しました「未使用 東京ディズニーランド 15周年記念 パスポート&フレーム」になります。
ミッキーマウスは大成功を収めたが、オズワルドの版権を失った教訓から、ディズニー社は著作権に対して確執をいだき、積極的なロビー活動により「蒸気船ウィリー」の著作権失効が迫る度に著作権延長法を制定させ、著作権法が俗にミッキーマウス保護法と揶揄される事態に至っている。
たいむましんではディズニー作品を始めとした海外アニメ関連アイテムを高価買取しております。
詳しくはたいむましんの海外アニメ関連アイテム、グッズの買取価格表を御覧ください。
ご相談は
・買取フォーム(写真も送れます)、メール、フリーダイヤル:0120-776-700(10-20時/年中無休)よりお気軽にお待ちしております!