「ドラゴンマガジンの黎明とガメル連邦」第4回(最終回)

加藤 一(かとう はじめ)

「ドラゴンマガジンの黎明とガメル連邦」第1回はこちらから。

 

 ちょっと昔の話をしましょう。

 月刊ドラゴンマガジンでは様々な人とお仕事する機会がありました。
 アニメーターさんであったり、イラストレーターさんであったり、漫画家さんであったり、作家さんであったり、まあ色々なんですけれども、やはりというか雑誌のコンセプトが「ヲタの喜びそうなもの、何でも色々ごった煮にしてみるよ!」という感じのものだったこと、編集部の面々が皆それぞれに「何らかのジャンルのヲタ」の集まりだったことなども影響していたかと思います。
「まだ知名度低いけど、これから絶対にブレイクする奴だから連れてくる! 使ってくれ!」
 であったり、
「友達だろ! 助けてくれよ! お願い!」
 であったり、
「雑誌の肩書きと版元が払うギャラがあれば、今まで声を掛けられなかったあの人と仕事ができるかもしれない!」
 であったり、
「あの大物とこの機会にお近づきに!」
 であったり……本当のところはもっと他にも理由があったんじゃないかなとは思うんですが、ホント色々な方が書かれてましたね。

 僕はドラマガではコラムページも担当していました。
 当時、僕が大ファンだったので担当できて凄く嬉しかったのは、「バビロニアウェーブ」や「梅田地下オデッセイ」を書かれたSF作家の堀晃先生によるコラムです。
 が、堀先生の原稿は色々な意味で大変でした。というのは、当時堀先生の原稿は手書きで、それがFAXで送られてくるんですが、ものすごい悪ひt……達筆だったのと、書いた後に色々赤字を入れたものがFAXされてきて、更にそれが編集部のFAXが調子がいかんのか大変読みにくい状態に。というかもう、ほぼ判別不能な状態に。
 潰れちゃってどうしても読めないときもあったんですが、「何て書いてあるんですか?」と伺うわけにもいかないじゃないですか。なので、これを必死になって解読するんですよ。大変でした。

 それと、確かシナリオライターの山口宏さんのお知り合いという線だったか、強いご推薦ということだったと思うんですが、コラムのイラストを樋口真嗣さんにお願いしたことがありました。
 そう、今をときめく映画監督のあの樋口さんです。
 うーん、確かこれ1990年か1991年か頃だったと思うので、その少し後にGONZOが設立されて、山口宏さんもそこに合流されたという、そんな頃でしょうか。樋口さんはガイナックス出身で「オネアミスの翼」の助監督をされていましたが、山口宏さんと僕が当時勤めていた編プロ・スタジオハードが、ガイナックスと何かと縁が深かったので、その辺りの人材繋がりだったのかも。
 その後、樋口さんは1995年の「ガメラ 大怪獣空中決戦」で特技監督を務められ、一般からもどんどん注目されていくことになるわけなんですが、それを思えばドラマガで小さなコラムのカットをお願いできていたのは、樋口さんの「ブレイク直前」のことだったんだなあ、と。

x463500419.2平成ガメラ パーフェクトボックス

 

 このようにそれぞれのツテや推しを突っ込む中、僕は僕で「是非彼を」とイチオシして無理矢理引っ張り込んだイラストレーターがいます。

 ガメル連邦のメインイラストレーターとして創刊から5年間、相方として毒と捻りの利いたイラストを手がけた、青木邦夫君です。
 ガメル連邦のイラストは、「だいたいこんな感じ」というネタ振りと指示出しはするんですが、青木君はだいたい僕の指示通り……には絶対に描いてこないんですよね。合ってるのはイラストの原稿サイズくらいのもので、大抵は裏を掻いたり小ネタを挟んだりと好き勝手やっていましたが、不思議とそれが面白かったというか読者のツボに入ったというか……。ガメリアンには「クニヌウヌウ先生」などと呼ばれて親しまれていました。
 青木君はドラマガではガメル連邦の他に、「ウルフマンロード」という漫画も連載していました。これが商業誌初連載だったと思います。
 彼は実を言うと僕の高校時代の同級生かつ同人仲間でもあって、何だかんだで古い付き合いなうえに、上京してからはルームメイトとして部屋をシェアしていたこともありました。とにかく現場にねじ込んしまえ、とばかりに、何かと仕事を無茶振りしてた気がします。
 その後「十六夜清心」と名を変えて、現在では官能イラストと成人向け漫画の世界で活躍しています。

 そして今――。
 出版の世界は手書きアナログからデジタルに代わり、「原稿を受け取りに行く」とか「FAXで受け取った手書き悪筆原稿を解読する」っていう仕事は、だいぶ様変わりしてきました。まあ、今でも手書きで画稿を作っている方はいらっしゃるでしょうが、「デジタル作画してクラウド経由で受け取り」とか、「完成稿はメールで受け取り」になって、直接顔を合わせないまま仕事ができるようになりました。
 そういや、校正紙も直接渡しに行ってその場で読んでもらってそのまま引き揚げたり、あるいはバイク便で届けたのを送り返してもらったり、というような時間の掛かる作業をやっていたもんですが、そこらへんもいつの間にかデジタルワーク全盛になって、だいぶ減ってしまったような気もします。
 まあ、それでも逃げたり機能停止した作家、漫画家を叱咤激励しに足を運ぶ仕事というのはなくならないみたいで、今日もどこかで原稿取りに勤しむ編集者の靴音が――。

 

1960年代~1990年代のアニメ関連グッズの買取価格表はこちらになります。

The following two tabs change content below.
加藤 一(かとう はじめ)

加藤 一(かとう はじめ)

上京後に入社した会社で山陰生氏に師事した後に独立、主に漫画、アニメ、ゲームなどの雑誌編集の現場に飛びこむ。幾つかの雑誌を転々とした後、実話怪談/児童文学作家に。実話怪談シリーズ【「超」怖い話】四代目編著者。【恐怖箱】レーベル総監修。 昭和末期から平成初頭、バブル時代のあれやこれやの思い出話にお付き合いいただければ幸いです。
加藤 一(かとう はじめ)

最新記事 by 加藤 一(かとう はじめ) (全て見る)


よろしければシェアお願いします

PAGE TOP