買取|東宝特撮映画紹介 -ゴジラ(1954年公開版)-
ゴジラとは、日本を代表する特撮映画であり、日本を代表する怪獣である。
こちらはたいむましんにて買取しました“ゴジラ コレクション 国書刊行会”になります。
東宝が1952年に企画した「G作品企画」が始まりであり、プロデューサーに田中友幸。
■田中友幸
田中友幸は藤本真澄とともに東宝黄金時代を牽引した名プロデューサーであり、後に東宝映画社長、会長を歴任し、1997年に86歳でなくなるまで東宝映画を支えた。
プロデューサーとしてゴジラシリーズは勿論、黒澤明監督作品や岡本喜八監督作品、また「日本沈没」など日本映画史を代表する作品を数多く世に送り出した。
ゴジラの基本的な設定となった部分は田中友幸の発案であり、その後円谷英二や本多猪四郎、香山滋などの手により具体的な作品となっていった。
こちらはたいむましんにて買取しました“東宝特撮映画全史”になります。
■円谷英二
円谷プロ初代社長にして、日本を代表する特撮監督。戦前から特撮を用いた撮影を駆使し、東宝で戦意高揚映画の監督も多く努めた。
戦後GHQの公職追放により失職するが、後に東宝に復帰。復帰後に東宝の予告を多く撮影し、今なお続く東宝マークは円谷が撮影したものが元になっている。
そして東宝復帰後に、ゴジラの特技監督を務めることになる。
■本多猪四郎
本多猪四郎はゴジラの成功後、多くの特撮映画を手がけたが、他に数多くの青春映画や恋愛映画も手がけている多才な映画監督である。
黒澤明と同期であるが、兵役中に2.26事件に巻き込まれ満州に転属となり、さらに再招集などで8年も務めたため、監督としてのデビューは戦後になってからと遅い。(黒澤明は1943年に「姿三四郎」で初監督を努めている。)
この長い兵役時代の経験が、後の監督業に大きく影響を与えたとも言われる。
また晩年は同期である黒澤明監督の片腕として助監督や演出などを務めたが、黒澤明の最後の映画となった「まあだだよ」の撮影後に病没。
その功績は特に海外で高く評価され、マーティン・スコセッシ、ギレルモ・デル・トロ、ギャレス・エドワーズなど数多くの映画監督に影響を与えた。また日本では大林宣彦が本多猪四郎を師と仰ぎ、大きな影響を受けている。
ゴジラがたんなる特撮娯楽映画ではなく、反戦反核など深いテーマ性を持った作品となり、また極めて完成度の高い映画となったのは、監督を努めた本多猪四郎の功績である。
■伊福部昭
またゴジラを映画として語る上で外せないのが、その映画音楽である。平成ゴジラシリーズやシン・ゴジラにも受け継がれたその楽曲を提供したのは伊福部昭。
東宝から大映まで数多くの映画の音楽監督を努め、オスティナートを重視したその楽曲は印象深く、日本人の耳に馴染みやすい。
映画とともに、その映画音楽を覚えている人も多いだろう。
またゴジラの鳴き声や、ゴジラを消滅させたオキシジェン・デストロイヤーの効果音を発案したのも伊福部昭である(完成させたのは音響技師の三縄一郎。東宝に所属し、黒澤明映画を始め音響効果を数多く努めた)。
このように後の世に大きな影響を与えた類稀なる才能を持ったスタッフが集い、ゴジラの製作が始まった。
当時としては破格の7000万円(現在で換算すると数十億円)という大型予算が組まれ、超大作にしようという東宝の意気込みが感じられる。
主役に東宝ニューフェイス第6期生の宝田明を抜擢、準主役に黒澤明映画で活躍中の志村喬、また特撮では銀座の町並みを1/25のミニチュアで完全に再現。更に国会議事堂はゴジラの大きさを際だたせるために1/33で再現した。
またゴジラの吐く放射能熱線で鉄塔などが溶けるシーンは、鉛と蝋でミニチュアが作られた。このシーンは大変な反響を呼び、今でも多くの映画監督が影響を受けたと語っている。
特撮の神様と呼ばれた円谷英二の本領発揮である。
こちらはたいむましんにて買取しました“復刻版 世紀の大怪獣 歩行ゴジラ”になります。
ゴジラは、前年に公開されていたアメリカ映画「原子怪獣現わる」でも特撮を担当したレイ・ハリーハウゼンに習い、ストップモーション・アニメでの撮影が予定されていたが、公開までに間に合わないという理由で着ぐるみでの撮影が選ばれた。
このゴジラの着ぐるみが更にインパクトを呼び、後の怪獣映画の隆盛につながったとも言える。
円谷英二による大変優れた特撮、そして本多猪四郎による緩みのない演出が組み合わされ、ゴジラは世界に誇る傑作映画となりえたのである。
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