「アニメブームの到来とその頃のこと」第4回(全4回)

山 陰生(やま かげみ)

「アニメブームの到来とその頃のこと」第1回はこちらから。

 

 といった訳で、アニメブーム真っ只中の70年代後半。このような感じでアニメを職業にしたい若者が大勢いた訳なのだが、その頃、それまでゴミとして廃棄していた物が「売れる」と解った業界は、とある商売に乗り出していた。ファンクラブやアニメショップの展開である。当時は現在のようなチェーン店化したアニメショップという形ではなく、制作会社が独自に店舗などを運営しているケースが多かった。例えば東京ムービーが「アニメハウス」という店舗を持っており、テレコムの試験を受けた帰りに寄って『ルパン三世 カリオストロの城』などの絵コンテや設定資料(コピーしたもの)、セル画などを買って帰った。アニメ制作会社系でない店舗では、後に同名の情報誌を出版する「アニメック」などがあり、オリジナルのアニメポスターなども売っていた。その他にも各製作会社から買い付けてきたのか、小さな店舗でセル画などを売る店も現れ始めた。吉祥寺の商店街の一角で『未来ロボ ダルタニアス』などのセル画を買った覚えがある。まだ秋葉原は完全な電気街で、アニメのアの字もなかった頃の話だ。
 同時に制作会社が個人ではなくオフィシャルのファンクラブを作り出した。東映動画が1977年に作った「東映アニメーション ファンクラブ」が魁かと思われるが、80年代に向かい日本アニメーションが「日本アニメクラブ」を、東京ムービーもアニメハウスを母体に会報を作ったりして、アニメファンにアプローチしていった。会員に配布される『未来少年コナン』や『赤毛のアン』の資料などが欲しくて、有料の日本アニメクラブにしばらく入っていた。オフィス・アカデミーの『宇宙戦艦ヤマトFC』など、作品毎のファンクラブも作られていった。東デでも、生徒同士で色々な作品の設定資料などが飛び交い、学校の帰りにはよく友人とコピー店(コピー機を何台も置いている専門店があった)に寄ってそれらをコピーし、交換しあったものだ。まだ送り手も受け手も版権意識が薄かった時代、しかしだからこそ、制作現場とファンがいちばん近づいていた時代だったのではないか、とも思う。
 残念ながら、私のアニメーター生活は2年余りという短い時間で終わってしまった。なぜか。食っていけないくらい下手だったからだw。勝手に自分で限界を決めてしまったのだ。しかし、成りたくて付いた職業であるし、その期間が充実していたのは確かだ。亜細亜堂に入ったのは放映中だった『新ど根性ガエル』をやりたかったからだが、残念ながら研修中にすべての作画作業が終わっていたw。でも、原画になって念願の『まんが日本昔ばなし』で「十六人谷」と「亡者道」という怪奇色の強い2本の原画に携われたことは嬉しかった。そこである程度満足してしまったのかもしれない。それからしばらくしてお世話になった会社を退社することになるが、私は今でもリミテッドアニメでは芝山努・小林治両氏が最も秀でていると思っている。両氏の枚数をかけずに絵を動かす技術は本当に素晴らしい。絵柄も大好きだ。
 そして私の中のアニメブームは、そこで一旦収束する。その後縁あって編集プロダクションに就職した私は、アニメや特撮の知識を使って、今度は本の企画、編集、原稿という作業に従事する事になった。それはアニメーター時代以上に忙しく、テレビを観ている時間もほとんど無かったので、物理的にアニメから離れざるを得なかったというのも理由としてはあった。

013編集者になってヤマトの特集記事を書いた事も。イラストも自分で描いてますw。

 

この会社はいわゆるオタク関係では世界一大きな会社になっていくのだが、アニメや特撮、ゲームなどの仕事がメインで、それまでの知識を活かすには絶好の場所でもあった。私は主に今は無きケイブン社の仕事をメインにしながら、色々な経験をさせて貰った。絵も描けたのでちょっとしたカットは自分で描き、アナログ時代では大百科くらいのデザインは起こしたりもしたので、ほぼ自分ひとりで入稿まで作った本もあった。

015

髙寺プロデューサーから大百科をやってと頼まれ、ケイブン社に話したらじゃあやれとw。その縁で総集編2本と「てれびくん」の全プレビデオの脚本も書く事に。とはいっても、オリジナル部分はほとんどPの修正で真っ赤にw。使われたのは雄介のダジャレくらいだ。

 

014編集者時代に絵コンテが通り、監督をしたプロモーションビデオ。雑誌創刊に辺り、書店店頭でタダで配られた10分くらいのビデオ。監修はイコちゃんの河崎実監督。

016

017

「B-CLUB」でやったヒロイン特集号が完売に。その流れで2回目は制服特集をやり、それに加筆して「電影美少女制服図鑑」という単行本を初めて著者として出させてもらう。すると制服ブームも手伝い、そんな仕事がチラホラと舞い込む事に。

018

「月刊ニュータイプ」からも制服記事の依頼が!

019

020

「電影美少女制服図鑑」をみて「Beppin School」というエロ本から制服記事の依頼が来て、4年くらい「制服王 至福の部屋」という記事を毎月5ページ書いていた。毎回12作品紹介していたのだが、よくそんだけ紹介出来る作品が有ったものだ。2Cページだったが、イラストはカラーで描いていた。おかげで単行本も出たが、それに関してイラッとする事があり1度連載は終了する。だがなぜかその後復活w。最初はこの様にモノクロ1ページだったが、そのうちカラーページに。何が仕事になるか解らないものだ。

 

他にも脚本を書いたり映像監督をしたりと、アニメーターと編集者という経験を活かす事で、本職以外の仕事を行う事もできたのは楽しかった。そう、やってきた事は無駄にならなかったのだ。自身の漫画・アニメ好きは、本という2次商品を作る事で昇華されていた。そういう道の選び方もあるのでは無いだろうか。時として好きなモノを仕事にすると辛くなる事もある…。
 とにかく良い時代に生を受けたと思っている。あのアニメブームが無かったら、たぶんまったく別の人生を歩んでいただろう。あのアニメブームは、田舎に住む一少年の人生にまで影響を与えた大きなムーブメントだったのだ。

終(全4回)

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山 陰生(やま かげみ)

上京後、専門学校を経てアニメーターになるも挫折。
その後、編集プロダクションに拾われ、オタク関連の書籍や雑誌の編集・ライティングを行いその後フリーに。
しかし、人生の旅も半世紀を越え、田舎にUターンして余生を過ごす日々。
昭和を愛すが別に戻りたくはない、初老に片足突っ込みかけているオヤジです。


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