【昔のコミケの思い出】

加藤 一(かとう はじめ)

【生頼範義さんの思い出】(前編)

 ちょっと昔の話をしましょう。

 先だって、かがみあきらさんの思い出について触れたとき、コミケの話が出ました。
 所謂、コミックマーケット。日本最大の、いやさ世界最大級の同人誌即売会です。
 マンガ、アニメに触れる機会の多い方々であれば今更くどくど説明するまでもない、夏と冬の一大フェスティバルなわけですが、コミケだって最初から有明を三日も埋めてなお落選サークルが出る、という怪物イベントだったわけではありません。かつては冬、春、夏の三季開催だったコミケですが、1975年12月に行われた一番最初のコミケは、虎ノ門日本消防会館会議室の一室を借りての、本当にささやかなものだったそうです。
 板橋産業連合会館(1976年)、大田区産業会館(1977年)、四谷公会堂(1978年)、再び大田区産業会館(1978~79年)に戻って、東京都立産業会館(1979年)、川崎市民プラザ(1980~81年)、横浜産業貿易ホール(1981年)……と方々の展示場を転々と流浪したコミケが、最初の約束の地、東京国際見本市会場――晴海に辿り着いたのは、1981年の冬コミでした。

DSC_0436 1984年のコミケ26。この年から、春コミが廃止になって、原則として夏冬の年二回体制になりました。晴海を使い始めたのは1981年の冬コミ(コミケ19)からでしたが、参加サークルが2400に届き、一方で落選サークルが応募サークルの1/4に届く規模になったコミケ26というのは、やはり何だかんだ言って特別でした。

DSC_0437 当時、地方即売会は大抵30~50サークル程度でしたから、それから見れば2400サークルというのも十分すごい数字のような気はしますが、その2400サークルを頑張れば一日に二巡くらいはできた(壁サークルを除けば、まだ長大な行列サークルはそれほど多く出現していなかった)ので、「まったく守備範囲ではない分野」も見回るゆとりはあったような気がします。

DSC_0439 コミケカタログは一部200円。しかも、ホチキス中綴じ。今みたいに電話帳のような分厚さとか、CD-Rやダウンロードとかいう長大さではありませんでしたし、入場行列で並んでいる間に「ほぼ全てのサークルカットをチェックでき、準備会のコラムも端々まで読めた」という位には情報量は多くありませんでした。
 ちなみにコミケ25以前はカタログ購入は任意で、コミケは入場料がありませんでした。まあ、参加サークル数が多いのでカタログがないと話にならないのは今も昔も変わらず、参加者は漏れなくカタログを買ってたんですが、このコミケ26は公式に「カタログは入場料(一般入場券)と同じ」「一般参加者は一人一冊、カタログを持っていないと入場できない」と定められました。要するに、30年前のコミケは入場料200円だったんですね。

DSC_0438 コミケカタログ26のコラムを眺めてみると、コミケの内包する問題について運営や参加者がそれぞれに悩み始めている、というのが見て取れます。ぶっちゃけると、マナー、モラルの話題。コミケは自由であるべきだが自由気ままと勝手は違う、どんなものでも受け入れる度量をコミケは持つべきだが公序良俗の一線は譲るべきではない、などなど。この辺りは、30年前も今も大差ありません。
 コミケにおけるマナー、モラルの問題と言えば、徹夜組とコスプレ。これも30年前からあった話題なんですが、当時は徹夜組は今ほど問題視はされていなかったような。治安上好ましくないのは当時も今も同じですが、コミケ26当時の徹夜組は和やかで、どこか前夜祭のような雰囲気だったのは覚えています。一体感を育む、みたいな感じ。
 コスプレのほうはと言うと、今と比べて当時は露出の多いキャラと言えば「うる星やつら」のラムくらいのもので、今ほどには露出多めのコスプレは多くはなかったとは思います。いや、キャラはあってもそれに挑戦するツワモノレイヤーがそんなにはいなかったと言うか。それでも「肌の露出が多く猥褻なもの」や、「長物(ライフルなどのモデルガンや木刀・模造刀などの刀剣類)」についての規制論が出始めたのもこの頃だったような。
 ちなみに、もう少し後の時代だったと思うんですが、僕が知る限り最も過激なコスプレはいつだったかの春コミで見た「爆れつハンター」のショコラ・ミスのコスプレです。原作通り素肌にノーブラ&サスペンダーで、レイヤーが大変可愛かったのです。

 会場が有明ビッグサイトになってから随分経ちますが、空調がしっかりしていて館内が涼しく(冬は暖かく)、飲み物や食べ物が幾らでも買えて、ハッと思い立ったらその場でコピー誌が作れる程度にはコピー機が使えて、会場はだだっ広くなったけど割と快適で、自力で飲み物・食糧を携行しなくても大丈夫になった今のコミケに慣れていると、往時の「不便だった頃のコミケ」の雰囲気はなかなか想像に難いかもしれません。
 当時、20代だった人々は、もう50代下手するとぼちぼち60代って人もいるのではと思います。僕もこの夏に大台に乗りましたし。子供どころかぼちぼち孫がいる人もいそうな気がしますし。
 今の体力でコミケ26の頃の晴海に参戦しろって言われたら、さすがに挫折しそう。

 それでも。歳を食っても我々は行くんですよ。同人誌即売会に。
 30年前と全然違っても、30年前と全然変わらないコミケに。
 あの喧噪と熱量と欲望うずまく、執着の楽園に。
 たとえ東京五輪の間、再び流浪することになったとしても、何とか都合付けて行くんですよ。

 多分10年後も20年後も命続く限り。
 趣味に執着するヲタであることを、我々はもはや自分の意思では止められないのだから。

 

 

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加藤 一(かとう はじめ)

加藤 一(かとう はじめ)

上京後に入社した会社で山陰生氏に師事した後に独立、主に漫画、アニメ、ゲームなどの雑誌編集の現場に飛びこむ。幾つかの雑誌を転々とした後、実話怪談/児童文学作家に。実話怪談シリーズ【「超」怖い話】四代目編著者。【恐怖箱】レーベル総監修。 昭和末期から平成初頭、バブル時代のあれやこれやの思い出話にお付き合いいただければ幸いです。
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